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第十話「最強令嬢、ギルドに帰還す」

 森の静寂を背に、私はフォレスト・グリズリーの亡骸を担ぎ上げ、ゆっくりと歩き出した。


「……さすがに、少し重いですわね」


 筋力を強化する《武神》の効果は既に解除されているため、全身にずっしりとした重みがのしかかる。それでも、成人男性の数倍はあろうかというこの魔獣の巨体を持ち運べるのだから、私の体が人間離れしていることに違いはない。


 ──それでも、このまま運ぶのは少し目立ちすぎますわね。


 森の奥から街までの道のりを考えると、この巨体を担いで移動するのは現実的ではない。冒険者としての常識がまだ完全に身についていない私は、討伐の証としてどの部位を持ち帰れば良いのか判断に迷っていた。


「……とりあえず、首と前脚を持ち帰ることにいたしましょう」


 《剣聖》の効果を使えば、分厚い毛皮や筋肉も容易く斬り落とせる。私はフォレスト・グリズリーの首と前脚を丁寧に切り取り、持ちやすいように布で包んだ。


「これで十分ですわね」


 あとはギルドに戻るだけ。


 森を出る頃には、空が淡い夕暮れ色に染まり始めていた。足元を照らす橙色の光が、地面に長い影を落とす。


「……」


 森を歩きながら、私はふと考える。


 今日が冒険者としての第一歩だった。そして、Cランク相当の魔獣を討伐できたことで、自分の力を改めて実感した。


 ──これなら、この先どんな困難が訪れようとも、きっと乗り越えられる。


(私の冒険者としての道は、まだ始まったばかりですわね!)


