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第三十一話「王太子の執着」

 ──扉の前に立つ。


 この扉を開ければ、そこにはミレーヌがいる。

 何度も開けた自室の扉なのに、今はどうしてか手が動かない。

 たったひとつの単純な動作。それなのに、ドアノブを握る指先が震えている。


(覚悟を決めたっていうのに、こんなところでわたし、何してんのよ……)


 もし──。

 もしもアスフィをもってしても、ミレーヌが目を覚まさなかったら?

 そんな考えが頭をよぎる。

 せっかくここまで来たのに、期待が絶望に変わったら──。

 そんな恐怖が、わたしの心を、体を硬直させていた。


 その時だった。


 わたしの上から、そっと重ねられた温かな手。


「リリアナさん、大丈夫です」


 アスフィの静かな声が響く。

 優しくも、確固たる自信に満ちた言葉。


「僕は自分で言うのもなんですが、最強のヒーラーです。

 呪いなんて、僕の手にかかれば簡単に解けます。ですから、どうかご心配なく」


「……イケメン……だ」


 ──つい、声に出してしまった。


「何言ってるんですか。さぁ、開けますよ」


「う、うん」


(しまった……! つい、「うん」とか言っちゃった)


 わたし、なに乙女な反応してんのーーーー!!


 慌てて顔を背けたその時、受付のお姉さんの姿が目に入る。

 ──彼女は、両手で顔を覆い、真っ赤に染まっていた。


(そうなるよねっ!? わたしだけじゃないよね!?)


 思わず、妙な仲間意識が芽生えそうになった。


 ……ふぅ、落ち着こう。

 アスフィのおかげで、さっきまでの不安は霧散していた。

 今は、目の前の扉を開くことに集中しなくては。


 深く息を吸い、私はドアノブをゆっくりと回した──。



「──ミレーヌっ! 今戻りましたわ! 今から貴女を治し……て……」


 部屋に足を踏み入れた瞬間。

 そこにいたのは──見覚えのある男だった。


「……はぁ、随分と待ったよ。お久しぶりです、リリアナ殿」


 金髪の男が、ソファに腰を掛け、くつろぐように言った。


「……アレクシス王太子」


「以前のように私を"王太子殿下"と、そう呼んで頂けないのですね」


 口調こそ柔らかだが、そこに感じるのは冷たい圧。


「当たり前ですわ。貴方のした事は決して許されないこと。私は今、とても怒っております。 今からミレーヌの目を覚ます所なので、早急に出て行って──」


「黙れ黙れ黙れえええええええええっ!!」


「──っ!?」


 突然の怒声に、部屋の空気が揺れた。 思わず身を強張らせるほどの圧力。

 その声は、ギルドの下階にいる者たちにまで届いたことだろう。


「……はぁ。僕としたことがつい取り乱してしまった」


 アレクシスは、一度深く息を吐き、冷静さを取り戻す。

 だが、その目は酷く冷たく、どこか歪んでいた。初めて見る表情に口調。


(これがアレクシスの本性……)


「でも、これは君が悪いんだ。僕との婚約を拒否した。それがどれだけ罪深い事か、分かっちゃいない」


「それは貴方から先に──」


 断ったはず、そう言おうとした瞬間──。

 彼は、それを遮るように言葉を続けた。


「リリアナ。君は大した腕だ。僕が放った日陰者達を全て退けた。ただの令嬢じゃありえない話だ。……一部、例外はあったが。……まぁ、それはいい。過ぎたことはね」


「……何を言いたいんですの?」


 嫌な予感がする。

 彼がここまでしてわたしに執着する理由は何なのか。

 アレクシスは、軽く髪をかき上げながら、淡々と言った。


「僕との婚約を拒むな、それだ──」


「嫌ですわ」


 迷いなく、即答する。


「……理由は?」


「簡単な話です。妻を迎え入れようとしているとは思えない行動。

 私の命を奪うために刺客を放ち、それだけならまだしも私の大事な友人をこんな状態にした。そんな方と婚約なんて、反吐が出ますわ」


「この女に関しては僕も誤算だった。それは僕のせいじゃない。それは結果論でしかないよ」


「だとしても、結果として今彼女は貴方のせいで眠り続けている。だから私は断るだけです」


 はっきりと、拒絶の意思を伝える。

 もはや怒りも通り越し、呆れすら感じていた。


「……そうか。そう来ると思っていたよ。 だが、僕は絶対に君を諦めない」


 アレクシスの目には、執念の光が宿っていた。

 それは、ただの未練や後悔ではなく、"狂気"に近いものだった。


「どうしてそこまで私を……先に拒んだのはそちらです!それを今度は拒むな?いい加減にも程がありますわっ!」


「黙れっ!!」


 またしても怒声が響く。

 その声には、確かな"焦燥"が滲んでいた。


「……僕は知っているんだ。リリアナ・フォン・エルフェルト公爵令嬢を」


「いいえ、何も知りませんわ。私のことを知っていれば、こんな真似するはずがありませんもの!」


 アレクシスは、静かに首を振った。

 そして──低く、ゆっくりと呟く。


「違う、君じゃない。僕が言いたいのは"リリアナ・フォン・エルフェルト公爵令嬢"であって……

 


 その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


「……どういう意味ですの」


「リリアナ・フォン・エルフェルト公爵令嬢……彼女は、とても非力な娘だったということさ」


 アレクシスは静かに語る。

 本来の"リリアナ・フォン・エルフェルト"について──。

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