──冒険者ギルドの掲示板は、様々な依頼書で埋め尽くされていた。
「……これが、冒険者の世界ですのね」
私は掲示板の前で立ち止まり、一枚、また一枚と依頼書に目を通していった。
【ゴブリン討伐】
【森の魔獣駆除】
【遺跡の探索と護衛】
【魔導書の回収依頼】
依頼の種類は多岐に渡り、報酬金額も内容によって大きく異なる。
簡単な雑用から、命を懸けるような討伐依頼まで──冒険者の世界では実力がすべてだ。
「……最初の依頼ですもの、慎重に選ばないといけませんわね」
私は心の中でそう呟きながら、掲示板に張られた依頼を一つずつ確認していく。
──だが、その時。
「お嬢ちゃん、初心者ならこれくらいにしといたほうがいいぜ?」
後ろから、男の声がした。
振り返ると、粗野な風貌の男が依頼書を一枚手に取り、ニヤニヤと笑っている。
「ゴブリン討伐とか、せいぜい森の小動物の駆除がお似合いだろ?」
周囲の冒険者たちも、面白そうにこちらを見ていた。
(あら、この方々先の戦いを知らない冒険者達ですわね?)
それは訓練場にはいなかった冒険者だった。私の実力を知らなくて当然だ。
「おいおい、やめとけって。お貴族様だって背伸びくらいしたいんだろ」
「ま、本人がやりたいなら止めねぇさ。ただし、森の中で泣き叫んでも誰も助けちゃくれねぇぜ?お嬢さん?」
男たちの言葉に、私は静かに息を吐いた。
──この手の挑発は、冒険者ギルドでは日常茶飯事なのだろう。
だが、それでも。
「……お気遣いありがとうございますわ。でも、私はゴブリン退治程度では満足できませんの」
「はぁ?」
男が眉をひそめる。
私は掲示板の中央に貼られた一枚の依頼書に手を伸ばした。
【指定の魔獣討伐:フォレスト・グリズリー】
報酬金額:金貨100枚
難易度:Cランク相当
依頼内容:近隣の森に現れた大型魔獣「フォレスト・グリズリー」の討伐
「これにいたしますわ」
依頼書を掲げて告げると、周囲の冒険者たちが一斉にどよめいた。
「おいおい、正気かよ!? フォレスト・グリズリーってのは、熟練の冒険者でも手こずるやつだぜ!?」
「そうだぜ、Cランク魔獣なんて、初心者が挑んだら間違いなく死ぬぞ!」
「いくら剣が使えるって言っても、無謀すぎる!やめとけ嬢ちゃん!挑発した俺らが悪かった!流石に死なれちゃ夢見が悪い!」
ギルド内がざわめく中、私は静かに受付へと歩み寄った。
「お姉さん、私これを受けますわ」
受付嬢は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「……かしこまりました。ですが、Cランクの依頼は相応の危険を伴います。無理はなさらないようにしてくださいませ」
「もちろんですわ」
私は微笑んで答えた。
周囲の冒険者たちは、信じられないという顔で私を見送っていた。
──だが、私は知っている。
私の持つ《剣聖》のスキルがあれば、フォレスト・グリズリー程度の魔獣など、決して敵ではないことを。
「では、行ってまいりますわ。皆様」
私は依頼書を手に、ギルドを後にした。
---
「フォレスト・グリズリー。依頼書によるとこの森ですわね」
足を踏み入れた次の瞬間、森の静寂が私を包み込んだ。
森の空気はひんやりと冷たく、葉の隙間から差し込む朝日が木々を金色に染めていた。
「……さて、ここからが本番ですわね」
私は深く息を吸い込み、剣の柄にそっと手を添えた。
フォレスト・グリズリー──その名の通り、森林に生息する巨大な熊型の魔獣だ。
体長は成人男性の数倍にも及び、分厚い毛皮と筋肉で覆われた肉体は、並の剣では傷一つ付けられないとされる。
