──夜の帳が街を覆い、静寂が石畳の上に広がる。
人気のない通りに、かすかに響く靴音がひとつ。
ギルドの門の前に佇む、銀髪の青年──ユウ。
「……さて、そろそろか」
ユウは遠くに続く街道を見やる。
月光に照らされたその姿は、まるでこの世ならざる者のように美しく、儚げだった。
だが、彼の瞳に宿る光は冷静そのもの。そこに迷いも動揺もない。ただ、これから訪れる戦いを見据えるのみ。
「ふむ、来たか。思ったよりも早いな……だが、リリアナに手を出させるわけにはいかない」
ユウが視線を門の影に移した刹那──
静寂を引き裂くように、冷笑が響く。
「ハハッ、随分と気取ったお出迎えじゃねぇか、銀髪の兄ちゃんよ」
歪んだ笑みと共に影から現れたのは、漆黒の外套に身を包んだ男たち。
目の奥に潜む冷たい光と、獣のような身のこなしが、ただのならず者ではないことを物語る。
その佇まいから放たれる圧力は、並の冒険者では到底耐えられないものだった。
彼らの名は──"カゲロウ"。
裏社会で名を馳せる、闇に生きるSランク冒険者たち。彼らにはそれぞれの目的があり、その為ならどんな手段も厭わない集団である。
それもただの下っ端などではなく、各地でその名を轟かせた歴戦の猛者たちの集まりだ。
先頭に立つのは、赤みがかった長髪を背に流した男。
目は血の色に染まり、口元に笑みを浮かべているが、そこにあるのは純然たる殺意のみ。
「“赤刃のランデル”……」
「おっ、俺のことを知ってやがるとは光栄だぜ、坊主」
ランデルは長身で筋肉質な体格を持ち、肌には過去の戦いを物語る無数の傷跡が刻まれている。
右手には血を吸うたびに赤く染まる
その刃には、数多の命の断末魔が染み込んでいた。
その背後に控えるのは、長い黒髪を乱し、野獣のような目つきをした男。
皮鎧に身を包み、両手に銀色の短剣を構えるその姿は、獲物を追い詰める獣のようだった。
「“双牙のグレン”……」
「へへっ、覚えてもらってるとは光栄だな」
最後に立つのは、腰まで届く氷のように白い髪を持つ女。
蒼白な肌と氷の瞳を持ち、漆黒のローブから覗く指先には冷気が漂っている。
「“氷華のセラフィーナ”……なるほど、これだけの面子が揃うとはね。依頼が相当な額だったと見える」
「ハッ、話が早くて助かるぜ。まあ、あの令嬢に“依頼”が出されてな。で、俺たちが追いかけねぇといけねぇんだわ」
ランデルがニタリと笑いながら、魔剣の刃を地面に突き立てる。
その刃先が石畳に触れると、じわじわと紅い光が滲み出した。
魔剣が血を求めて蠢く──それは、これまでどれだけの命を刈り取ってきたのかを示す証だった。
「それは困る。リリアナを傷つける者は、僕が許さない」
「ハッ、なら話は簡単だ。──お前をここで殺す!!」
刹那、夜の空気が鋭く張り詰めた。
「行くぜェッ!!」
叫びと共にランデルが地を蹴る。
その一撃は、並の冒険者なら避けることすらできない速さ。
だが──
「遅いね」
「なっ……!?」
ユウの姿が、ほんのわずかに揺らいだかと思えば、次の瞬間には消えていた。
赤い軌跡が空を切る。
ランデルの斬撃は、ユウに一片の傷も与えないまま、ただ空を裂いた。
「嘘だろ……今のを避けやがっただと……!?」
「この程度なら、視るまでもない」
「クソッ、ならこれでどうだァッ!!」
ランデルが再び斬りかかる。
刃が横薙ぎに、縦に、突きの連撃が雨のように降り注ぐ。
だが、ユウはその全てを最小限の動きで回避していく。
あり得ない。
人間の反応速度を超えている。
いや、それ以前に──これは、"戦闘"ではない。
