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第二十一話「狂気の序曲」

──空気が裂ける音と共に、刃が私の体を掠めた。


「くっ……!」


 熱い痛みが走るが、私は歯を食いしばって剣を握り直した。

 視界の端で男の影が揺れ、再び姿を消す。


「ハァ……ハァ……」


 胸の奥に溜まった息を吐き出し、意識を集中させた。

 肌にまとわりつくような静寂の中、私の耳に響くのは自分の鼓動だけ。


「そろそろ限界だろうぜ、お嬢ちゃんよ」


 闇の中から響く声が、皮肉げに笑った。


「だが驚いた。まさかあれだけ斬られても立っていやがるとはな……普通ならとっくに動けねぇはずだ」


 その声が右から左へと移動する。

 だが、気配はどこにも感じられない。


(どこに……?)


「まあいい。これ以上やっても時間の無駄だ。そろそろ楽にしてやるぜ」


 その言葉と共に、見えない刃が加速する。


「くっ──!!」


 反射的に剣を振るうが、刃は空を切る。

 刹那、背後から殺気が迫った。


「遅ぇよっ!!」


「──ッ!?」


 刃が肩を裂き、血が床を染める。


「あああああっ!!」


 崩れるように膝をつき、手のひらが冷たい床を叩く。

 だが、私はすぐに剣を握り直し、顔を上げた。


「ここまでやってまだ立つだと……!?お前ほんとになんなんだよ……!」


 男の声に、明らかな動揺が滲む。


「はぁ……はぁ……これしきの傷で……倒れるわけにはいきませんの……!」


「フン、根性だけは一人前ってか。だがその頑丈な体を恨むんだな。痛みだけが続くだけだぜ」


 影が揺らめき、再び消える。


(──今度こそ、捕らえますわ!)


「スキル発動──《剣聖》!!」


 世界が研ぎ澄まされ、微かな音さえも鮮明に響き渡る。

 気配はない。それでも、この空間に奴がいることだけは確信できた。


(来い……来なさい……!)


 一瞬の静寂。


 ──そして、空気を裂く音。


「そこですのっ!!」


 私は振り返り、全身の力を込めて剣を振り下ろした。


「なっ──!?」


 刃が影に触れ、刃同士のぶつかり合う金属音が部屋に響き渡る。


「クソッ、読まれたか!」


「もう、貴方の動きには慣れましたわ……!」


 体力の限界が近づいているのは分かっていた。

 だが、今この瞬間だけは全てを賭ける。


「武神──発動!!」


 全身に力が溢れ、視界が鮮明になる。

 私は地を蹴り、一直線に男の懐へと飛び込んだ。


「これで……終わりですわああああああっ!!」


「バカがっ……!!」


 刃と刃が火花を散らし、衝撃が部屋中に炸裂する。


「斬界・終式!!!!」


 銀の軌跡が空間を裂き、男の体を真一文字に貫いた。


「ぐあああああああああああああああっ!!!!」


 男の体が壁に叩きつけられ、血を吐きながら崩れ落ちる。そしてやっとその姿を表した。


「はぁ……はぁ……クッソ……まさかこの俺様が……」


 私は剣を下ろし、ゆっくりと息を整えた。

 床に倒れた男の肩が微かに上下するが、もはや戦う力は残されていない。


「……これで……終わりですわね……」


 剣を収め、ゆっくりとミレーヌの元へと歩み寄った。


「ミレーヌ……もう大丈夫ですわ……」


 その手を優しく握り締め、私は目を閉じた。


 ──ようやく夜の静寂が、訪れた。


かと思われた──。



「甘いぜ……令嬢さんよ」


男は再び姿を消した。


「まだやる気ですの!?」


(確実に切ったはず……!)


