「リリアナ、王太子殿下との正式な婚約が決まった」
──父の言葉に、私は思わず手に持っていたティーカップを落としそうになった。
「……今、なんと?」
「お前はすでに王家との婚約が決まっている。来月、正式な婚約発表が行われる」
「…………」
貴族社会では、名家同士の婚約は珍しくない。
エルフェルト公爵家は王国でも随一の名門貴族。
当然、王家との政略結婚の話が出てもおかしくはない。
だが──
「なぜ、私が王太子と……?」
「決まっているだろう。お前は公爵家の令嬢として、最も適した血筋だからだ」
淡々とした父の言葉に、私は少しだけ違和感を覚えた。
……それだけではない気がする。
「ちなみに、王太子殿下はどのようなお方なのでしょう?」
「アレクシス王太子は才覚に優れた青年だ。王国の未来を担うに相応しい器を持っている」
アレクシス・フォン・ルクセリア王太子──この国の王位継承者。
将来の王となる人物。
だが、私が知る限りでは、彼は──
「貴族社会のしきたりに厳しく、品格を重視することで有名ではありませんでしたか?」
「その通りだ」
父は頷く。
つまり、彼は私のような剣を握る貴族令嬢をどう思うのか。
……多分、良くは思わないだろう。
私はすでに戦士としての才能を発揮してしまっている。
いくら公爵令嬢とはいえ、社交界に適さない令嬢と見なされれば、婚約破棄の可能性も高い。
そして、なぜか──
「この婚約、後で破棄されそうな気がするのですが……?」
そんな直感が、頭をよぎった。
「それでは、お嬢様。そろそろ準備をなさいませ」
専属メイドのミレーヌが微笑みながら、私のドレスを手に取る。
今日は王宮での正式な顔合わせ。
つまり、王太子殿下と初めて会う日だ。
私は長いため息をつきながら、豪華なドレスに着替えた。
青と白を基調とした清楚なドレスは、確かに美しい。
鏡に映る私は、貴族令嬢らしく見えるだろう。
──ただし、私の“内面”を知らなければ、だが。
この数週間で、私は父の命令のもと剣術訓練を続けていた。
その結果、体の動きは格段に向上し、すでに王国の騎士すら凌駕するレベルに達している。
もはや、貴族令嬢というよりは戦士そのもの。
……そんな私が、王太子と会う?
「お嬢様、ご心配ですか?」
ミレーヌが心配そうに尋ねる。
「ええ……というより、なんだか嫌な予感がしますの」
「嫌な予感?」
「王太子殿下は、伝統や格式を重んじるタイプなのですわよね?」
「はい。そのようにお聞きしております」
「つまり、令嬢が剣を振るうなんて論外と考える可能性が高いのです」
私は呆れたようにため息をついた。
「どう考えても、私のような存在は相容れませんわ」
「……ですが、お嬢様は間違いなく公爵家の誇り高き令嬢です」
ミレーヌは真剣な表情で言う。
「お嬢様がどのような才能を持っていても、それが変わることはありません」
「……ミレーヌ」
彼女の言葉は、確かに嬉しかった。
だが──
「この婚約、絶対に破棄されると思いますのよね……?」
私は、そう確信していた。
王宮の大広間。
煌びやかな装飾が施された天井、金の装飾が散りばめられた壁。
貴族たちが整列する中、私は一人、中央へと進み出る。
──そして、私の目の前には、一人の青年がいた。
「……貴女がリリアナ・フォン・エルフェルト公爵令嬢ですか?」
低く響く声。
端正な顔立ちに、冷静な瞳を持つ男。
彼こそが、アレクシス王太子だった。
私は優雅に一礼する。
「お初にお目にかかります、王太子殿下」
「……」
アレクシスはしばらく私をじっと見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「貴女のことは、以前から聞いております」
「まあ、それは光栄ですわ」
「──剣を握る、
「…………」
やはり、その話が出るのですね?!
私は微笑みを浮かべながら、あえて淡々と返した。
「ええ、確かに私は剣を扱いますわ」
「……それは、自ら望んでのことですか?」
「いえ、父の命令でしたの」
「それでも、貴族令嬢でありながら剣を握ることに疑問を感じなかったのですか?」
「……疑問?」
私は少しだけ考えた。
確かに、前世では普通のOLだった私が、今や剣を振るう立場にある。
本来なら、疑問を持つのが普通なのかもしれない。
しかし──
「疑問、ですか」
私は王太子をじっと見つめ、静かに微笑んだ。
「剣を握ることで得られるものがあるのなら、それを拒む理由はありませんわ」
「……」
王太子は、私の言葉にしばらく沈黙した。
そして、彼はゆっくりと私の前に歩み寄ると、低く呟くように言った。
「貴女は……実に興味深い」
「……?」
「しかし、貴族令嬢として相応しいかどうかは、慎重に見極めねばならない」
私は、悟った。
──この王太子は、私を試そうとしているのだと。
次の瞬間、彼は淡々とした声で告げる。
「……数日後、宮廷にて正式な舞踏会が開かれる」
「ええ」
「そこで貴女が貴族令嬢として相応しいかどうか……この目で見極めるとしよう」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で確信が生まれた。
──これは、婚約破棄の前触れだ。