ランデルは一方的に攻撃を繰り出し、ユウはそれをただ"いなしている"だけ。
まるで、獲物と狩人が逆転したかのように。
「なぜだ……なぜ当たらねぇ!?俺はSランク冒険者だぞ!!?」
「“Sランク”──か。残念だけど、君たちとは次元が違うんだ」
その言葉と同時に、ユウが鞘に収めたままの剣を僅かに動かした。
「──そこ、お留守だよ」
「……ッ!!?」
ユウの手が一瞬だけ動いた。
剣を抜いた?否。
鞘から完全に抜かず、僅かに動かしただけ──それでも、"結果"は生まれた。
「ぐあっ……!!?」
ランデルの体が、わずかに傾ぐ。
彼の胸元から、鮮血が溢れ出していた。
「ぐっ……あぁ……ッ!!な、なんだ……いつの間に……」
「視えなかった?なら、君に勝ち目はないね」
ユウの声は、酷く冷たかった。
戦いは、もはや決したも同然だった。
「次は“双牙のグレン”かい?」
「調子に乗るなよ小僧ッ!!」
二本の短剣を両手に握ったグレンが、ユウに迫る。
その一歩は、軽やかでありながら獣じみた鋭さを持っていた。
姿勢を低くし、横へ滑るような独特の動き──まるで蛇が地を這うかのように、死角を狙い続ける。
その速さ、まさに一級品。
たとえ一流の冒険者でも、一瞬のうちに喉を掻っ切られてもおかしくない。
「チッ、避けやがれッ!!」
グレンの短剣が銀の閃きを放つ。
空気を裂く速度で振り下ろされる一撃。
それが、ユウの首を狙い──
「だから遅いって」
「なっ──!?」
次の瞬間、グレンの腕が弾かれた。
いや、弾かれたのではない。
ユウが剣を鞘からわずかに引き、"風圧"だけで斬撃を逸らしたのだ。
「ッ……こ、こいつ……!」
グレンは即座に跳び退る。
だが、その瞬間、背中に悪寒が走った。
「もう手遅れだよ」
「っ……!」
ユウの剣が、完全に抜刀されることはなかった。
だが、"抜かれないまま"放たれた一撃は──まるで大気そのものを切り裂くかのように、グレンの体を切断した。
「が……はッ……!!?」
グレンの体がよろめき、両手の短剣が虚しく地面へと落ちる。
胸元から血が噴き出し、視界が暗転する。
「く……くそが……なんだ、こいつは……」
膝をついたグレンは、苦しげに息を吐きながら、それでも立ち上がろうとする。
だが、その足に力は入らない。
気付けば、彼の腹部には深く刻まれた"見えない傷"が走っていた。
「……君はもう戦えない。無理をするのはやめておいた方がいいよ」
ユウは静かに告げる。
その瞳には、もはや戦意はない。
ただ、淡々とした死刑執行人のような冷淡さがあった。
──戦いは、もはや"遊び"ではないのだ。
「さて、最後は“氷華のセラフィーナ”だったね」
「……やるじゃない。でも、この私を舐めないことね」
その言葉が告げられるや否や──
空気が、一瞬で凍りついた。
ギルドの門の前、周囲の地面が音を立てて凍結し、氷の結晶が浮かび上がる。
冷気が白い靄となり、ユウの髪をかすめる。
「フフッ、これでもう動けない。動けなければ私の魔法は絶対に避けられないわ」
セラフィーナの唇が微かに動く。
──それは、魔法の詠唱。
「氷華──【フロストランス】!!」
無数の氷槍が空中に出現し、一斉にユウへと襲いかかる。
その速度は疾風の如く、数は嵐の如く。
逃げ場などない。
だが──
「……絶対ね。それはどうかな?」
ユウの微かな呟きと共に、彼の足元が一瞬だけ揺らぐ。
いや、彼が動いたのではない。
彼を覆っていた氷が、"粉砕"されたのだ。
「っ!?なっ……!?」
セラフィーナが目を見開く。
氷の魔女として数多の敵を葬ってきた彼女にとって、魔法を真正面から砕かれるなどあり得ない。
