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第60話 トップを侮るなかれ

「春子達を出せ! 今すぐにだ!」


 春子達が所属する声優事務所。

 その社長室内から突然怒号が鳴り響き、オフィスは騒然とする。

 声の主は小林忠文。

 アポも無しで突然やってきた忠文はまっすぐに社長室へ飛び込んできて怒鳴り散らしていた。


「小林ディレクター。急にどうしたのです? 今お茶を入れますからまずは落ち着いてください」


 対して社長の佐藤臣は澄ました顔をして応対している。

 怒りに染まりきっている相手に対して、えらく冷静な対応だった。

 アツアツのお茶が雑に出され、小林の怒りは更に増長する。


「茶などいらん! それよりも春子を出せ! 千秋と冬彦もだ!」


「なぜですか?」


「理由などどうでもいい! さっさと出せ!!」


 この様子から社長は忠文も昨日の四季の配信を見たのだと確信する。

 今夜、もう1件大物の暴露があると聞いて焦っていることも。


「——私達に何か御用ですか?」


 見計らっていたかのようなタイミングで春子達が社長室に入室してくる。

 その横には千秋、冬康、そして翠斗も居た。


「夏樹……っ! お前もいるということは……やはりお前たちが『四季』なのだな!?」


「四季? 誰です? 俺はただ退職関係の手続きに来ただけですが?」


「嘘を付け! 暴露系VTuberの夏男! アレがお前だろうが!!」


 忠文は翠斗の胸ぐらを引っ掴み、厳つい顔を近付けてくる。

 眼光を咎めて脅しているつもりなのだろうが、翠斗の表情はピクリとも動かない。


「クソガキが……! 今日の配信で何を暴露するつもりなのか言え!!」


「小林ディレクター! 何をやっているのですか! その手を放してください!」


「ええい! うるさい!!」


 小林は払いのけるように腕を大きく奮う。

 その手が春子の頬に当たってしまった。

 春子はその場に崩れ、叩かれた箇所を手で抑えながら視線を床に落とす。


「春子!!」


 千秋が春子の元へ駆け寄り、彼女を抱き寄せる。

 冬彦は二人を守るように間に立ち、眼光を鋭くさせながら忠文を睨みつけていた。


「春子に謝ってください。小林ディレクター!」


「くっ——! そんなことはどうでもいい! お前らどういうつもりだ! なぜVTuberを名乗って情報を発信した!? 次は……俺の情報を暴露するつもりか!!」


 ——『どうでもいい』


 春子を殴ったことをどうでもいいといった。

 胸倉を捕まれている翠斗も、春子を抱き寄せる千秋も、間に立つ冬康も、全員が忠文に対して殺意に近い感情を抱いた。

 その中でも最も強い怒りを示したのは——社長の佐藤臣だった。


「いいかげんにしたまえ」


「あっ!?」


 今まで静観していた社長が一歩、また一歩と前進してくる。

 忠文の眼前にまで近づいた社長は忠文をキッと睨みつける。

 温厚な佐藤社長が初めてみせる怒りに満ちた表情だった。

 置物と思っていた社長が突如見せた厳つい形相に忠文は掴んでいた翠斗の胸ぐらを放してしまう。


「アポイント無しでの訪問、意味不明な暴言の数々、そして当社のタレントへの暴力。分かっているのか? これは大問題だ。このことはアンタの会社にも報告させていただく」


「なんだと!? お前程度が俺に楯突く気か!?」


「その言い回し、井内監督とそっくりですな。さすが師弟。師もクズなら弟子もクズですかな?」


「貴様……! 貴様程度が楯突いたくらいでは俺は失脚したりなどしないぞ? 俺は業界に広い顔を持つ! 井内さんとは違い、俺は足が付かないように慎重にやってきたんだ! 何を暴露されても証拠不十分のはずだ! 俺を誰だと思っている! この置物社長ごときが!」


