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第5話 見える敵と見えない敵

 エリゼ先生は落ち着いて続けた。


「闇の魔法については知悉ちしつしています。敵を知らずに勝つことができますか? 聖なる書に悪魔は一切描かれていませんか?」


 言い負かされたエマニュエルが真っ赤になっている。


「そこまで魔法を憎まれるには、なにか理由があるとお見受けしますが」

「……自分の両親は魔法使いにだまされて破滅したんだ。ただ、死んだ娘に会いたかっただけなのに。お前もそうするんだろう?」

「やりません」

「やろうと思えばできるということか?」

「死者に一目会えば二度三度、さらに肉体の復活、限りがありません。人は弱いものです。ですから、使いません」


 エマニュエルが、本を握りしめた。


「あの天使のようだった妹に天国で会えると信じて自分は神の道へ入った……」

「それは私たちにはできない尊い選択です。北極星のように人を導く道ですから」


 エリゼ先生の目はなぜか悲しそうだった。


「あなたたちをまどわした魔法使い、死霊使いででもあったのでしょう。闇の魔法にちた存在ですから、必ずや裁きが訪れます」

「自分たちからすべてを奪って逃げた奴を!」


 エマニュエルの目からは涙があふれていた。


「我々魔法使いにとって誰よりも敬愛する存在、ミリエル・デュランが必ず罰します」


 群衆の中に、もらい泣きする者がいた。


「エリゼ・フローレル……二十年前のダンジョン敗退の生き残り……」


 先生が語らない以上、北のダンジョンの中でどんな悲劇が起きたのか、誰も知らない。


 しん、と静まり返った中に、校長先生の丸っこい手がパンパンと打ち合わされる音がした。


「さあ、見学はまだまだありますぞ。今度は隣の校舎での魔法薬作りじゃ。買って飲んだ者もおろう。どうじゃ?」


 気まずそうな顔をしたのは、腕っぷしの強そうな船乗り。腕にいかりとドクロの入れ墨がある。


「航海中には良くお世話になったよ。あれなしじゃ、海の向こうの大陸に行けやしねえ」


 うなずく者数人。


「エリゼ先生、海の向こうにも魔族はいますか?」

「まだ分かっていません。国王陛下は探検より魔族との対立を重視していらっしゃいます」


「そうなんだ……」と生徒の声。


「さあ、魔法薬を作って来なさい。私はいつでも魔法史の準備室にいます」

「「「はい」」」


 ガタガタッとフェニックスが揺れたけれど、


「校舎の中を飛べるわけないでしょ、静かにしといて」


 と、頼む。

 制服の黒いワンピースやスーツは防護服も兼ねているから実験用に着替えたりしなくて良い。


「エリゼ先生ってカッコいいよな……」


 リュックの声を私は聞き漏らさなかった。

 やっぱり、リュックは私みたいに気弱なのは嫌なんだわ。ちょっとしょげた。




 実験室は他の校舎と違って、魔力を吸収する灰色の特殊な砂岩で出来ている。そのせいでちょっと薄暗く不気味な雰囲気がしていた。


 もうこの頃になると群衆はワイワイガヤガヤ、どの魔法薬が効くとか効かないとかに話は移り、魔法学校を壊すという物騒な話はどこかへ行ってしまった。エマニュエルはまだ固い表情を崩さないけれど。


「コホン、静粛せいしゅくに。魔法薬作りは冷静に分量通りに。調合の邪魔をしてはいけません」


 魔法薬の先生はツルンとした顔で髪もり上げているから、まるでで卵みたい。ただ見た目と違って材料の取り扱いにはとても厳しい。


「今日は見学者の方にも馴染みの深い回復薬をつくります。二人一組になって」

「前に作ったことがあります」


 元気に返事をするリュック。


「オーリィ、一緒に薬を作ってくれるかい?」


 なんと、リュックは私をペアに選んだ。


「……は、はい、喜んで」


 また上気してきた頬を隠すために私はうつむくしかない。

 これでまた、気の弱いオーリィと呼ばれるわ……そんな想いが脳裏をよぎる。


 空いている鍋の前に二人で並び、リュックが手早くに火をおこした。

 たきぎは南側に伸びたオークの木の枝で、内に秘められた生命力が炎を通して魔法薬に移るとされる。


 私は材料を確認して鍋に入れた。

 四年生の時は、材料集めからやったっけ。

 懐かしいなぁ。


「ニガヨモギふたつかみ、イラクサひとつかみ、マンドラゴラの根一本……竜のウロコ二枚、ローン山の清水をカップ二杯……」


 あとは回復魔法の力を込めながら煮込むだけ。

 あれ?

 前に作ったのより濃くなってない?

