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第三十七話「痛い痛い痛い痛い痛い」

 ──あまりの驚きの連続で、頭の処理が追いつかないんだけどっ!?


 爆ぜるような破裂音とともに、窓が蹴破られる。

 砕けたガラス片が月光に反射し、鋭い刃のように宙を舞った。


 その中を、銀髪の青年が舞い降りる。


 風になびく銀の髪。

 鍛え抜かれた体躯は、まるで彫刻のような美しさを誇る。

 そして、その瞳には、誰もが目を逸らしたくなるほどの"静かな決意"が宿っていた。


 ──ユウ。


 彼の名を知る者たちは、揃って息を呑む。


 空気が、一瞬にして凍りつく。

 宿の一室に渦巻いていた狂気じみた熱気が、一瞬にして冷却されたかのようだった。


「……ユウ、やはり来たのだな」


 静かに言葉を紡いだのは、アレクシスの隣に立つ老人──アルフォード。


 鋭い眼光。

 長年戦場を生き抜いた男の鋭さを宿しながら、その奥底には"迷い"が見え隠れしていた。


「あなたを止められるのは、僕しかいないから」


 ユウは淡々と言い放つ。


 その声に、迷いはない。


 剣を握る両手は微動だにせず、彼の呼吸は極限まで研ぎ澄まされている。


(──いや、違うな)


 リリアナは直感する。


 これは"ただの戦い"じゃない。


 "止める"。


 彼がそう言った意味を、言葉の奥にある真意を、ユウ自身が本当に理解しているのかは分からない。


 だけど、彼の剣は既に──"殺しの域"に達していた。


「……師匠、やはりここにいたんですね」


 ユウの瞳が、静かにアルフォードを映す。


 それは、かつて剣を教わった者が、師を見る目ではない。

 かつての誇り高き"剣士"としてではなく、"討つべき敵"として捉える目。


(僕の方こそ師匠、貴方が来ると思っていた……だって貴方は、


 二人の間に、言葉は不要だった。


 視線が交わる──その瞬間。


 両者の剣が、一気に閃いた。


「はああああああああっ!!」


「せえええええええいっ!!」


 雷鳴のような剣撃。


 交錯した刃が火花を散らし、宿の一室を震わせる。

 空気が震え、壁が罅割れ、床板が弾ける。

 この瞬間、ここは"戦場"に変わった。


(……剣聖のスキルがなければ、二人の動きはまるで見えない)


 刹那の交差が、死を分ける攻防。


 どちらかの一撃が僅かでも遅れれば、その瞬間に"決着"はつく。


「……あの時、逃げたのは負けると思ったからですか、師匠」


 ユウの問い。


 それは、淡々としたものだった。


「たわけ。私はアレクシス様のめいで撤退したのだ」


 アルフォードは一歩も引かない。


 その剣には、かつての"誇り"が宿っていた。


「……ユウ、ここは退け」


「嫌と言ったら?」


「……仕方がない」


 二人の剣が再び激突する。


 その余波で、宿の壁が完全に崩れ、外の夜風が吹き荒れた。


 ──そして、その時。


「──よそ見をするんじゃない、偽物っ!」


 突如、アレクシスの声が響く。


 リリアナは、その声に反応し、視線を向ける。


 ──その瞬間、視界に映ったのは。


 銃口。


 冷たく、無機質な金属の塊。


 死の匂いを漂わせるそれが、リリアナに向けられていた。


「そんなおもちゃで、わたしを倒せるとでも?」


 リリアナは、嘲るように笑う。


「……おもちゃ、か」


 アレクシスは呟く。


 手に持つ銃を、慈しむように撫でながら。


「こいつは、父上が僕が七つの頃に誕生日としてプレゼントしてくれたものだ。確かに"おもちゃ"といえば、そうなのだろう」


(……七つの誕生日に拳銃!?この世界の常識どうなってるの!?)


「……だけど、僕は本気だ」


 銃口が、再びリリアナへと向けられる。


「君は強いと報告を受けている。だが、この距離で弾丸を避けるのは不可能だ」


 アレクシスは、残酷な笑みを浮かべた。


 リリアナは、その銃口の先に"死"を見た。


(……避けられない)


 ならば──


 次の瞬間。


 ──銃声が響いた。


 宿の一室に乾いた音が炸裂する。


 閃光。

 火薬の燃えた匂い。

 弾丸が空気を裂き、一直線にリリアナへと向かう。


 それは、"避けられない"死の宣告。


(来るっ!!)


