前後合わせて十人ほど。
たった二人を相手にするには過剰な人数ではあるが、佐崎は落ち着いて彼らの姿を観察していた。
洋装である佐崎や津賀野と違い、賊どもはあちこちが擦り切れた古い和装に、拵えにあまり手の入っていない刀をそれぞれ腰に差している。
「一見すると、
「では、彼らが今回の……」
身構える津賀野とは違い、佐崎の方は直立のまま「はて」と首を傾げた。
「恐らく違いますね。ここに居る連中は刀こそ腰に提げてはいますが、まるで使えない木偶の坊も良いところでしょう」
佐崎は呆れたように吐き捨てた。
「なにを、この……うっ!」
「声だけ大きくても気組みはさっぱりですね」
その言葉が聞こえたのか、破落戸の一人が威勢の良い声をあげたが、その一瞬で佐崎に距離を詰められ、たたらを踏むほどのけ反った。
「もらいますよ」
言うが早いか、佐崎が小刀を一振り。
袴の帯を切り、腰の刀を奪い取ると、視線も向けずに津賀野へと放り投げた。
「てめぇ!」
「黙りなさい」
乾いた音がぱしりと響き、刀を奪われた破落戸は意識を失って膝から崩れ、力なく倒れた。
たった一発、佐崎が顎を横から殴りつけただけで気絶してしまったのだ。おまけに、帯を切られた袴が膝まで落ち、褌を晒した情けない姿で。
「無手では少々荷が勝ちすぎるでしょう。杖ではありませんが、刀の扱いを知らぬとは言わせませんよ」
「だ、大丈夫です」
津賀野は屋敷で佐崎と対峙した際に使っていた杖は置いてきている。町中を歩くのに向いていないというのもあるが、小刀が食い込んだために使用に不安があったのだ。
佐崎の言葉にうなずいた津賀野は、渡された刀の下緒を解いて鞘が抜けないよう鍔に括りつけた。
斬らぬという意思表示に、佐崎はしばし胡乱な視線を向けていたが、すぐに興味が失せたように視線を逸らした。
「後ろは任せます」
「わかりました」
仲間の一人があっという間にやられたのを見て呆然としていた賊どもは、佐崎の言葉に我に返った。
人数に任せて押し囲めば良いのだ、と。
それがかえって油断を生む。
「ふっ!」
背後の集団に振り返った津賀野は、まず一番端の相手に向かって踏み込んだ。
「わわっ!」
最も遠い場所にいた端の男は、自分が最初に狙われるとは露程も考えていなかったのだろう。無様に狼狽え、身構える間もなく首筋を容赦なく打ち据えられた。
「あぐぁ!」
悲鳴を上げて横倒しになったところを、津賀野の細い足が股間を強かに踏みつける。
声も出せずにのたうち回る男を脇目に、次の相手へと踏み込む。
津賀野の持つ刀が奔り、ぱしっ、と濡れ枝を折る様な音が響いた。
「あ、づっ!」
刀を抜こうとする手を打ち据えたその音は、明らかに手の甲の骨を折っていた。
戦意を喪った男のこめかみを柄頭で打ち据え、昏倒させたところで、津賀野は一度退いた。
「ふぅ」
呼吸を整え、八相に構えなおす彼女は、やや肩が上下しているが、まだ余裕はある。
この時点では、流石に残った相手は全て抜刀していた。
全員が正眼に構え、仲間をちらりと一瞬だけ見遣り、津賀野に対して油断のない視線を向けている。
津賀野は相手を一人ずつ、確実に、冷静に見る。
実戦は初めてではない。幼いころから稽古を重ねている。物心ついた頃には維新の騒動は落ち着き始めていて、周りの大人たちは妙にそわそわしているように見えたし、一部の荒れた男たちは、自分の居場所を失って無気力になるか、ただ何かに対して乱暴になっていた。
落ち着かない世の中で、津賀野ひろという女性は自分が出来る範囲で真面目に生きてきた。
「わたしは怒っています」
津賀野は刀の持ち方を変えた。脱力した両手に、刀を横向きに軽く握る。
「仕事の関係ではありましたが、お嬢様は決して荒事に巻き込まれて良い方ではありません。あなた方には想像もできないでしょうけれど、あの方はそういう世界とは無縁でいるべき人だったのです」
「ごちゃごちゃと!」
一人が斬りかかってきたのを、津賀野は刀をくるりと回して相手の刃を横っ腹から叩いて落とし、握りを変えて鼻っ柱にまっすぐ鞘の
夥しい量の鼻血を零して跪いた相手を無視して、次の相手の膝を狙う。
斜めに振り下ろした刀の鞘で打ち据え、態勢を崩したところで相手の頭を掴み、これも顔面に柄頭を突き立てて鼻の骨を折った。
「殺しません。わたしの仕事は問題を解決することであって、殺すことではないからです。ですが、殺した方が良い状況であればそうします。意味はわかりますね」
「ぐ……」
「わかったなら、武器を捨てて跪きなさい」
最後の一人はひとしきり周囲の仲間たちを見てから、刀を放り捨てて「降参」と呟いた。
「軟弱。と言いたいところですが、賢い選択だったと思います。あの人の相手をするよりも、ずっと」
津賀野が指した先では、佐崎が最後の一人に小刀を突き付けているところだった。
他の連中はすでに地面に横たわっている。
それぞれ、手足の腱を斬られ、痛みに呻いているばかりだ。
