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第二十三話「運命を託す者、託された者」

(イケメン……です……わ)


貴族育ちであるリリアナの周りには顔立ちの整った者は沢山いた。

しかし、そんなリリアナを持ってしても、彼の顔立ち、立ち振る舞い、その全てが洗礼されていた。


「……どうして私の名を?」


「この街であなたを知らない者はいないでしょう。『令嬢冒険者』リリアナ・フォン・エルフェルト──その名は、既に多くの冒険者たちの間で囁かれていますから」


「……そうですの」


(それにしても、どこかで会ったことがあるような気がするのは気のせいかしら……?)


 しかし、いくら記憶を探っても、このような美貌の青年に会った記憶はなかった。いや、会っていれば絶対に忘れるはずがない──


「それで、私に何か用があるのですか?」


「いえ、特に用があるわけではありません。ただ、少し困っているように見えたので、声をかけただけです」


「……人の背後を取っておいて、ただの通りすがりというのは、少し無理がありますわ」


「ははっ、それは失礼しました。ですが、悪意はありません。本当ですよ」


 ユウと名乗る青年はリリアナに微笑んだ。その笑顔は、どこまでも穏やかで、だがどこか掴みきれない不思議なものだった。


「ですが……あなた、ただの通りすがりではありませんわね」


「どうしてそう思うのですか?」


「気配もなくこの私が背後を取られた。それも昨夜の男のような”まやかし”ではなく、ただの歩行で。それだけで、あなたが只者ではないと分かりますわ」


 ユウは驚くでもなく、ただ目を細めた。


「さすがは令嬢冒険者……いえ、これは本当に失礼しましたね」


「……それで?あなたの正体は?」


「それは……明かせません。申し訳ありませんが、どうかご理解を」


 その答えに、私はさらに眉を寄せた。


「ならば、どうして私に声をかけたのですか?」


「あなたが悩んでいるように見えたからです」


「……」


「この街のことは心配しなくてもいい。少なくとも、あなたが不在の間に何かが起こることはないでしょう」


「それは……どういう意味ですの?」


「言葉通りの意味です。今はそれだけお伝えしておきます。あとは──あなたの決断次第です」


(……何を言っているのかしら、この人は)


「あなたが信じるかどうかは自由です。ただ、僕はあなたに後悔してほしくないだけですよ」


「後悔……?」


「はい。人は、守りたいものを守れなかった時、最も深い後悔を抱くものですから」


「……!」


 その言葉が、胸に突き刺さる。


「それでは、これで──」


「待って!」


 思わず声を上げると、ユウは立ち止まった。


「……本当に、この街に危険は訪れないのですか?」


「ええ、


「……」


(この人は、一体……?)


「さて、僕はもう行きます。あなたの決断を信じていますよ、リリアナ・フォン・エルフェルトお嬢様」


 そう告げると、ユウは再び歩き出した。


私は考える。これからの事、目の前にいる怪しさ満載で、けれど悪意を全く感じない男の事を。


(……信じてみてもいいのかしら)


「ちょっとお待ちをっ!あなたは一体──」


 顔を上げた瞬間、彼の姿はすでに街角の向こうへと消えていた。


「……」


 冷たい風が吹き抜け、髪を揺らす。


「本当に信じても……いいのでしょうか……」


 心の奥で、何かが少しだけ軽くなったような気がした。


(もし……もし本当に彼の言う通り、この街に危険が訪れないのなら……私は──)


ユウと名乗る者からは驚くほどに悪意を感じなかった。信じてもいいと、思わせる目をしていた。


 「……決めましたわ」


 そう、小さく呟くと、私はギルドの宿へと歩き出した。


(待っていてくださいませ、ミレーヌ……私が必ず、アスフィという方を見つけ出し、多少強引にでも連れてきますわ!)


---


 ギルドの宿に戻った私は、まずミレーヌの部屋へと足を運んだ。


 扉を開けると、静寂の中に微かな呼吸の音だけが響いていた。部屋には夜明けの薄明かりが差し込み、白いシーツの上に横たわる彼女の姿を静かに照らしていた。


「ミレーヌ……」


 私はベッドの傍に膝をつき、その手をそっと握りしめる。ミレーヌの小さな手はまだ温かかったが、その肌はどこか力なく、まるで目を覚ますことを拒んでいるようにも感じられた。


「必ず、貴女を助けてみせますわ」


 その言葉は、自分自身に向けた誓いでもあった。


(もう二度と……もう二度と、誰も失いたくありませんわ)


 心臓の奥から湧き上がる感情に胸が詰まり、思わず目を閉じる。だが、涙を流すわけにはいかなかった。今は、ただ前を向いて進むだけだ。


---


 私は部屋を出ると、自室へと向かった。


 重厚な木製の戸を開けると、目に飛び込んできたのは、これまでの戦いを共にした装備の数々だった。壁に掛けられた防具、棚に置かれたポーション、そして新たな相棒──《焔銀の剣》が光を反射して輝いていた。


