馬車は皮肉なことに民衆と一緒に魔法学校に進んでいた。
アビゲイルの警告も当然で、魔法学校へ続く大通りは、王都の住民であふれている。
「発砲するな! 国王のご命令である!」
カーテンの隙間から覗くと、無抵抗な王都防衛軍の兵士が群衆に
「「まあ! 王都を守った人たちになんてことを!」」
アビゲイルと私がハモる。
ダリオンの言った猶予ってこんな不穏なひと時なの?
「魔族を呼んだ魔法使いを渡せ!」
口々に叫んで、包丁やらのし棒やら振り回している。
王都が攻撃されてほぼ一週間、食料や飲み物も値上がりした。
不満が溜まっているのはわかる。
でも彼らが目指しているのは魔法学校の白いドーム。単に天体観測用で、日々の暦を使うにも役立っているのに。
「御者さん、無理はしないでね」
「いや、学校までの代金をいただいてますんで……」
「……アビゲイルを送ってくれるかしら?」
「まあ、お嬢様、なんということを……」
フェニックスを手に取るとブルッという返事。
御者さんやアビゲイルを危ない目に合わせちゃいけない。私だけでなんとか……。
私はいつものようにフェニックスに乗って、馬車から飛び出し、群衆の頭を飛び越えようとした。
制服の黒いワンピースが
しまった、これではあの夜の魔王ダリオンそっくりだわ!
「魔女だ! 魔女が飛んでるぞ!」
なんてことでしょう。
あの防空サイレンの響く中、あなた達を安全な魔法学校まで誘導したのは、私たち魔法学校の最上級生よ。もう忘れたの?
伸びてきた群衆の手が、私の編み上げ靴をつかみ、引き下ろされる。
「きゃあっ!」
派手に転んでしまった。
やっぱり自分一人でなんて無理だったわ。
起き上がって見回すと、
「あれっ、校長先生……そしてもう一人は……」
校長先生はふかふかのアゴヒゲに顔が半分埋まっていて親しみを感じさせるが、片眼鏡をかけた青い目はすべてを見通す力があるように思われる。
校長先生と向かい合って立っている若い男は、エマニュエルと確か呼ばれていた。
彼が聖職者の衣装をまとっているのを見て、私はあわてて起き上がり、スカートのホコリをはたいてから、お辞儀をした。
「悩める者を救う聖職者様、日々の感謝を申し上げます」
聖職者にあったときの、普通の挨拶だ。
「見ろ! エマニュエル様が魔女に礼拝されている!」
どっと群衆が笑った。
え、私、なにかやらかしちゃいました?
「この娘を見ろ! 人の身で空を飛ぶなど、神は許しておらぬ!」
「え、あ、ひゃい?」
「オーロール、下がっていなさい」
校長先生が優しくおっしゃる。
「フェニックスも元気そうで喜ばしいことじゃ」
「生命のない物を生きているかのように扱うとは、許されぬ悪魔の技!」
「魔法には、光の魔法と闇の魔法があってな、我々魔法使いは両者を分けて考えておる。そして、生徒たちは本校創設者ミリエル・デュランの『
数え切れないくらいの群衆とちょっと狂信者じみた聖職者を相手に、校長先生は一人で
「オーリィ、こっち!」
唐草模様の門扉が細く開いて誰かが手招きした。
私はフェニックスを小脇に駆け込む。
「……いったい、何があったの?」
「バカねえ。あなたが休んでいる間に、学校を取り巻く暇な奴らが増えて、今日はとうとうこの騒ぎよ」
普段は私を目の敵にしている、イライザが呆れたように言った。
赤みの強い金髪のツインテールに大きなリボン。
親は大きな貿易商で、異国や海に関しては私よりたくさんの知恵を持っている。ひどく意地悪だけど。
なるほど、学校の敷地の中の寮に住んでいるイライザにとって校門の外の騒ぎは高みの見物ね。
「……だって……あの晩は皆魔法学校に避難したじゃない」
私は誰にともなく弱々しく抗議した。
それで、魔王ダリオンと出会って……。
「私なんかネグリジェで先導したわよ。義務は果たしたわ」
背中に妙な視線を感じて振り向いた。
「フェニックス?」
強い視線だけど、邪眼じゃない。誰?