最後の一人も、両ひざから血を流して跪いている。
「さて、あなたに聞きます。正直に答えていただければ殺しはしませんが、役に立たないのであれば“処分”して次の方に聞きます。私が言っている意味は理解できますか」
「は、はいぃ……」
脂汗で額をびっしょりと濡らして頷く相手に、佐崎はにこりと笑った。
「良い返事です。では、伺います」
佐崎は笑顔のままだったが、その視線が放つ圧力たるや、離れて見ている津賀野ですら、固唾を飲むほどである。
「緑小路家ご令嬢、花様は無事なのですね」
「う……」
言い淀んだ瞬間、その眼球のすぐそばに、内反りの血に濡れた刃が迫った。
「ま、待ってくれ。大丈夫。無事、無事なはずだ!」
ひゅう、と苦し気な呼吸を挟む。
「あの娘は人質にする予定と聞いたから、誰も手出しはしてねぇ!」
「聞いた、とは誰に聞いたのです」
「雉峰だ! あ、あいつが頭目になっている……!」
少しだけ考えるような表情を見せた佐崎は、次に、と雉峰が
「そこに居る人数も、答えていただけますね」
「……西に行った場所に、幕末の騒乱で放棄された寺がある。そこに二十人は下らない連中がいる」
「そうですか」
相当な人数だが、佐崎はそのことにはあまり興味が無い様子であった。
「頭目の雉峰という男ですが」
佐崎は自分の左耳を指さす。
「耳に特徴がある人物ではありませんか」
問われた男は目を見開いた。知っているのか、と。
「……たしかに、雉峰は左耳の下半分が無い。幕末の頃に斬られたと聞いたが……」
「やはり、あ奴で間違いありませんか。どうも、運命というものは奇妙なものですね」
佐崎の指が男の喉元に伸び、頸動脈を軽く圧迫すると、あっという間に気絶してしまった。
「やはり、知っている相手でしたか」
賊どもの刀から下げ緒を奪って縛り上げた津賀野が問う。
「正直、とうに死んでいるものと思っていましたがね」
ハンカチで血を拭った小刀を鞘に戻し、佐崎は嘆息した。
「いや、仕留め損ねた相手をようやく片付けることができる、と喜ぶべきかも知れません」
「戦ったことがあるのですね。……そんな相手と、数十人の族がいるのですから、こちらも警官を動員するべきでしょう」
津賀野の案は、雉峰の塒を大人数で取り囲み、一斉に突入し、逮捕するというものだった。
だが、その提案は佐崎が即座に却下した。
「囲み、追い詰めるのは籠城する相手を殲滅するには有用な手でしょう。ただ、今回はお嬢様の安全を優先せねばなりません」
花の顔を知らない警官が彼女を無事に保護できるかが不明であり、尚且つ乱戦になれば巻き込まれて害を被る可能性もある。
「最悪の場合、追い詰められた雉峰が逃走を図る際の人質にすることや、足手纏いとして手にかける可能性も考えられます」
「では、どうするのですか」
「決まっています。密かに入り込み、お嬢様を探すのです。お嬢様より先に敵がいたのであれば、始末する。それだけです」
佐崎は自分一人で入り込むつもりであった。
「彼らの動きを見るに、烏合の衆に過ぎません。雉峰を含め、幾人かはそれなりに手練れが居るかも知れませんが、基本的に集団で戦うのは慣れていないでしょう」
ましてや室内であれば猶更である。
「数の差は脅威になりますが、慣れない者同士が隣り合って白刃を振るうのは事故のもとなのです」
一度だけ、佐崎は幕末のころに恐ろしい集団戦法の遣い手を見たことがある。
「訓練された者たちが連携して敵を取り囲むのであれば、恐ろしいと言えます。ただ、この程度の連中が集団で、それも室内であれば、敵を斬る前に味方を斬ってしまうでしょう」
その連中は、京の町で昼夜を分かたず活動していた。佐崎は未だにはっきりと憶えている。
少人数の組に分かれ、的確に敵を追い詰める戦い方。
「私は相手することはついぞありませんでしたが……」
「そんな人たちがいたのですね」
「恐らく、津賀野さんも知っていますよ」
佐崎は賊どもの身体を道の隅に押しやり、手袋を整えながら言った。
「新選組、と名乗った連中です」
「えっ」
想定外の答えが出てきたことに気を取られている間に、佐崎は津賀野を置いて歩き始めていた。
「ついてきますか。この先、私はあなたを気にかけている余裕はありません。殺さないようにするのは結構ですが、その選択があなたを殺す可能性もありますよ」
自分が実力不足だとはっきり言われてしまい、津賀野は不満を感じると同時に、喉の奥からこみ上げる緊張感を必死に飲み込んだ。
「構いません。わたしもお嬢様をお助けすると決めたのですから」
「……夜になるのを待って、潜入します。津賀野さんは今のうちに身体を休めるなり、武器を用意するなりご準備を」
「佐崎さんはどうされるのですか」
問われた佐崎は、衣服を正した。
「決まっています。旦那様のお食事に付き添い、本日の屋敷の清掃などの指示を出さねばなりません。それが私の役割ですから」
そこに居たのは、先ほどまで斬り合いをしていた侍ではない、一人の執事であった。