窓から差し込む朝日が、木製の天井に淡い光を映し出す。
私はゆっくりと瞼を開け、柔らかな羽毛布団の感触を感じながら小さく息を吐いた。
「……んっ……」
天蓋付きのベッドとは違う、少し硬めのマットレス。
けれど、この小さな部屋には妙な安心感があった。
私は身体を起こし、部屋の中を見回した。
質素だが清潔感のある室内。
木の家具に白いカーテン、シンプルな机と椅子。
この世界に来て初めて過ごす“自由な朝”だ。
「ふふ……本当に、私冒険者になったんですのね」
昨夜の出来事を思い返し、胸元に置かれた金貨の入った袋に触れる。
金貨の重みは、これまでの貴族生活では決して得られなかった“自分の力”の証だった。
「さて、今日も頑張りますわよ!」
私は布団を跳ね除けて立ち上がり、手早く着替えを済ませた。
着るのはもう豪華なドレスではない。
動きやすいブラウスにベスト、タイトなズボン。
腰には愛用の剣をしっかりと帯びる。
「うん、これでよし!」
鏡に映る自分を見て、満足げに頷く。
優雅さは薄れたかもしれないけれど、この装いが今の私にはよく似合っている気がした。
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宿の階段を降り、食堂に立ち寄ると、朝食を取る冒険者たちの声が心地よく耳に入ってきた。
「お嬢ちゃん、もう出かけるのかい?」
宿の女将が笑顔で声をかけてくる。
「ええ、今日は新しい依頼を探しにギルドへ行きますの」
「そうかい。あんた、昨日の噂で持ちきりだよ。フォレスト・グリズリーを一人で倒したって聞いて、みんな驚いてたよ」
「あら、そうですの?」
私は笑みを浮かべて答えたが、心の中では少し驚いていた。
昨日のことがもう街中に広まっているなんて。
冒険者の世界では噂が広まるのが早いとは聞いていたけれど、これほどとは。
「でも、くれぐれも気をつけるんだよ。あんたみたいな新人が目立つと、妬む人も出てくるからね」
「ありがとうございますわ。でも、心配には及びませんの。私は自分の力を信じていますので」
女将の心配に笑顔で答えると、私は朝食を手早く済ませて宿を後にした。
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街の通りは朝の活気に満ちていた。
パン屋の甘い香りや果物売りの元気な掛け声が響き、行き交う人々の笑顔が溢れている。
石畳を踏みしめながら歩くその足取りは、昨日までの私とは少し違う気がした。
(この街も、少しずつ馴染んできましたわね)
貴族としての束縛を捨てた今、私はようやく自分の足で歩き始めたのだ。
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ギルドの扉を開けると、朝早くから依頼を求めて集まった冒険者たちの声が響いてきた。
「おはようございますわ皆様!」
軽く挨拶をして中に入ると、いくつかの視線がこちらに集まる。
昨日の戦果を知っているのだろうか、彼らの目には驚きと興味が混じっていたが、敵意を向ける者はいなかった。
(……昨日の一件で、少しは認めてもらえたようですわね)
そう思いながら掲示板に目を向けた瞬間──
「あっ……!」
小さな声が耳に届いた。言葉にもならないたった一言、聞き覚えのある声。
私はその声に振り向き、そして思わず目を見開いた。
「ミレーヌ……?」
そこに立っていたのは、見間違えるはずのない人物だった。
公爵家で私に仕えていた専属メイド──ミレーヌ。
彼女は驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべ、そっと胸元に手を当てた。
「お、お嬢様……本当に、リリアナお嬢様なんですか……!?」
「ええ、そうですわ。でも、どうして貴女がここに?」
私は思わず駆け寄ると、彼女の両肩に手を置いた。
「それは……」
ミレーヌは少し困ったように視線を逸らしたが、やがて意を決したように口を開いた。
「私、お嬢様が家を出て行かれてから、どうしても心配で……それで、後を追ってこの街まで来たんです」
「まあ……!」
私は一瞬、言葉を失った。
「でも、どうしてここだと?」
「お嬢様が冒険者になると仰っていたので、きっとこのギルドにいらっしゃると思って……」
「……そこまでして、私を探しに?」
「はい……」
ミレーヌの瞳は真剣だった。
「私はこれからもお嬢様の側にお仕えしたいのです。もしご迷惑でなければ……これからも一緒にいさせていただけませんか?」
その言葉に、私は思わず笑みを零した。
「迷惑だなんて、とんでもありませんわ。……ふふっ、心強い味方が増えましたわね!」
「お嬢様……!」
目を潤ませるミレーヌの手をそっと握りしめると、私は再び掲示板に向き直った。
「さて。それでは、二人で今日最初の依頼を選びますわよ!」
「はい!」
こうして私は、思わぬ再会によって新たな仲間を得たのだった。
しかし、ミレーヌはこの街でのリリアナの噂をまだ知らない──。