──城門前。
「……ここですわ」
リリアナはゆっくりと息を整え、目の前にそびえ立つ巨大な門を見上げた。
「……なるほど、ここにリリアナさんの大切な方がいるんですね」
アスフィの静かな声が耳に届く。
彼の視線もまた、目の前の城門へと向けられていた。
久しぶりに見る王都の城門は、何も変わらない佇まいだった。
だが、今この門の向こうに待っているのは、過去のわたしではなく──
大切な友の命を救うという"使命"を背負った、今の”私”だった。
(……そういえば、ここに初めて来た時は──)
ふと、昔の記憶が蘇る。……昔、と言ってもほんの一ヶ月ほど前の事だ。
まだ冒険者として生きる決意を固める前、貴族令嬢として過ごしていたあの頃。
城下町を見たくて外に出ようとしたわたくしを、慌てたミレーヌが引き止めたことがあった。
『お嬢様!ここから先は危険ですっ!お戻り下さい!』
『少し覗くだけですわ!ほんの少しだけ!ほんの先っぽだけ見るだけですからっ!』
『何を言っているのですか!いけませんっ!お嬢様!』
今思えば、無邪気に騒ぐわたしに振り回されて、ミレーヌも大変だったことだろう。
だけど、それでも彼女はいつもわたしを守ろうとしてくれた。
たった一人の、"令嬢"ではなく、"わたし自身"を支えてくれた存在。
(……だから、今度はわたしがあなたを助ける)
リリアナは胸の前で手を握り、決意を新たにした。
しかし──その時だった。
「……あれ?もう帰ってきたのですか?お早いお戻りですね、お嬢様」
城門がゆっくりと開き、その奥から軽い口調が響いた。
そこに立っていたのは──銀髪の青年、ユウ。
「……どうして貴方がここにいますの?」
思わず問いかける。
ユウは当たり前かのように微笑みながら、涼しい顔で答えた。
「貴女が不在の間、この街には何も起きないと言ったの僕ですから」
さらりと告げられた言葉に、一瞬、リリアナの思考が止まる。
それはまるで、当然のような物言いだった。
(……え?もしかして、ずっとこの街を守ってくれていたの……?)
いや、それどころか。
ユウの後ろには、無数の倒れた人間たちが転がっていた。
その誰もが意識を失い、ピクリとも動かない。
(え……これなに)
「……ところで、そちらは?」
ユウの視線が、リリアナの隣に立つアスフィへと向けられる。
「えっと、こちらの方は、アスフィさんですわ」
リリアナが紹介した瞬間、空気が僅かに張り詰めた。
風の流れが変わった──そんな気がした。
「……初めまして、アスフィです」
「初めまして、僕はユウです」
二人は静かに挨拶を交わす。
しかし、その間に何かが流れたのは、リリアナにも分かった。
──警戒。
(……似ている……いや、この二人何?雰囲気が変わった……?)
「……僕ら、どこかで会いましたか?」
ユウが淡々と問いかける。
「いいえ、初対面ですよ」
アスフィは微笑みを崩さず、穏やかに返した。
「そうですよね。……では僕の役割はここまでのようなので、これで失礼します」
ユウはすぐに踵を返し、歩き出す。
まるで、"もうここには用はない"と言わんばかりの軽やかさで。
「──少しお待ちをっ!!」
リリアナは慌てて声を上げる。
「はい?なんですか?」
「ここに倒れている方々は……まさか、貴方が?」
「ええ。お嬢様を狙う悪い奴を僕がとっちめておきました」
あまりにもさらりと言うので、逆にリリアナは言葉を失った。
それをよそに、ユウは淡々と続ける。
「これでもう、貴女を狙う者はいないでしょう。……ですが、一人だけ逃してしまいました。しかし、無事に戻って来られたという事は、遭遇せずに済んだのでしょうか?」
(逃した……?)
「その者の名と特徴を聞いても?」
「もちろん。逃した男の名は、”《影狼》ガルス・クロウリー”。暗殺を生業とし、卑怯な手を使う非道な者です」
「──っ!?」
リリアナの背筋が凍る。
(わたしは名前すら知らなかったっていうのに)
ユウはそんな彼女に構わず、続けた。
「実は連中の中でも特に厄介な者でして、その手に握る武器は、自らの命を対価に相手の力を奪うというものです」
「……っ!」
(あの武器そんな厄介なものだったの!?)
「実はもう遭遇しまして……」
「そうでしたか。無事で何よりです」
ユウはあっさりと言う。
だが、リリアナの脳裏には、"無事"とは程遠いあの戦いの記憶が蘇る。
(全然無事じゃなかったんだけど!!)
「リリアナさん、早く行きましょう」
突然、今まで黙っていたアスフィが口を開く。
「貴女の大切な方の元へ」
「あっ、そうでした!行きましょう!」
リリアナは我に返り、急ぎ足でギルドへ向かおうとする。
そんな彼女の背を見送りながら、アスフィも静かに歩き出した瞬間──
「──君、この世界の者かい?」
ユウの問いが、アスフィの背中に届いた。
その声にアスフィは足を止める。
「さぁ?世界は広いですから。この、とだけ言われても」
「……そうかい。すまない、引き留めてしまって」
「大丈夫です。ではこれで」
「──でもあえて一つだけ。
その一言に、アスフィは微かに眉を寄せた。
「……用が済んだら、そのつもりです」
そう言うと、彼はユウに背を向け、歩き出した。
「では。リリアナさんが、先程から"早く来い"と街中で大声をあげていますので」
彼は小さく微笑み、足を速めた。
「……はぁ。このまま何も起きなければいいけどね」
ユウは深くため息をつき、彼らの背中を見送った。
──そして、その言葉は実現することとなる。