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14.勧誘

 雉峰襲撃の翌日、朝早くから佐崎の自室を津賀野が訪ねてきた。

「早くに申し訳ありません。佐崎さんにお客様です」

「お客様、ですか。はて」

 つい先ほどまで早朝の独り稽古を行っていた佐崎は、丁度身体を拭きあげたところであった。

 急ぎ衣服を着て、扉を開けると、いつも通りメイドとしての格好でまっすぐと立った津賀野の姿が見える。


「特にそういった予定はなかったかと思いますが。どたなでしょうか」

 佐崎の問いに、津賀野は廊下に誰もいないことを確認して、声を低くする。

「鈴木です。わたしと同じ組織の」

「ああ、あの方ですか」

 花を救出した際、六座家のかのえ嬢も救出しており、六座家に使用人として潜入している鈴木から「いずれ礼を」と言われていたのだ。


「わかりました。では、私がまず対応をいたしますので、津賀野さんは旦那様にお声掛けいただけますか」

「かしこまりました」

 さっそく廊下を歩き始めた津賀野が、ふと立ち止まる。

「鈴木は佐崎さんにご相談があるとのことでした。内容までは存じませんが……雉峰の件かと」


 先日の襲撃で、雉峰が死亡してしまったため、背後関係を調べることは不可能になった。

 彼の手下てかたちで生き残った者も大した情報を持っていなかったため、警察も政府機関も手詰まり状態になっている。

 ただでさえこのような状況だと言うのに、雉峰が脱獄した経緯が不明で、その責任を政府組織は警察に押し付け、互いの関係性は最悪な状況になっているらしい。


 最早連携など期待するべくもない状況であり、捜査など進むはずもない。


「何かわかった、という話であれば良いのですが。兎角、まずは旦那様に」

「そうですね。では」

 改めて、足早に向かう津賀野を見届け、佐崎は談話室へと向かった。

 談話室は晩餐の後にサロンのような形で賓客を迎えて談笑するための場所として作られ、少人数の訪問や相談を受ける際にも利用冴えている部屋だった。


 ここも西洋に見倣って暖炉が設置されているが、今は時期的に火は入っていない。ただの飾りのようになっていて、未使用の薪が丁寧に組み上げられている。

「問題ないようですね」

 室内に目立った汚れなど無いことを確認し、まずは案内されてきた鈴木を迎えて椅子へと案内する。


「どうも、お世話になっております。佐崎さま」

「ええ、先日より色々と……間もなく旦那様が見えますので、少々お待ちください」

「緑小路様御自らとは。畏れ多いことです」

 大仰に驚いてみせた鈴木は、勧められるままに腰を下ろした。

 抱えていた包を膝の上に置き、姿勢よく座っている様子だけでも、鈴木がかなり鍛えている様子が佐崎にはわかった。


「……お話がある、と伺っております」

「左様です。まずは緑小路様へご挨拶をさせていただいて、その後にお話をさせていただけませんか」

「構いません。私も確認したいことがございますので」

 そんな話をしている間に、津賀野に伴われて緑小路が姿を見せた。


「お待たせして申し訳ない」

 相手が使用人であっても、丁寧な対応を行う緑小路。その姿はいつも通りであり、彼が政治思考的に対立する以外では、あるいはそれらを含めたとしても、敵が少ないと言われる理由の一つだった。

 だからこそ、ここまで手の込んだ攻撃を行われる理由が不明で、敵方を絞ることが困難となっている。


 挨拶の後、鈴木が持参した土産を手渡すと、落ち着いたころに、六座家当主本人が改めて伺いたいとの旨を伝える。

 対して緑小路は自分が訪問するかたちでも良いと返答する。

 今回の件が花の六座家訪問から始まったことであるのに、一切のわだかまりが存在しないかのような対応であった。


 これで緑小路は懐の深さを示したことになるだろう。

 佐崎はこういった腹芸は苦手であり、政治家が日々行っているような裏のある会話などついていけそうにないと常々考えていた。

「寛大なお言葉、ありがとうございます。必ずや六座に伝えまして、きちんとした形でお迎えできるよう、準備させていただきます」


 一通りの形式ばった挨拶が終わると、緑小路が最初に退出する。

 津賀野も去り、残ったのは佐崎と鈴木の二人。

「では、佐崎さまにお願いしたい件なのですが」

 鈴木は座ったままで、佐崎は先ほど緑小路が座っていた椅子の後ろに立っている。

「お願いですか。先日もご希望通りに動いたばかりですが」


 どうやら新情報ではないらしいとわかり、佐崎は肩の力を抜いて息を吐いた。

「今回は別件です。わたしではなく、組織のもっと上の方からの指示でして」

 鈴木は頭を掻きながら、自分の発案ではないことをまず示した。鈴木の本意ではないと言いたいらしい。

「単刀直入に申しますと、私の組織に入っていただけませんか、というものです」


 眉を顰める佐崎に、鈴木はつらつらと言葉を並べていく。

「私どもは、佐崎さまの才能を高く評価しております。昨今きな臭さが強くなっている元士族たちの動きもそうですが、諸外国からの探りもなかなか面倒でして」

「何を言うかと思えば……申し訳ありませんが、私は生涯の主をすでに決めております。何と言われようと、ここを離れるわけには参りません」


 花との約束もある。

 きっぱりと断った佐崎に、鈴木は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「そうおっしゃると思いましたよ。まったく、上は現場の状況をわかっていないもので、勝手なことばかり言うものでして……」

 他に用が無ければ、と佐崎が退室を促すと、鈴木は素直に立ち上がった。


「いやはや、お手数をおかけいたしました。……ひとつ、御耳に入れておきたいことがあります」

 鈴木の顔から軽さがするりと抜け落ち、鋭い視線が佐崎へと向けられる。

「例の雉峰の脱獄の件、まだ調査は途上ですが、警察署の者が関わっていることはほぼ間違いありません。それと、我々や警察からも逃げおおせた者が若干名いるようです」


 雉峰が作った破落戸どもの集団の中で、一部別行動をしていたことで捕縛を逃れている者がおり、正確な人数は不明ながら、それなりの数の集団ではあるだろうとの話だった。

「警察では、捕まった仲間の解放を目指して署の襲撃を目論んでいるのではないか、と見ているようですね。妙な話ですが」

 内通者がいるのであれば、そこまでする必要はない。


「ですが、私は連中の動きは違ったものになると予想しています」

 鈴木は佐崎に近づき、顔を寄せて一層声量を落とした。

「復讐のため、このお屋敷を狙う可能性があり、その準備に入っている兆候があるのです」

 佐崎は眉間を指で押さえた。

「また、ですか」


 懲りない連中に嫌気がさしてくるが、可能性がある以上は対策をせねばならない。

「連中を誘導している者がいる可能性もあります。そちらはわたしどもで調べを進めているところですので、佐崎さまにおかれましては、どうぞご注意を」

 別行動をして、何か所かで暗殺や強盗をやらかしているあたり、幾人か腕の立つ者が含まれているとみられる。


「良いでしょう。あちらから来るのであれば、手間が省けるというものです」

 鈴木の言葉に、佐崎はそう答えた。

 その目には、静かな炎が燃えている。


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