視線はじきに消えた。
「魔法学校は国王陛下が認めた学校じゃ。魔法学校を認めぬということは、国王陛下の
「……こ、国王とて、神の
二人の議論は続いていた。
「ふうむ。これはもう、仕方ありませんな」
校長先生が
「皆さん、校門を解放するので、どうぞ中に入って、実際に魔法学校でどんな授業が行われているか、見てもらいましょうぞ」
若い聖職者エマニュエルは校長先生の威厳に気圧されたように一瞬黙り、
「い、良いだろう。神の教えに背くことを教えていれば、即座に告発してやる!」
「もちろん。ただし、ここには十歳から十六歳までの生徒がいる。見学は最上級生の授業に限りますぞ」
海の向こうに新しい大陸が見つかってから教会の権威は揺らいでいる。その焦りがこの世界では異質な魔法使いに向かっているのね。
「門を
音もなく門が大きく開いて、剣呑な雰囲気の群衆がなだれ込んで来た。
「これはこれは、たくさんの見学者方……」
二十三人しかいない生徒に対して、五十人は居ようかという群衆が、教室に押しかけている。
エリゼ・フローレル先生は、白髪のショートカットに緑の目。額に残る
「魔法の歴史を順を追って簡単に説明しましょう。魔法はもともと魔族のものでした。長い年月の間に人と魔族の間に交わりが生じ、魔力を持つ人間が生まれました。これが魔法使いです」
「
誰かが叫んだ。
「魔法使いはあくまで人間です。姿形もそうですし、魔族のような長寿もありません」
エリゼ先生は、ひとにらみで相手を黙らせた。
「魔法をまとめて体系立てたのが本校の開設者であるミリエル・デュランです。そして皆さんが心配している闇の魔法ですが『ミリエル・デュランの誓』で縛られている生徒は使うことができません。例をお見せしましょう」
畳み掛けるエリゼ先生の前に群衆は黙るしかない。
「オーロール・モランジュ、前に出なさい」
「ひゃい!」
私はびくびくしながら教壇の横に立つ。
「君ならやれるよ」
リュックの声が背中を押す。
この実験に、嫌悪を示している者、好奇心をあらわにしている者……ザワッとどよめく群衆。
「オーロール、使役魔法は使えますね?」
「……たぶん」
「小鳥を呼んでみなさい。そうね、ナイチンゲールの歌が聞きたいわ」
こんな大勢の前で! 失敗したらどうしよう。私はナイチンゲールの歌を必死にイメージし、呪文を口にする。
「甘くさえずる
教室の半分を青白い雪のようなものが舞うと、それは私の手元に集まり、パッと輝いて小さな小鳥が元気よく羽ばたいた。ホッ、ここまではできた。
小鳥は教壇に留まり、首を傾げている。
私はさらに続けた。
「歌え、小夜啼鳥、母の子守歌に似た汝のさえずりで人の心を満たせ」
ティーツィー、ルルル……ティーツィー……。
姿からは想像できない大きなよく響く声で小鳥はひとしきりさえずった。
良かった。なんとか成功したわ。子どもたちには笑顔も見える。
「先生、呪文を解いてもよろしいでしょうか?」
先生はうなずき、私が呪文を解くと、小鳥は窓の外に飛び立った。
「では、闇の使いのクロネコを召喚しなさい」
「ひゃい。深き闇の中の存在に命じる。汝より闇の使いたるク、ク、クロ……」
舌が
それを見てクスクス笑う人たち。
「もう十分。このように、生徒は闇の魔法を使いたくても使えません」
私は転がるように自分の席に戻った。失敗しちゃった?
「よくやった。オーリィ。これで無実が証明できる」
隣の席のリュックが励ましてくれた。
そうか、失敗した方が良いこともあるのね。
勉強になったわ。
「私だってできるわよ。クジャクを召喚してみせましょうか?」
イライザが張り合う。
「勝手に召喚するのはやめましょう。教室が動物園になってしまうわ」
エリゼ先生も苦笑い。
その時、声が飛んだ。
「生徒は使えなくても教師は使えるんじゃないか!」
エリゼ先生はゆっくり声の方を向いて微笑んだ。
「もちろん使えます」
殺気が教室に満ちた。