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第三十四話「変わり果てた少女」

「……愚かな娘だ」


父、レオン・フォン・エルフェルトの冷淡な声が、迎賓室の静寂を切り裂く。


「お前のような出来損ないが、王太子殿下の婚約者など笑止千万。身の程を弁えろ」


リリアナの心がひどく冷える。

先ほどまでの決意が、父の一言で霧散していくのがわかった。


「王太子殿下。どうかお許しを。こやつはただの夢見がちなお子様。婚約の話など、冗談にもなりません」


レオンは深々と頭を下げる。

だが、彼の顔には謝罪の色など微塵もなかった。


「……なるほど」


頭を下げるレオンを見たアレクシスは薄く笑う。


「では、今日のところはこの話はなかったことにしましょう」


王太子としての威厳を崩すことなく、静かにそう言った。

その言葉に、レオンは満足げに頷く。


リリアナは──何も言えなかった。


(……やっぱり、私は)


変わることは許されない。

剣を握ることも、自由に生きることも、夢を見ることすらも。

ただ、父の望むように、"か弱い少女"のままでいなければならない。


その日、リリアナは再び"鳥籠"の中へと戻った。


---


それから数年後。


アレクシス・フォン・ルクセリアは、未だに正式な婚約者を決められずにいた。


優秀な貴族令嬢は多い。

だが、どの娘も己の意志が強すぎた。何より好みじゃない。


(僕に従順で、美しく、王妃にふさわしい女性……そんな者は、いるのだろうか)


ふと、彼は過去の記憶を辿る。


(そういえば……あの時の少女はどうしているのだろうか)


リリアナ・フォン・エルフェルト。

あの日、すぐに折れたか弱い少女。

父の一言で何も言えなくなり、意志を貫くことすらできなかったあの女。


(──あの娘なら、僕に従順な妻になりえるのでは?)


アレクシスの脳裏に、その考えが浮かんだ。


決して悪くはない容姿。

おとなしく、素直で、支配するのに都合のいい女。


(試してみる価値はあるか)


彼は再び、エルフェルト公爵家を訪れることにした。


---


数日後、アレクシスは公爵家に赴き、レオンと対峙した。


「──ほう、リリアナの婚約の話ですか?」


レオンは軽く目を見開くが、すぐに笑った。


「殿下も物好きなことで」


「彼女がどのように成長したか、気になりましてね」


アレクシスが問うと、レオンは微かに顔をしかめた。


「……ふむ。成長、と言えるかどうか」


「……何か?」


「昔のように"か弱い少女"ではない。むしろ、今は……天真爛漫というか……まるで別人のようになったもので」


「別人の、よう?」


その言葉に、アレクシスは眉をひそめた。


「まさか、見違えるほど美しくでもなったと?」


「いいえ」


レオンは淡々とした口調で告げる。


「リリアナは……剣を握るようになったのです」


その言葉に、アレクシスの表情が変わった。


(剣を?あのか弱かった少女が?)


信じられなかった。

剣など、戦いとは無縁の人生を送っていたはずだ。

それが、なぜ。


「リリアナは今、どこに?」


「ちょうど今夜の舞踏会に出席していましてな」


「……ほう」


アレクシスは興味を抱き、彼女に会うことを決めた。


---


夜、舞踏会の会場は華やかに飾られ、多くの貴族が社交を楽しんでいた。


アレクシスは会場に足を踏み入れ、そして──目を奪われた。


リリアナ・フォン・エルフェルト。


彼女は、そこにいた。


だが、数年前の"か弱い少女"の面影はどこにもなかった。


(──確かにまるで、別人のようだ)


上品に着こなしたドレスに、凛とした立ち振る舞い。

そして何より、その瞳には"力"が宿っていた。


(本当に……あの時の彼女なのか?)


それを確かめるべく、アレクシスはリリアナにダンスを申し出た。

その動きは、まるで舞踏のプロのように洗練され、迷いのないステップを踏んでいた。


(……これは私の知っているリリアナではない)


困惑しながらも、彼は舞踏会の最後まで彼女を見つめていた。


---


舞踏会が終わり、アレクシスの元へ彼の執事であるアルフォードが近づいてきた。


「アレクシス様、何かお考えでしょうか」


アレクシスは彼に問う。


「アルフォード……彼女は、本当にあの時のリリアナなのか?」


アルフォードは微かに笑った。


「ええ。彼女はあの時のか弱い彼女のままです」


その言葉に、アレクシスは眉を寄せた。


(……か弱い?アレが?)


か弱いと言う一言で説明が付くものなのか?

だが確かに、彼の執事が誇張を交えることはない。今までがそうだった。

彼は嘘をつかない。


また、公爵であるレオンは、確かにこう言った。


『まるで別人のようになったもので』


そして、自分の目が見たものも同じだった。


(──あれが本当に、あの時の少女なのか?)


舞踏会で踊るリリアナの姿は、記憶の中のか弱く従順な少女とはかけ離れていた。

研ぎ澄まされた動き、無駄のない所作、そして何より──あの瞳。

強い意志を宿したあの瞳は、もはやあの日の少女のものではなかった。


(……だが、もしアルフォードの言葉が真実なら?)


アレクシスの中で、戸惑いが生まれる。

彼が欲しいのは、強い女だ。それは武力だけでは無い。

意志を持ち、己の力のみで立ち上がる──そんな者こそ、自らの傍に相応しい。


(もし彼女が本当に変わったのなら……手に入れる価値がある)


しかし、執事の言葉はそれを否定していた。


「失礼ながら、アレクシス様。彼女はただ剣を握れるようになっただけです」


アルフォードは静かに告げる。


(……"ただ"?)


アレクシスは思考を巡らせた。


アルフォードは長年仕えてきた執事であり、彼の言葉が誤りであったことは今まで一度もなかった。


(僕はどちらを信じるべきだ?)


自分の目か、忠実なる執事の言葉か。


迷いの末、アレクシスは静かに息を吐き──決断した。


「……剣を握る者が、王妃として相応しいとは思えない」


そう告げ、彼はリリアナとの婚約を破棄した。


---


その知らせを受けた時、リリアナは何の感情も抱かなかった。


「……分かりましたわ」


とただそれだけを呟き、静かに微笑んだ。


かつてのリリアナなら、絶望したかもしれない。

だが、今の彼女には、王太子の婚約など必要なかった。



何故なら彼女はすでに、リリアナ・フォン・エルフェルト公爵令嬢では無く、──。


---


その頃、アルフォードは誰もいない執務室で静かに独り呟いた。


「……これでいい」


彼の意図を知る者は、まだ誰もいない。

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