 同じ疑問を持ったらしいリュックと目を見交わす。


「前線からもっと効くものをと要望があってな。限界まで濃度を上げている」

「先生、戦況がやっぱり悪いんですか?」


 先生はアゴをなでて、


「悪くはないが良くもない……戦いが長引いて、将兵が疲れを訴えておる。船乗りには前の薬で十分だったが」

「僕は卒業したら従軍する……父のためにここで学んだ魔法を活かすんだ」


 私はそっとリュックの黒い制服の袖を引く。


「……ここで学ぶ魔法は、広く大衆の幸福のために……」

「それは理想論だよ。魔族の脅威が迫っている今……」

「魔法学校としても、始祖であるミリエル・デュランの理想──本来人間と魔族は融和できるという考え──から離れた現在の姿を残念に思っている」


パン、と先生は手をたたいた。


「議論はそこまで。魔法薬の色は正しいかな?」

「あわわわ……」


 リュックがあわてるのも無理はない。輝く金色であるはずの回復薬がドス黒くにごっている。

 二人がかりで回復魔法を込めるところを失敗したわね。


「作り直しだ……」

「……いいえ、リュック、たぶん濃くなっているから濁って見えるだけ」

「そうか!」


 気が弱いと言われている私だけれど、魔法薬は何度もうまく作っている。屋敷でメイドたちにひどい風邪が流行はやった時に、参考書を見ながら風邪薬を作ったくらい。

 ちゃんと効いたわ。

 副作用でしゃっくりが出て、しばらくにぎやかだったけど。


 去年作った時のコツを思い出して……ここからもう一度魔力を込めて。


「……力よ、甦れ、しおれた葉も緑に、枯れた泉にも水が満ちて……」

「おおっ、濁りが取れて金色に!」

「……リュック、お願い、力を貸して」


 しばらく集中してかき混ぜると、強い金色の光を放つ回復薬が出来上がった。

 のぞき込んだ先生がリュックの肩をたたいた。


「よくできたな」

「オーリィのおかげだ。ありがとう」

「……いいえ、お礼なんて……」


 炉の火を落として燃えさしは火消し壺に入れ──これも別の魔法薬の材料になる──鍋の中身を冷まして十本の小瓶に詰める。

 回復魔法の使い手がいないときの助けになるだろう。


 先生は私たちが作った回復薬を手にして皆に見せて回った。


「見給え。これが一番よくできている。この金色を良く覚えておくように」


 チリッ。


 首筋に寒気を感じる。

 イライザが私をにらんでいるのね。

 空気が歪んでいる。これは邪眼じゃがんの雰囲気。


「これが可能となったのは、作り手の魔力の強さ故だ。全ての基礎となる魔力の向上を怠らないように。基礎体力、瞑想、イメージトレーニング、どれも欠かしてはならん」


 私は無意識にイライザとの間に障壁を張っていた。


 カツン、カツン!

 背後のイライザから放たれる見えない刃が障壁にぶつかって、その音が耳ざとい者には聞こえる。

 邪眼の力……ねたみの具現化ぐげんかで悪い魔法の初歩。

 イライザが闇の力にかれているのではと、ふと疑う。


「……誰だ、実習の邪魔をしているのは? イライザ、薬はどうなった?」


 イライザの手元の魔法薬は輝きを失っている。


「同級生への嫉妬で魔法薬を作り損なってしまうとは、初歩的なミスだね。それに、今、邪眼を使おうとしていなかったかね? 禁止だよ」


「もうっ! わかりました!」


 イライザは鍋ごと瓶ごと薬を流しに放り込んだ。

 もうもうと湯気が立つ。


「ねえ、イライザはどうして今日あんなにイラついているの?」

「知らせが来たんだ。お父さんの持っている船が難破したって。下手すりゃ破産だ」


 プンとふくれて、彼女はガチャガチャと音を立てながら鍋を洗い始めた。

 彼女にそんなプレッシャーがあったなんて。


「オーロール、君は自信を持ちたまえ。やればできるのに、そういう気弱なところが、他人を付け上がらせるのだよ」

「……ごめんなさい」


 そんなことを言われたって、好きで気が弱いわけじゃないの。

 魔法学校に入ったのが間違いだったかしら。


 ……いいえ、他人のせいで私が好きな魔法をあきらめるのはおかしいと思うわ。

 私は魔法が好き。

 魔法の手ほどきをしてくれた母が好き。

 母から譲られた魔法のホウキが好き。


 卒業しても魔法学校に残りたいと思うほどに。


 私も勇気を持ちたい。

 リュックみたいに従軍したいとまでは思わないけれど、せめて人並みに。

 メイドのアビゲイルに褒めてもらえるくらいには。


「さあ、作った魔法薬を提出して、使った鍋を洗いなさい。これが最後の魔法薬の実習、その気持ちを込めて」

「「「はい!」」」


 大きな銅鍋を流しに移す時、リュックと手が触れた。


「……ごめん……なさい」

「気にしなくて良いのに」


 リュックはニコッと笑うと重い鍋を一人で洗い始めた。


「すみません」

「良いんだよ、薬を先生に提出してくれるかな?」

「……はい」


 私は小瓶を胸に抱いて先生のいる教卓へ小走りで向かった。

 目の端で赤毛が揺れたような気がしたが、気にしなかった。


 あっ!


 油断していた私は、無様につんのめった。

 身体が宙に浮いた。

 誰かが足をかけたのだ。

 私をおとしめようとしているのはイライザだけじゃない……その事実が心を凍らせた。




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