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第二十話「夜行襲撃」

──深夜、ギルドの一室には静寂だけが満ちていた。


 月明かりが窓越しに差し込み、淡く照らされた部屋の中では、ミレーヌの浅い呼吸だけがかすかに響いている。彼女の顔は痛みに苦しんでいるわけでも、悪夢にうなされているわけでもなかった。ただ、深い眠りの奥底に閉じ込められているようだった。


「ミレーヌ……」


 私は彼女の手を握り、じっとその顔を見つめていた。どれだけ呼びかけても、どれだけ祈っても、その瞼が開かれることはない。呪いに蝕まれたその体は、まるで目覚めることを許されていないかのようだった。


(私がもっと早く動いていれば……)


 胸の奥に押し込めていた後悔が、再び心を締め付ける。あの刹那の迷いが、この小さな命を危機に追いやったのだ。私の力では、まだ大切な人を守るには足りなかったのかもしれない。


(それでも……絶対に諦めませんわ。どんな手を使ってでも、貴女を必ず助けてみせます)


 私は唇を噛みしめ、震える呼吸を抑え込んだ。戦うことは得意でも、癒すことはできない。それでも、戦うことによって道を切り開くことはできるはずだ。この手が握る剣で、ミレーヌを助ける方法を見つけ出す。


それが今のリリアナに出来る精一杯だった。


その決意を胸にした、次の瞬間──


「……っ!」


 胸の奥に鋭い違和感が走る。全身の肌が粟立ち、背筋に冷たい刃を突き立てられたような感覚が私を貫いた。


(この気配……!)


 視線を窓に向けた。外には誰もいない。だが、この気配だけは忘れるはずがない。あの夜、ミレーヌを傷つけたあの男──“影狼”ガルス・クロウリーが、すぐ近くに、それもこのミレーヌが眠る一室に確実に居る。


(どうして……ギルドの中に!?なぜ居場所が!?)


 私は椅子から立ち上がり、焔銀の剣の柄にそっと手を添えた。心臓の鼓動が早鐘のように響く中、室内の気配を研ぎ澄ませる。だが、どこにも異常はない。耳を澄ませても、廊下の奥に続く人々の気配だけが微かに伝わってくる。


(まさか……ずっと跡を着けられていた!?)


 その予感が正しかったことを、次の瞬間に知ることになる。


「……よお、令嬢冒険者」


 声がした。


 だが、どこから聞こえたのか分からない。


「この間は随分と楽しませてもらったぜ。そこの嬢さん、残念だなぁ?今でもあの時の感覚が忘れられねぇぜ……今夜でお前もその女同様終わりにしてやるよ」


「……っ!」


 私はすぐに焔銀の剣を引き抜き、部屋の中央で構えた。


「どこにいますの!?」


「さあな……さて、ショーの幕開けといこうぜ」


 その言葉と同時に、空気が裂けた。


「──ッ!?」


 目には見えない、だが確かに感じる刃の気配が迫ってくる。私は本能的に体を捻り、間一髪でそれを避けた。刃が空気を切り裂く音だけが、耳元に残る。


(どこにいるのか分からない……!)


「へえ……今のを避けるとはな。だが、次はどうだ?」


 再び空気が裂ける音。今度は右から。私は剣を横に薙ぎ払い、何もない空間を斬り裂いたが、刃は空を切るだけだった。


「ははっ、無駄だよ令嬢さん。姿を見せる義理なんざ、俺様にはないんでね。俺様の依頼達成率は百パーセント。金さえ貰えば誰であっても殺してきた。どうだ?お前も今回の依頼主より高い金額を出せばお前の犬になってやるよ」


「くっ……!ふざけるのも良い加減に──」


 私は後ずさり、ベッドに横たわるミレーヌの前に立ちはだかった。


(このままでは……!)


「どうした、剣を構えたままじゃ何も守れねぇぜ?それに勘違いするなよ?お前のことは依頼主から聞いている」


(……アレクシス・フォン・ルクセリア王太子)


「お前は貴族の中でも名家なんだってな?俺様はその辺詳しくねぇが、今のお前を見れば分かる。お前じゃ俺を雇えないってな」


 男の声はあざ笑うように響く。


「元より貴方を雇う気などありませんわ!牢屋にぶち込むだけしか考えていませんもの!」


「ハッ!威勢だけはいいな。……冥土の土産として特別に教えてやろう。今回俺が雇われた金額は金貨だ。すげぇよなぁ。貴族ってのは。”元”貴族のお前ならこの価値がどれ程のものか分からんだろう。俺たち日影者にとっちゃ、家族や恋人を殺してでも欲しい額だ。……だが、今のお前は貴族じゃない、冒険者だ。それが仇となったな」


(ごちゃごちゃとうるさい方ですわね……)


「何度も言わせないで下さいませ!どれだけ金貨を持っていたとしても貴方なんて雇う気微塵もありませんわ!とっとと牢屋に入ってくださいませ!」


──そして、再び見えない刃が襲い掛かってきた。


「はあああっ!」


 私は焔銀の剣を振るい、迫り来る気配に応戦した。だが、相手の刃は姿を見せない。感覚だけを頼りに、私は次々と繰り出される斬撃を防いでいく。だが、それでも完全には防ぎきれない。


「──ッ!」


 鋭い痛みが肩を裂き、鮮血が飛び散った。だが、私は剣を握る手は決して緩めない。


「チッ、なかなかしぶといじゃねぇか。だが、どこまで耐えられるか見物だな」


 さらに襲い来る斬撃を、私は必死に剣で受け止め、あるいは身を翻して避ける。だが、確実に体は傷ついていく。刃が切り裂くたびに、肌を裂く感覚と血の生温かさが伝わってきた。


(だめ……このままじゃ、倒れる……)


 命が削られていくのを感じながら、それでも私はミレーヌの前を退くことはなかった。


──だが。


「な、なんだ……?」


 男の声に、わずかな困惑が混じった。


「どうして、倒れない……?」


「……?」


 私自身、息が上がり、全身に傷を負っているはずだった。だが、次の瞬間、ふと自分の体に違和感を覚えた。


(……あれ?)


 傷の痛みが、ほとんど感じられない。肩を裂かれたはずの箇所は、もう血が止まり、皮膚が再生しかけていた。腹部の浅い傷も、既に塞がりかけている。


(これは……一体……?)


「……どういうことだ?お前……」


 男の刃が再び迫ったが、私はそれを見切り、弾き飛ばした。


「ハァッ!」


「くそっ、なぜだ……!?さっきまでの傷はどこへ消えやがった!クソッ」


 男の声が苛立ちに満ち始めた。


「なるほど……分かったぞ。俺の武器同様、その防具に何か仕掛けがあるんだな?だが、そんなものがいつまで持つかな!」


「……」


(何を言っているのかしら……?)


 私はまだその意味に気付いていなかった。


──だが、この時、私の体には確かに“何か”が発動していたのだ。

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