「流石は佐崎さま。首尾よくやってくださいましたね」
そう言って、作業場を出た佐崎たちを出迎えたのは、六座家の使用人である鈴木であった。政府組織の密偵でもあるのだが、「緑小路花様、いつもお世話になっております」などと、六座家使用人としての立場を崩さない。
花の前で身分を明かす気はないということだろう。
「かのえ様は、気を喪っておられますがお怪我はされていません。とはいえ、確かめたわけではありませんし、怖い目に遭われたことも間違いないでしょう」
「お気遣い、かたじけなく。お嬢様は私がお運びいたします」
佐崎が両手で抱えていたかのえの軽い身体を、ゆっくりと慎重に鈴木へ引き渡す。その際、互いが近づいたところを狙って、口を開いた。
「下手人は生かしたまま捕縛し、建物内に転がしています。後をお任せしたいのですが」
「これはこれは……奴は何か吐きましたか」
「いえ、その前に気を喪いましたので」
お嬢様方の救助を優先したと語る佐崎に、鈴木の目が一瞬だけ見開いたように見えたが、すぐさま元の貼りついた笑顔に戻る。
「では、私の方で拘束の人員を手配いたしましょう。後はお任せを」
するりと離れた鈴木は、抱えているかのえの顔を一瞥すると、ふいに優しいまなざしを浮かべた。
「……本当に感謝いたします。六座家当主からも、近く正式な御礼をお持ちいたしますので、どうぞ緑小路様にも、お伝えいただけますでしょうか」
「承りました。では、またいずれ」
「ええ、緑小路家の佐崎さま。またお会いいたしましょう」
わざとらしく所属を口にした鈴木の考えは、正確には読み取れなかった。だが、恐らくは「黒旋風ではなく、華族に仕える使用人同士として交流を持ちたい」という意味だろうと受け取った。
一礼して去っていく鈴木を見送り、佐崎は花へと向き直った。
「戻りましょう。旦那様が心配されています」
「ええ、そうしましょう」
「駕籠をお呼びいたしますか」
疲れているであろうとの気配りであったが、花はさっくりと断った。
「駕籠を待っている時間が勿体無いから、大丈夫。それに、長い間狭い場所に閉じ込められていたから、少し身体を動かしたいの」
「左様ですか。足元、お気をつけください」
凝り固まった身体をほぐすように、しっかりと大地を踏みしめながらゆっくりと歩く花の後ろを、佐崎は見守りながらついていく。
「……本当に、うまくできて良かった」
もうすぐ屋敷が見えてくるだろうというあたりで、花がぽつりとこぼした。
「かのえさんの家を出て、本当にすぐだっただんだけれど、馬車が急に止まって、かのえさんが倒れかけたのを支えていたら、悲鳴が聞こえて……」
男たちが馬車の扉を叩き破って飛び込んできたかと思ったら、あっという間に縛り上げられてしまったらしい。
「最悪だった。かのえさんを支えていてわたしは動けなかったし、誰も助けてくれなくて」
振り返った花は、顔をくしゃくしゃに歪めていた。
「ごめんなさい、佐崎。折角色々と教えてくれたのに、わたし、自分もお友達も守れなかった」
「いいえ、お嬢様。謝るべきは私の方です。最初から送迎に私も同行しておりますれば、このようなことにはならなかったでしょう」
自信過剰のように聞こえる言葉だが、佐崎は確信を以て断言する。
あの程度の連中が何人束になってかかって来ようとも、花とかのえを守って戦うくらいは問題ない。
そのために幾人が命を落とそうと、その中に佐崎のものが含まれていようと、やり遂げる自信がある。
「ねえ、佐崎。わたしをまた、鍛えてくれるかしら。いえ、こんな言い方は失礼ね。ご指導のほど、どうかよろしくお願いいたします」
涙を拭って、花は佐崎に頭を下げた。
「わたし、怖かったけれど、それ以上にとても悔しいのよ。自分が非力で、誰も守れなくて、自分すら守れなくて、悪い奴に簡単に捕まってしまった」
もし自分が華族の娘でなかったら、あるいはあっさりと殺害されてしまっていたかも知れない。それは花にもわかっていた。
「結局、わたしは生まれのおかげで生き延びることができただけ。佐崎には苦労を掛けてしまったし、あの人は……」
花が指したのは、殺害された馭者のことだ。
「取り押さえられているときに、少しだけ見えたの。血だまりの中に倒れているのが」
花は自分の身体を抱えるように腕を組む。その指先が、少し震えていた。
「次はわたしだと思うと、怖くて声も出なかった。……あの人は、亡くなったのでしょうね」
一瞬だけの記憶だったが、それでも力なく倒れている馭者の姿には、まるで生気が感じられなかったのだろう。半ば確信として問う。
佐崎は、ただ一度だけ頷いた。
「そう……」
花は振り返り「帰りましょう」と呟く。
「お父様に、伝えなくちゃ。わたしは無事だってこと、犯人が捕まったこと、佐崎が頑張ってくれたこともね」
屋敷にたどり着いた二人を、多くの使用人が出迎えた。
事情を知る者はごく一部であったが、それでも花の不在に不穏な物を感じ取っていた者ばかりであり、安堵感は瞬く間に広まる。
「良く、戻ってきてくれた」
執務室で待っていた緑小路は、まず佐崎を労った。
そして、花の前に立ち、優しくその頭を撫でる。
「怖かっただろう。良く頑張った。偉いぞ」
「もう、そんな小さい子をあやすみたいに……」
花の言葉は、途中から涙で途切れてしまった。
さっきまでは我慢できたのに、と言う花を、緑小路の太い腕がしっかりと抱き寄せる。
「無事に戻ってきてくれてありがとう、花。良かった。本当に良かった」
緑小路の胸に泣き顔を押し付けたまま頷く花を見届け、佐崎は一礼した後、そっと執務室を後にした。
この場所に自分が居るのは相応しくない。
親子の絆を確かめている時間に、不純物を混ぜる気は毛頭なかった佐崎は、厨房へと顔を出して適当な時間を見計らってお嬢様へ昼食を準備するようにと伝えると、自分は自室へと戻った。
衣服を脱ぎ、洗濯籠へ放り込むと、下帯のまま布団へと寝転がる。
酷く疲れていた。
汗ばんだ身体を拭く気力もない。
しかし、確かな満足感がある。
いつの間にか、佐崎は眠りに落ちていた。