 だが、リリアナは動じなかった。


「ご覧の通り、わたしにそのおもちゃは通用しない」


 放たれた弾丸は、彼女の視界の中で"スローモーション"になっていた。

 剣聖のスキルが、彼女の感覚を極限まで研ぎ澄ませている。


 次の瞬間。


 彼女の剣が閃いた。


 ──鋼鉄の弾丸が、空中で砕け散る。


「なっ!?この距離で避けただとっ!!?バカな!?」


 アレクシスの顔が歪む。

 それは、"ありえない"という現実を突きつけられた者の表情だった。


 この距離で。

 銃弾を弾くなど、人間にできるはずがない。


 ……なのに、彼女はやってのけた。


 彼の脳が、理解を拒否する。


「だから、投降しなさい」


 リリアナは静かに言い放つ。


「クソッ!バカにしやがって……僕を誰だと思っている!」



 ──その瞬間、アレクシスの顔が怒りに染まる。


 血管が浮き上がり、目が充血し、全身が憤怒に震えた。


 彼の脳が、"冷静"を捨てる。


 そして──


「僕はアレクシス・フォン・ルクセリア王太子だあああああああ」


 銃口が、未だ状況を理解できずにいるミレーヌへと向けられる。


「なっ!?こいつっ!!」


 リリアナの脳が、瞬間的に警鐘を鳴らす。


 ──引き金が絞られる。


「させませんわああああああああっ!!」


 雷光のようにリリアナの剣が閃く。


 次の瞬間。


「んぎゃあああああああああああああああああっ!!!!」


 鋭い閃光が走った瞬間、アレクシスの左腕が宙を舞った。


 骨が砕け、肉が裂ける鈍い音。

 断面から噴水のように赤黒い血が噴き出し、床に大きな血溜まりを作る。


 ──指先まで綺麗に切断された腕は、ベッドの上に転がった。


 その指が、ピクピクと小刻みに震えている。


「きゃああああああああああああ」


 ミレーヌの悲鳴が響く。


 彼女はベッドに転がり込んできたアレクシスの腕に、目を見開いたまま硬直する。


「な、な、な……血がっ!!血があああああああああっ!!!」


 アレクシスは震える右手で、切り落とされた肩口を押さえ込む。

 だが、それが逆効果だった。


 圧迫された傷口から勢いよく血が噴き出し、指の間をすり抜け、滴るどころか"吹き出して"いく。


「痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいっ!!!!」


 悲鳴とともに、彼の身体が痙攣する。

 焼けるような激痛が脳を焼き、視界が真っ赤に染まる。

 体のバランスが崩れ、彼は血溜まりの中に崩れ落ちた。


「嫌だっ!!いやだいやだいやだいやだあああああっ!!!」


 彼の失われた左腕──

 それはもう、そこには存在しないのに。


 脳は"そこにある"と錯覚し続ける。


 ありもしない指先が焼かれ、千切られ、骨を砕かれる様な痛みが、失われた腕の先から襲い掛かる。


 それは、ただの痛みではない。


 "何もない"という絶望とともに、彼に鋭利なナイフで肉を抉られるような錯覚を与える。


「うぐっ……ひっ……があああああああっ!!!!」


 床をのたうち回るアレクシス。

 血まみれの右手で床を叩きつけ、爪を立てて引っ掻く。


 ──爪が剥がれる。


 さらに、血が滴る。

 だが、その痛みですら、"喪失"に比べれば微々たるものだった。


「たすけてっ……アルフォードォォォォォォォォォッ!!!!」


 彼は助けを求めるように、血まみれの右手を伸ばす。


「──アレクシス様ッ!?」


 アルフォードが駆け寄ろうとする。


 しかし、その時。


「だからよそ見はいけないってば、師匠」


 ユウが静かに呟いた。


「あなたは優しすぎる。それがあなたの──」


 ユウの剣が、雷光を纏いながら煌めく。


「『雷閃十字斬らいせんじゅうじざん』!!」


 次の瞬間──


 アルフォードの胸が十字に切り裂かれた。


「が……はっ」


 老人の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。


「終わりです、師匠。あなたの優しさが、あなた自身を敗北させた……」


 ユウは、静かにそう告げた──。

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