「相手の姿が見えないってのは戦いづらいだろう?お前の攻撃はギリギリ俺を致命傷になるような攻撃までは届いちゃいねぇのよ……とはいえ、今日は俺も疲れたんでな。次回に持ち込みといかせてもらうぜ。じゃあな、令嬢さんよ。俺はいつでもお前を”見ている”ということをゆめゆめ忘れるな」


そう言い残し、男は消えた。


「……また逃してしまいましたわ。でも、ミレーヌが無事で何よりですが……」


未だ眠り続ける状態の今の彼女を果たして無事と言えるのだろうか。


リリアナは自分の呟いた言葉に疑問を持った。


---


「まだか……遅い。何をしているのだ。まさか失敗したのではあるまいな」


 蝋燭の炎がゆらめき、薄暗い部屋で微動だにせず、偉そうに椅子に座るアレクシスの声には、焦燥と苛立ちが滲んでいた。


(遅い……遅すぎる。あの女を手に入れるのに、これ以上の時間はかけられないというのに。なぜだ……なぜこうも上手くいかない!?)


「アレクシス様、恐らくそのような事は無いかと」


 低く響いた声にアレクシスは眉をひそめて振り返る。部屋の奥から静かに進み出たのは、無駄のない動きで歩く、主に仕える執事のアルフォードだった。整った背筋と深く刻まれた皺の中に、長年の戦闘経験が垣間見える。


「ガルス・クロウリー──彼はどんな卑怯な手を使ってでも、必ず相手が死ぬまで追い続ける狩人と聞いております。これまで標的を逃がしたことは一度もないと」


「……そんなことは分かっている!」


 アレクシスの声が一気に尖り、室内の静寂を裂いた。炎がその熱に揺らめき、壁に映る輪郭が不規則に踊る。


「僕が言いたいのは時間だっ!リリアナを連れてくるのは前提だ!失敗など考えてはいない!あってはならないのだ!!」


 拳を強く握り締め、青白い皮膚に血管が浮き上がる。爪が手のひらに食い込んでも、彼は動じない。


(時間がない……このままでは、あの女は手の届かない場所に行ってしまう。そんなことは絶対に許されない。あの瞳も、その声も、その存在も、すべては僕のものだ……!……だがもしそれが叶わないのなら──)


「僕には時間がない……それはお前も分かっているだろう、アルフォード」


「……はい。申し訳ありません。では、すぐに次の者を──」


「いい」


 アレクシスはゆっくりと顔を上げた。瞳に宿る光は鋭く冷たく、胸の奥に渦巻く狂気を覆い隠すことなく放っている。


「アルフォード、お前が行け」


「……私が、ですか?」


 一瞬、老いた瞼の奥で眼光が鋭さを増す。だが、アレクシスの眼差しに一片の迷いもなかった。


「僕は二度は言わないっ!!」


 アレクシスの怒声にアルフォードはこれ以上の話に意味がないと感じた。


「……畏まりました」


 静かに頭を下げたアルフォードの背筋は揺るがず、その顔に感情の色はなかった。ただ、命令を遂行する者としての覚悟だけがそこにあった。


 その背中を見送りながら、アレクシスは唇を噛み締めた。口元にじわりと滲んだ血の味が、胸の奥で渦巻く焦燥と混ざり合う。


(もう失敗は許されない。今度こそ……今度こそ、あの女をこの手に──!)


「……どいつもこいつも、僕を馬鹿にしやがってっ!クソがっ!」


 机を叩く拳の音が部屋に響き渡る。置かれた書類が跳ね、蝋燭の炎が一瞬だけ大きく揺らめいた。だがアレクシスはそれに目もくれず、ただひたすらに瞳の奥に渦巻く執着を燃やし続けていた。


「……アレクシス様は変わられた。しかし、焦るのも無理もないでしょう。いずれにしても私が出るという事は、リリアナ様には申し訳ありませんが、生きて捕えるのは不可能。運が無かったと思ってもらうしか無いでしょうな」


アレクシスの一室を出たアルフォードは誰にも聞こえ無い声で一人静かに呟いた。

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