その上、驚異的な腕力と素早さを兼ね備え、一度狙われれば逃れるのは困難。
初心者の冒険者が相手にするには、あまりにも荷が重い存在だ。
私は依頼書の裏側を見た。
「……あら、あの受付のお姉さん。粋なことをしてくださいますわね」
依頼書の裏には直筆で『どうかご無理はなさらず』。と書いていた。
「ありがたいお言葉ですが、生憎私はフォレスト・グリズリー程度では負けませんわ」
私は地面に足を踏みしめ、周囲の気配を探る。
──風の音、木々のざわめき、枝を踏む小動物の足音。
すべてが鮮明に耳に届く。
これは《剣聖》の効果によるものだろう。
スキルが発動している間、私は周囲のすべてを捉えることができる。
「……あちらですわね」
耳を澄ますと、獣の唸り声が微かに響いた。
私は音の方向へと静かに歩を進める。
──やがて、視界に広がったのは倒木と荒れ果てた草地だった。
「……!」
そして、その中央に佇む影──
体長は三メートルを超え、分厚い毛皮はまるで鋼鉄の鎧のように光を反射している。
その両目は血のように赤く、鋭い爪はまるで刃物のように輝いていた。
──フォレスト・グリズリー。
その圧倒的な存在感に、一瞬だけ背筋が凍る。
だが、私は剣を握り直し、静かに前へと進んだ。
「……貴方が、この森を荒らしているお方ですわね?」
グリズリーの耳がピクリと動き、次の瞬間、唸り声と共にこちらを睨んだ。
「────ッ!」
その瞬間、地面が揺れた。
フォレスト・グリズリーが咆哮を上げ、地を蹴って一気に距離を詰めてきたのだ。
「速い……!」
体格に似合わぬ速度。
しかし──
「それでも、遅いですわね!」
スキル発動──《剣聖》
視界が鮮明になり、グリズリーの動きがまるでスローモーションのように見える。
私は最小限の動きでその巨体をかわし、即座に反撃に転じた。
「──はっ!」
手に持つ剣を横に振り、グリズリーの脇腹を斬る。
だが、分厚い毛皮が刃を弾き、火花が散った。
「……流石ですわね。Cランク相当なだけはありますわ」
私は距離を取り、次の一手を考える。
フォレスト・グリズリーが再び構え直す。
その目には、獲物を狙う獣の本能が宿っていた。
──だが、私に恐れはなかった。
「では、こちらも本気を出しますわ」
私は剣を構え、体に力を込める。
スキル発動──《武神》
全身の筋力と反射神経が限界を超えて高まり、身体が軽く感じられる。
「さあ、参りますわよ!」
私が地面を蹴った瞬間、衝撃波が周囲の草を吹き飛ばした。
一瞬でグリズリーの懐に入り込む。
巨体が振り下ろす爪を紙一重でかわし、その腕を一刀両断──
「──斬界・壱式!」
剣が風を切り裂き、グリズリーの前脚を斬り飛ばす。
「グォォォォォォォ!!」
絶叫が森に響く。
だが、私は動きを止めない。
「これで終わりですわああああっ!」
全身の力を剣に込め、一気に跳躍──
グリズリーの頭部目掛けて、剣を振り下ろした。
「──斬界・終式!!」
一閃。
刹那、グリズリーの巨体が無音のまま地面に沈んだ。
──静寂。
私の荒い息遣いだけが、森の中に響く。
「……ふぅこれで、依頼達成ですわね。これがCランクですのね。確かに、ギルドの中にいた誰よりもお強い方でしたわ」
剣を収め、森を見渡す。
今、確かに私は冒険者としての第一歩を踏み出したのだ。
その実感を噛み締める。ようやく冒険者として依頼を達成した。
「……さて、確かギルドの規定では討伐の証として、魔獣の一部を持ち帰る必要がありましたわね。……どの部分をお持ちすればいいので?」
迷った末、結局私はフォレスト・グリズリーを担ぎ上げギルドへと帰ることにした。