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9.時代は変わりて

 半信半疑であったが、件の作業場跡にやってきた佐崎は、すぐにその場所に漂う不穏な空気に気付いた。

 この辺りは江戸幕府末期には製綿や染織場などが集まる場所であったが、維新の混乱期に放棄され、今は仮に新政府が管理をしているはずの場所だが、実際は人手が足りずに打ち捨てられているに等しい。


 人通りの乏しい通りだが、浪人然とした格好の連中がうろついており、鈴木が指していた作業場の前など、数名の浪人が屯していた。

 その誰もが口をへの字にした不機嫌そうな面をして、何かを気にしてちらりちらりと周囲へと視線を巡らせている。。

 とはいえ、佐崎からすればただ「目線が向いている」だけである。


「素人も同然ですね。あれでは歩哨の意味がない」

 折角の複数人体制だというのに、警戒を行う方向がまるで整理されておらず、同じ方向ばかりを気にしている。

 視線もちらりと向けているだけで、観察が出来ているようには見えない。

「程度の知れる連中ですね。それだけに、お嬢様の状況が不安です」


 そんな連中相手であるから、日中であっても気づかれずに近づくのは佐崎にとって容易であった。

「あっ、てめぇ!」

 見張りの一人が気づいたときには、二人が血の混じった泡を吹いて、斬り裂かれた喉を押さえて地面でのたうっている。


「雉峰は中にいる。間違いありませんね」

「ほざけ!」

「反応が遅すぎます」

 質問に対して怒号で応えた見張りの一人は、刀の柄に手をかけるや否や、その手首をさくりと裂かれ、痛みにうずくまった後頭部を強かに打ち据えられて昏倒する。


 残った二人も、佐崎は迷うことなく斬り捨てた。

 作業場は凡そ簡素な作りであり、探し回るに苦労はなかろうと踏んだのだ。なれば、案内役は不要である。

 最後の一人は、手首を掴んで関節を極めて抑え込む。


「くそっ、こんなはずじゃ……」

「どうなる“はず”だったのかはわかりませんが、手を出すべきでない相手に手を出した。いえ、組むべきでない男と手を組んだ。そこから間違えていた。それだけです」

 佐崎は浪人どもが何を企んでいるのか、そこには大して興味がなかった。

 彼にとっては緑小路家の平穏が何よりも重要である。天下をどうこうするような話には、まるで興味がない。


 維新の前であれば、あるいは佐崎もこの連中と同類であると言えたかも知れないが。


 最後の一人は顎を蹴り飛ばして意識を刈取る。

 手応えの無い相手に嘆息しつつ、作業場の中へと入り込むと、広々とした室内は、いくつかの木戸から陽が差し込んで、外観よりもずっと明るかった。

 木造りで粗野な板張りの床と壁。梁が剥き出しの屋根は高く、刀を振るっても邪魔にはなるまい。


 故に、室内で待ち構えていた雉峰は刀を抜いていた。

 左腕には花を抱えており、後ろの柱には六座家の令嬢、かのえが縛り付けられて怯えた表情を見せている。

「やはり、来たな」

「当然でしょう。取り逃がしたままで済ませる意味はありません」


 佐崎は手袋を整えながら、状況を素早く観察する。

「お嬢様。お待たせいたしました。佐崎がお迎えにあがりましたよ」

「佐崎……!」

 雉峰の腕で首をしっかと締め上げられ、苦しそうに返事をする花であったが、その表情には怯えよりも安堵の色が強い。


 捕らえられ、白刃を突き付けられた状態でありながらも、佐崎が来たことで自分はもう大丈夫であるという希望の方が強いのだ。

 その信頼が、佐崎には嬉しくもあり、辛くもあった。

 この状況の原因が自分の過去にあると思うと、申し訳なさで顔向けするのも恥ずかしいとまで感じてしまう。


「何を暢気にくっちゃべってやがる」

 ぐい、と雉峰の腕が締め付けられ、花の首が締まる。

「このまま首をへし折ってやってもいいが。このガキの目の前で、お前を嬲り殺しにする方が、気分が良さそうだ」

 耳の傷を押さえるようにして頭に巻かれた包帯の隙間から、雉峰の目がぎらりと光る。


 その相貌は如何にも恐ろし気だが、その傷を負わせた張本人が佐崎自身であるので、威圧感を与えるにはいたらない。

 むしろ、佐崎にはその姿が哀れにすら見える。

「雉峰よ。今はもう明治の世になった。何のために刀を振るうのです」

「何を言う。俺たちの幕末はまだ終わっちゃいねぇ。まずお前を斬る。それから、俺たちを使い捨てに、した連中を、斬る!」


 薬の影響だろうか。雉峰の言葉は妙なところで途切れ途切れになっていて、息苦しさを感じる。

「呼吸が乱れている。それで勝てると思うのか」

 佐崎の言葉遣いは、もう使用人のそれではない。花は驚いたような眼をしているが、佐崎は目を向けずにあえて続ける。


「もう、侍の世ではない。戦場でお前も見たはずだ、雉峰。戦のかたちは変わり、侍だけが戦う世の中ではなくなってしまった」

 それは良いことでは決してない、と佐崎は考えている。

 特権階級ではあるが、その地位はいざというときに命を賭して戦うからこそのものであったからだ。前提が、すでに崩れている。


「戦場を取られた私たちは、すでに侍として生きる必要はなくなった。それがわからないまま、白刃を振り回して武士の悪い癖をひけらかすなら、過去の遺物として始末するしかなくなる」

「始末とは……俺たちを始末して、お前らは世の中を、綺麗にしたとでも言う気か。はあ、今の時代を作った、戦ったのは、俺たちなのに」


 ぐしゃぐしゃになった顔を見せる雉峰の姿は、大事なものを奪われた少年のようであり、昔を懐かしむ老翁のようでもあった。

「作った。いや、壊したと言った方が正しい。お前も、私も、あの頃の連中は壊すこと、殺すことしか知らなかった。未来を創るのは、私たちである必要はない」

 佐崎はゆっくりと語り掛けながら、懐から小刀を取り出す。


「お前は、それで良いのか」

「良い悪いではないのです」

 歯を食いしばる雉峰に、佐崎は首を横に振る。

「時代が変わった。それだけのことです」

 雉峰の気持ちがわからないわけではない。だが、受け入れなければならない。


 佐崎は花をまっすぐに見た。

 未来は彼女たち若い世代にある。そのために自分ができることを、佐崎はわきまえているし、受け入れている。

 そして、楽しんでいる。

 使用人としての幸福を味わうことを。


「私は知っているのです。未来が育つ様を間近で見られる幸福を」

 伝えるべきは、自分たちの戦果などではない。

 ただ、心構えと、技術を伝えれば良いのだ。それをどう生かし、どんな未来を創るかは、次の世代の者たちが考えれば良い。

「そう。技を伝えれば良いのです」


 その言葉は、雉峰に伝えたものではない。

 それに気づいた花は、すぐに動いた。

「あっ!」

 と雉峰の短い悲鳴が響く。

 花のかかとが、雉峰の足の指目掛けて思い切り振り下ろされたのだ。


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