(出発までに、万全の準備を整えませんと……)


 私はまず鞄を取り出し、必要なものを手早く詰めていった。最低限の衣類、食料、ポーション、そして金貨が入った革袋。それらを詰める手に迷いはなかったが、一瞬だけ指が止まった。


 ──それは、エルフェルト家に代々伝わる剣の鞘だった。


(私は……もう、この剣には頼りませんわ)


 かつての相棒に心の中で礼を告げ、私は再び焔銀の剣の柄を撫でた。


(今度こそ、この剣と共に……必ずやり遂げますわ)


---


 荷物を整え終えると、私は窓の外を見やった。


 街はまだ朝霧に包まれており、遠くの鐘楼がゆっくりと朝の訪れを告げていた。だが、その静けさの中にも、心の奥に小さな不安が残っていた。


(本当にこれでいいのですの……?)


 胸の奥で再び葛藤が湧き上がる。


 もし私がこの街を離れている間に、再び"カゲロウ"の刺客が現れたら──


「でも……っ!」


 迷いを振り払うように、私は拳を握りしめた。


(今動かなければ、ミレーヌはこのまま目を覚まさない……それに、ユウが言っていましたわ。この街のことは心配しなくていいと。ならば、私は彼を信じるしかありませんわね)


 最後の準備として、私は装備を身に付けた。


 黒の冒険者用コートを羽織り、腰には焔銀の剣。ブーツを履き、革製の手袋を嵌めると、心の奥から戦いへの覚悟が湧き上がってくるのを感じた。もはや令嬢の面影は微塵も感じられない。


(これで準備は整いましたわ。あとは……)


 私はもう一度、ミレーヌの部屋へと向かった。


 部屋に入ると、彼女は変わらず静かに眠っていた。


「ミレーヌ……行ってまいりますわ。必ず、貴女を助けて戻りますので……」


 その額にそっと唇を触れさせ、私は立ち上がった。


 宿の階段を下り、玄関の扉に手をかけたその時──


「──リリアナ様、どちらへ?」


 振り向くと、そこには受付でお馴染みのお姉さんシエラが立っていた。心配そうな眼差しが、私の胸に僅かな迷いを再び呼び起こす。


「……少し、用事があって」


「もしかして、アスフィとやらを探しに行かれるのですか?」


「どうしてそれを……?」


「リリアナ様のことですから、そうするだろうと思っていました。いるかも分からない人物を探しにどうしてそこまで……」


「ミレーヌは……私専属メイドであり、仲間ですから」


シエラは黙った。そして決意した顔を見せ──


「どうかお気をつけて。今の街は、この国は……リリアナ様の言葉が本当なら、正直安全とは言えません。ですからリリアナ様もどうかお気をつけて」


「……ありがとうございます。ですが、この国については大丈夫です。頼もしい紳士な方に託してきましたので」


 そう言うと、私は再び扉に手をかけた。


「では、行ってきます……あ、言い忘れてましたわ。お姉さん。貴方、エルフェルト家に仕えるものでしたの?」


「……え?」


「いえ、なんでもありませんわ。お気になさらず。では行ってきます」


 扉を開けると、朝の光が顔を照らした。


「……行ってらっしゃいませ、


シエラは静かにリリアナを見送った。


---


 街の門までの道を歩きながら、私は心の中で再び自分に言い聞かせる。


(これでいいのですわ……私が行かなくては、ミレーヌは助からない)


 やがて、街の門が見えてきた。


 鉄製の門扉は朝陽に照らされ、柔らかな光を反射していた。門の向こうには、これまでの依頼とはまた違った世界が待っている。


「……行きますわ」


 その一歩を踏み出した瞬間、胸の奥に決意の炎が灯った。


(ミレーヌ、待っていてくださいませ。必ず、必ずあなたを助けて戻りますので──)


リリアナは国を出る。大切な者を取り戻すために。


---


「……それでいい。リリアナ・フォン・エルフェルト。君ならきっと友を救える。僕は君を信じているよ。──いつか、共に戦うその日まで」


 青年は朝陽の中で静かに微笑み、リリアナの背を見送った。


 そして──


「ふぅ……早速現れたか。全く、彼女も大変だね。これだけの男たちに命を狙われ続けるなんて、さすがの僕も同情するよ」


 柔らかな声とは裏腹に、その金色の瞳には鋭い光が宿っていた。


「でも……それも、彼女が背負う運命の一部か。さて、僕も預かった役目を果たすとしよう。せめて、この街の影は僕が狩り尽くしてみせるさ」


 白い衣を翻し、銀髪の青年は街の光と影の境界へと歩み出した。


 ──その名を知る者は少ない。だが、彼こそがこの世界の希望と呼ばれる存在。

 そして今、誰も知らぬところで、人知れず戦いの幕を開けるのだった。




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