──ギルドのホールに足を踏み入れると、早朝にも関わらずすでに冒険者たちが集まり始めていた。火の灯る暖炉の前で談笑する者、武器の手入れをする者、そしてカウンターで依頼を確認する者──それぞれの一日が始まろうとしていた。
だが、私の目は人混みの中を探し続けていた。
「昨夜のことを知っている者がいれば……」
小さく息を吐き、私は足を進めた。
「昨夜、ギルドの宿で何か物音を聞いた者はいませんか?」
「ん?物音?」
大柄な男が首を傾げる。
「いや、何も聞こえなかったが……」
「俺もだ。むしろ、随分と静かな夜だったと思うが」
「まさか何かあったのか?」
周囲にいた冒険者たちが訝しげに私を見やる。
「……いえ、大したことではありませんの」
そう答えるしかなかった。
(どういうことですの……?)
あれだけの戦闘があったにも関わらず、誰一人として気付いていない。それは単に彼らの注意不足というだけでは説明できない気がした。
私はカウンターへと向かうと、馴染みの受付嬢──シエラに声をかけた。
「おはようございます、リリアナ様。ミレーヌ様の容態はいかがでしょうか?」
「それがまだ目を覚ましていませんの……それより、昨夜のことなのですが……」
私はできる限り昨夜の戦いについて詳細に説明した。だが、シエラの反応は冒険者たちと同じだった。
「それは……確かに大変な状況だったようですね。でも、私も何も聞いていませんでしたし、他の者からもそのような報告はありませんでした」
「そうですの……」
「ですが、そういった特殊な武器を持つ者については聞いた事があります」
「本当ですの!?」
「はい、名は『カゲロウ』」
「カゲロウ……?」
その名に私は眉をひそめた。
「ええ。裏社会に属する者たちが集う組織です。表向きには存在しないとされていますが、暗殺や諜報活動では彼らの名が度々囁かれることがあります。ただ、詳細を知る者はほとんどいません」
(カゲロウ……)
その言葉が胸に重く響いた。その者の一人がミレーヌを……。
「ありがとうございました、お姉さん。引き続き、何か情報が入りましたら教えてくださいませ」
「もちろんです。どうかお気をつけて、リリアナ様」
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ギルドを出て、朝陽の下を歩きながら私は考え続けた。
(やはり、昨夜の男はただの刺客ではありませんでしたわね。あの気配、あの動き……そして、撤退を繰り返すその行動には何か意図があるはずですわ)
その考えが重くのしかかる。だが、それ以上に心を締め付けるのは──
「……ミレーヌ」
名前を口にした途端、胸が痛んだ。
(あの人を探しに行かないと……「アスフィ」という名のヒーラーさえ見つければ、ミレーヌは助かるはずですわ……!)
心が逸る。だが、その足を止めるのは──
(もし私がこの街を離れている間に、またあの男が現れたら……?)
その考えが、足に鎖を巻き付けるように動きを止めた。
「でも……っ!」
思わず拳を握り締める。胸の奥で、感情がぶつかり合う。
(私が動かなければ、ミレーヌはこのまま目を覚まさないかもしれない。でも、私がいなくなれば彼女は無防備なまま……それに、今度は逃さないと約束したのに……)
思考が堂々巡りを繰り返す中、頭を抱えるように額に手を当てた。
「どうすれば……どうすればいいのですの……」
その時だった──
「──お困りのようですね。リリアナ・フォン・エルフェルト」
背後から不意に聞こえた声に、私は振り向いた。
(声を掛けられるまで気配を感じなかった……)
そこに立つのは、朝陽を背にした一人の男。
銀色の髪は陽光を受けて柔らかく輝き、端正な顔立ちは静かな余裕を湛えていた。
白を基調とした服装は洗練されていて無駄がなく、それでいてどこか非現実的な美しさを感じさせる。
腰には細身の剣が一振り。その佇まいだけで、ただ者ではないことが伝わってきた。
「あなたは……?」
自然と剣の柄に手が伸びる。だが、男は微かに唇を緩めるだけで一歩も動かなかった。
「その手を下ろしてください、僕は敵ではありません。……あ、そうか、僕としたことが名乗るのを忘れていました。……僕はユウ。まあ、単なる通りすがりだと思ってもらって構いませんよ、お嬢様」
穏やかな声が耳をくすぐる。しかし、その目の奥に宿る光は、決してただの通行人には似つかわしいものではなかった。
(……イケメンですわ)
一瞬、そんな場違いな感想が脳裏をよぎるも、すぐに打ち消す。今は目の前の男が何者なのかを見極めるべきだった。