だが、ユウはそれを"当たり前のこと"のように成し遂げた。
「これで終わりだ」
セラフィーナの目前に、ユウの姿があった。
そして──
「やめっ──」
刃が輝き、一閃。
次の瞬間、セラフィーナの意識は闇へと沈んだ。
数秒後、地に伏した三人の刺客を見下ろし、ユウは静かに息を吐いた。
「やれやれ、これで終わりかと思ったんだけどね……まさか貴方が現れるとは」
ユウは微かに息を吐きながら、静かに後ろを振り向いた。
遠くから吹き抜ける夜風が、銀色の髪を揺らす。
その視線の先、ギルドの門の陰から歩み出る影──
「……久しいな、ユウ」
深く低い声が、闇に溶けるように響く。
男は黒い燕尾服を纏い、白髪を背に流していた。
その立ち姿は、あまりにも完璧で、隙の欠片も見当たらない。
だが、そこに漂う"気"だけは、剣気に満ちていた。
──この男は、ただの剣士ではない。
「アルフォード……」
その名を口にした瞬間、ユウの背中に、僅かに冷たい汗が流れる。
戦いの中で恐怖を感じることは、ほぼない。
だが、この男だけは──
ユウが唯一、『剣の才』で敵わないと感じた存在だった。
「元気そうだな」
「そちらこそ……随分とお元気で何よりですよ、師匠」
「フン……“師匠”か。お前がその呼び方をするとはな。だが、そんな過去は忘れろ。今日の私は“敵”として相対するのだからな」
アルフォードは、一歩前に踏み出す。
そのわずかな動きだけで、空気が震えた。
周囲の温度が下がったかのような錯覚すら覚える。
──これが、この男の"圧"。
目の前に立つだけで、戦場の流れを支配するほどの"王の剣"。
「"私"……なるほど、そういう事ですか。貴方もリリアナの一件に関わっているのですね……なら、遠慮はしない」
「その方がいい……さあ、構えろ、ユウ!!」
その言葉と同時に、世界が沈黙した。
空気が張り詰める。
そして、次の瞬間──
ガキィンッ!!!!
刹那、衝撃音が夜の街に轟いた。
二人の剣が交差し、火花が散る。
ユウは鞘に納めたままの剣で、アルフォードの一撃を受け止めていた。
「さすがですね、師匠。いきなりの抜刀ですか?」
「お前に手加減するつもりはない。全力で来い」
「では……遠慮なく」
ユウは一歩踏み込み、剣を引き抜いた。
その瞬間、空気が弾けるように揺れる。
"真剣勝負"の幕が開いた。
斬撃。
斬撃。
斬撃。
一閃、二閃、三閃──
ユウとアルフォードの剣が激しく交錯する。
その速さは、普通の剣士では目で追うことすらできないだろう。
だが、二人の間では、それは"当たり前"だった。
「……やはり、強いですね」
「当然だ。お前が強くなった分、私も研ぎ澄ましているのだからな」
ユウは剣を弾かれ、わずかに後ろへ跳ぶ。
アルフォードの一撃は、どれも無駄がない。
そこに"迷い"や"無駄な動作"は一切存在しない。
まるで"完成された剣"そのもの。
(やはり……まだ届かないか)
ユウは僅かに唇を噛んだ。
師匠と弟子という関係は、とうに過去のものだ。
だが、それでもこの剣の前に立つと、自分が"学ぶ側"に戻ってしまう気がする。
──それを、今ここで打ち破らなければならない。
「次の一手で決めましょう」
「フン、面白いことを言う」
二人は再び剣を構える。
ユウの剣が微かに輝き、アルフォードの目が鋭く細められた。
──次の一撃が、"勝敗"を決める。
「来い、ユウ!!」
「……行きます!!」
──そして。
次の瞬間、二人の剣が放たれ──
夜の静寂が、鋭く引き裂かれた。
──しかし、その決着を見届けた者はいない。