 そう心の中で呟き、私は足を速めた。


 ---


 ギルドの建物が見えてくると、私は自然と歩みを緩めた。


 夕刻のギルドは相変わらずの賑わいを見せている。冒険者たちの笑い声や酒の香りが、扉の向こうから漏れ出していた。


「さて、皆様の反応が楽しみですわ」


 私は微かに口元を緩め、ギルドの扉を押し開いた。


 その瞬間──


「……っ!?」


 扉が開かれると同時に、ギルド内の喧騒が一瞬にして静まり返った。


 私の背後で揺れる布包み。その中に収められた魔獣の首と前脚が、嫌でも視線を引き寄せる。


「お、おい……あれって……!」


「まさか……フォレスト・グリズリーの……!」


「う、嘘だろ!? 本当に討伐したのか!?」


 冒険者たちの視線が一斉に私へと注がれる。驚愕と畏怖の入り混じった視線の中を、私は堂々と受付へと歩み寄った。


「ただいま戻りましたわ。依頼の品をお持ちしましたので、ご確認をお願いいたします」


 受付嬢は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべた。


「……お帰りなさいませ、リリアナ様。ご無事で何よりです」


 彼女は手際よく書類を用意し、討伐の証として首と前脚を確認する。


「確かに、フォレスト・グリズリーのものですね。これで討伐完了となります」


 その言葉が告げられた瞬間、ギルド内に再びざわめきが広がった。


「信じられねぇ……本当に一人で討伐したのか?」


「あの魔獣を?Cランク相当だぞ!?新米冒険者が仕留めたってのか……?」


「こりゃ、ただの貴族令嬢じゃねぇな……」


 男たちの声が次々と耳に飛び込んでくる。


 私は彼らの視線を一身に浴びながら、静かに微笑んだ。


「……これで、私もようやく冒険者として認めていただけますかしら?」


 誰も、何も言えなかった。


 だが、その沈黙こそが答えだった。


 受付嬢が報酬の金貨を差し出しながら、心からの笑みを見せた。


「本当にお見事です、リリアナ様。これからのご活躍を楽しみにしております」


「ありがとうございますわ。あと、粋な計らいありがとうございますわ。お姉さん」


 私はそう言うと報酬の袋を受け取り、軽く頭を下げた。


 そして、冒険者たちを一瞥すると、ゆっくりとギルドを後にした。


 ──これで、第一歩は踏み出せた。


 だが、これはあくまで始まりに過ぎない。


「次は、どんな依頼が待っているのかしら?私、何だがワクワクが止まりませんわ!」


 私はギルドの階段をゆっくりと下り、街に出た。

 街の通りにはランタンの灯りが揺らめき、冒険者や商人、街の住人たちが行き交っている。賑やかな笑い声や荷馬車の音が響き、どこか温かな空気が漂っていた。


「……ふふ、これからが本番ですわね。……異世界もこの口調も何だか馴染んできましたわ」


 胸元の報酬袋をそっと握りしめる。金貨の重みは、ただの貨幣以上の意味を持っていた。

 貴族令嬢としての束縛を捨て、初めて自分の力で掴み取った成果。それは、これから歩む冒険者としての道を確かなものにしてくれるはず。


「さて、次はどんな依頼を選ぼうかしら」


 軽やかな足取りで通りを歩きながら、私はこれからの冒険に思いを馳せた。


 ──だが、その時。


「おい、待て!」


 背後から男の声が響いた。


 振り返ると、ギルドで私を見ていた冒険者の一団が立っていた。先ほど私をからかっていた粗野な男を先頭に、数人の男たちがこちらに歩み寄ってくる。


「よお、お嬢ちゃん。フォレスト・グリズリーを仕留めたってのは本当らしいな?」


「ええ、何かご用かしら?」


 私は微笑みを崩さずに答えたが、男たちの視線はどこか探るようなものだった。


「いやなに、ちょっと信じられなくてな。あの魔獣を新米冒険者が一人で討伐するなんて、普通じゃ考えられねぇ。……お前、一体何者なんだ?」


 その問いに、私はゆっくりと視線を彼らに向けた。


「私はただの冒険者ですわ。ただ”少し剣が得意なだけ”の、ね」


「少し……だと?」


 男たちの間に緊張が走った。


 その視線の中には、単なる驚きだけではない。──恐れと、警戒。そして、一部には嫉妬も混じっていた。


 冒険者にとって、実力こそが全て。実力のある者は尊敬されるが、あまりに突出した力は時に妬みや敵意を生むものだ。


(……これも、冒険者として生きていく上で避けられないことですわね。冒険者の洗礼といったところでしょうか)


 私は心の中で静かに息を吐いた。


「ご心配には及びませんわ。私は誰かを傷つけるために剣を振るうわけではございませんもの。ですが──」


 一歩、前に出る。


「もし、私に挑もうというのであれば──いつでもお相手いたしますわよ?」


 その一言で、男たちの表情が一変した。


「なっ……!」


「こ、このお嬢ちゃん……!」


 一瞬、全員の背筋に緊張が走る。


 先ほどのギルドでの戦いを見ていない彼らも、ただの一歩で私の“気配”を理解したのだろう。


 ──目の前に立っているのは、ただの貴族令嬢ではない。

 ──剣を握り、魔獣を屠る者。


 その“事実”が、彼らの心に深く刻まれたのだった。


「……ちっ、冗談だよ、冗談!」


 粗野な男はそう言って手を振ると、仲間を連れて踵を返した。


「まあ、せいぜい気をつけるんだな、お嬢ちゃん。この街には、お前みたいな目立つ奴を良く思わねぇ連中もいるんでな」


 最後にそう言い残し、彼らは夜の街へと消えていった。


「……ふふ、そういう世界ですものね」


 彼らが消えた路地を見つめながら、私はそっと呟いた。


 冒険者として生きる以上、敵は魔獣だけではない。

 人の妬みや野心──それもまた、乗り越えなければならない壁だろう。


「……でも、私は止まりませんわ。だって私は自由ですもの」


 再び歩き出し、夜空を見上げる。


 輝く星々は、これから待ち受ける数々の冒険の始まりを告げているようだった。


「次の依頼は……もう少し難易度を上げても良いかもしれませんわね」


 胸の奥に、静かな炎が灯るのを感じながら。


 ──冒険者・リリアナの物語は、まだ始まったばかりである。

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