「ふむ。キミは何も分かっていないようだね。小林」


 もはや目の前の男に敬称を付けることすらしない。

 侮辱するように佐藤社長はわざと見下すように更に顔を近付けた。


「私は社長だ。この会社のトップだ。会社の仲間を守る為ならばどんな敵とも戦うさ。アンタの会社には必ず責任と取ってもらう。それにアンタは今後一切当社への出入りを禁止とする。その権限を私だけが持っている」


「な、なんだと……!」


「当然アンタ個人にも責任を取ってもらう。井内に春子くんを売ろうとしたことも、夏樹くんを追い込んだことも、私は絶対に許さない」


「ふ、ふん! 証拠はあるのか? それを全部俺がやったという証拠は! ないだろう? ないはずだ!」


「確かに今までの悪行については証拠はないかもしれないね」


「そ、そうだろう!?」


「この場でアンタが暴力を奮ったという証拠しか私はもっていない」


「——っ!」


「先ほども言ったがアポ無しで乗り込んできた件やタレントに暴力を奮ったことはもう隠しようのない事実だ。それだけでも十分すぎる大事件だ」


「く、くそ! たまたま振り払った手が春子に当たっただけだ! 不可抗力だろうが! おい、春子! そうだよな!? そうって言え!!」


 完全に自分を見失っている忠文はあろうことか春子に脅しに掛かろうとしていた。


「やめろ!」


 翠斗が忠文の手を掴む。

 しかし、暴走中の忠文は凄い力で翠斗の手を振り払い、再び胸ぐらを掴みだした。


「お前……! 俺をはめたな!? 第三者を語って井内さんの件を暴露して、俺をあせらすことが目的だったんだ! 俺を激昂させ、この場で暴れさせるつもりでいやがったな!?」


「怒り狂っている割には頭が回るじゃないですか」


「うるさい!!」


 忠文の右腕が振り回される。

 ブォンと風を切る大音を靡かせながら、大きな円を描くように忠文の平手が翠斗の頬に伸びていた。

 だが、その巨大な腕が翠斗に当たることはなく——



    パチィィィィン!!



 乾いた音が室内に轟く。

 忠文の平手打ちは社長の頬にぶち当たっていた。

 翠斗の頬に当たる寸前に社長が二人の間に飛び行ったのだ。

 忠文の爪をかすめたのか社長の目の下辺りから血が滴っていた。

 だが、明らかな大怪我を負わされたのにも関わらず、社長は表情一つ崩さず忠文を睨みつけていた。


「あ……あ……!?」


 まさか流血させることになるとは思ってなかったのか、忠文は目を見開きながらただ声を震わせていた。

 ここまでの騒ぎになるとさすがに言い逃れが出来ない。

 だからもうこれ以上暴れることはしないだろう。忠文の様子からそう判断した社長はデスクに向かい内線を使ってどこかに電話をかけ始めた。


「私だ。至急警備員を社長室へ寄越してくれ。部外者が無断侵入し、ウチのタレントが暴行を受けた。私も血を流している。警備会社と連携し警察にも出動してもらうように」


「け、警察だと!? そ、そこまでおおごとにせんでも……! わ、わかった! 侮辱したような発言をしたことは謝る! 夏樹……くんの件に関しても自分から公表して謝罪する! だから警察沙汰には——」


 この期に及んで見苦しい言い逃れをしようとしている忠文を社長はキッと睨みつける。


「小林ディレクター。キミは先ほど私のことを社長ごときとか言っていたね?」


「あ……あ……!?」


社長トップを舐めるんじゃない。小物ディレクターごときが!!」


 社長の激昂した声に恐怖し、忠文はその場にペタンと座り込む。


「アンタと会うのは今日で最後になりそうですな」


「くそ……! ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 忠文の絶叫が木霊する。

 次の瞬間、警備の人間がバタバタと入室し、忠文はあっさりと押さえつけられた。

 アレほど強かだったディレクターがまるで子供のように涙を散らしている。

 そして全て一人で解決に持っていった立役者は顔から血を流しながら翠斗達に向かってニッコリと微笑んでいた。

 その頼りがいがありすぎる姿に春子達は乾いた笑いで返していた。


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