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第二十六話「後悔なき誓い」

「……わかりました」


アスフィのその一言が、空気を変えた。


「本当に……いいんですの?」


リリアナは胸の奥に灯った希望の光を、失うまいと必死に繋ぎとめるように問いかけた。

だが、アスフィは変わらぬ穏やかな表情で頷いた。


「僕も後悔はしたくありません。……だから、貴方の友を助けに行きましょう。それに”後悔”という言葉で返されてしまったら、僕もこれ以上は何も言えませんよ、あはは……」


「……ありがとうございます!」


リリアナは息を呑み、自然と目頭が熱くなるのを感じた。

これまで幾度となく心が折れかけ、それでも歩き続けた一週間。その旅路が、ようやく意味を成した瞬間だった。


「ですが──」


アスフィの声が静かに続いた。


「僕は戦うことができません。ですから、その方までの道のりの護衛は貴方にお任せします」


「それはもちろんですわ。戦闘なら、私にお任せください!」


その言葉に、アスフィは少しだけ目を細めて笑った。

だが、その笑顔にはどこか寂しげな影が差していた。


(……懐かしいな。僕も以前はあんな目をしていたのだろうか)


「では、行きましょうか」


彼はくるりと背を向け、森の奥へと歩き出した。


すると背後から小さな声が聞こえた。


「アスフィ……また帰ってくる……よね?」


「もちろん。僕は絶対に君を見捨てはしない。だから少しだけ待っててレイラ」


「うん……分かった」


そしてアスフィは歩き出した。


その背中を追うように、リリアナも焔銀の剣を握りしめ、一歩を踏み出した。


---


森の中を歩くうちに、次第に周囲の気配が変化していくのを感じた。

葉を擦る風の音はどこか遠くなり、枝葉を揺らす鳥の囀りも途絶えていた。

それでも奇妙な静寂ではなく、むしろ心を落ち着かせるような静けさが辺りを包む。


(……この森、一体何なのでしょう)


ふと立ち止まり、背後を振り返る。

だが、そこには先ほどまで歩いてきたはずの獣道も、茂みも、何一つ見当たらなかった。


「……道が、無い?」


背筋を冷たいものが走る。


(どういうことですの……?)


「アスフィさん、ここは一体……?」


その問いに、アスフィは答えなかった。

ただ一度だけ振り返り、穏やかに微笑むと再び前を向いた。


「もうすぐ森を抜けますよ」


「でも、先ほどまでの道が──」


「大丈夫です。もう少しですから」


「……」


納得できないまま、それでもリリアナは歩みを進めた。


(これ以上は教えられないということですのね)


気にならないと言えば嘘になる。だが、今は一刻も早くミレーヌのところまで彼を連れていくことが優先だ。


(待っていてくださいませ!ミレーヌ!)


やがて、木々の隙間から薄い光が差し込み始めた。

その光は暖かく、心の奥にまで染み渡るような優しさを持っていた。


「……朝?」


先ほどまで夜の森を歩いていたはずなのに、気が付けば太陽が昇り始めていた。

そして森の木々が途切れた瞬間、視界が一気に開けた。


「ここは……」


目の前に広がっていたのは、見慣れた世界だった。

青空の下に広がる緑の平原と、遥か遠くに連なる山々。

湿った獣道ではなく、乾いた土の感触が足元に広がる。


「一体、どういうことですの……?」


リリアナは後ろを振り返った。


だが、そこにはもう神秘的な森の姿はなかった。

木々はただの雑木林へと姿を変え、あの静寂と光に満ちた景色はどこにも存在しなかった。


「どうして……さっきまで、あの森にいたはずですのに……」


「……」


アスフィは何も答えず、ただ静かにリリアナの隣に立っていた。


「……あの森、一体何だったのですか?」


「……」


「私がいつの間にか迷い込んでいた……?でも、どうしてそんなことに……?」


幾つもの問いが頭を巡る。だが、その全てに答えを与えてくれる者はいない。


「……どうしても教えてはいただけませんの?」


「……申し訳ありません」


それだけを告げたアスフィの声は、どこか遠くを見ているようだった。


「では、今後のことを話しましょう」


「え?」


(話を変えられましたわ……)


「これからの道中、魔獣や盗賊との遭遇は避けられないでしょう。僕は戦えませんが、回復魔法での支援はできます。ですから、戦闘は貴方に任せます」


「……分かりました」


リリアナは焔銀の剣の柄を軽く握り直した。

その重みが、これから背負う戦いの現実を思い出させた。


「……では、参りましょう。もう一刻の猶予もありませんの」


「ええ、行きましょう」


青空の下、二人は再び歩き出した。


その歩みが、ミレーヌの元へと続くことを信じて──


「ところで一つお聞きしたいことがありますの」


「……僕が答えられるものであれば」


アスフィはリリアナの声に冷静に返答する。


「恐らく答えられる筈です。というのも、お聞きしたいのは私自身のことですから」


「リリアナさん、ですか?」


「ええ」


アスフィは首を傾げ、リリアナもまた何て言えばいいのか考えていた。


(やってしまいましたわ!聞きたいことがあるのは確かにあるのに、説明がとても難しいですわ!)


前世でトラックに轢かれ、目が覚めれば戦闘スキル持ちの令嬢になっていた、何て誰が信じるのか。


リリアナは考える。


「リリアナさん?」


「え、ええ。少しお待ちくださいませ!今考えをまとめますので!」


「は、はぁ」


(ああどうしたらいいのよわたし!実はわたしってば”転生者”なんですぅ!てへっ!……通じる訳ないじゃん)


リリアナは歩きながら熟考する。


「考えているところすみません、リリアナさん。敵です」


「……え?」


目の前には魔獣……ではなく人影があった。


それも、何度も見た顔。


「……こんな朝日に貴方の顔なんて見たくありませんでしたわ」


そこに立っていたのは、ミレーヌをまだ目を覚さない呪いを付与した本人。


《影狼》のガルス・クロウリーだった。

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