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第69話 ささえがささえる


    【main view ささやきささえ】



 ずっと空き部屋だった隣の部屋に突然変な人が引っ越してきた。

 壁に穴が空いた部屋にやってきた異性。

 男の人に私生活が丸見えにされる。

 普通なら考えるだけでも身の毛のよだつ最悪の事態だって思うのに——

 不思議と私は全然嫌ではなかった。


 それはきっと隣人が夏川翠斗さんだったからだろう。

 配信に理解があって、プライベートも尊重してくれて、何より優しかったから。

 夜分に私が遠慮なく大声で配信をしていても翠斗さんは文句ひとつ言ってこなかった。

 それどころか、翌日には『昨日の配信面白かった』と嬉しい感想までくれる、そんな人だった。


 話上手で気配りもできて女の子の扱いも上手い。

 完璧すぎる理想の隣人。

 この人が隣に引っ越してきてから私のプライベートはより充実していった。


 だけど不満がないわけではなかった。

 翠斗さんは紳士すぎる。

 プライベート丸見え空間に年の近い女子が居るにも関わらず、まーったくこちらに興味がない素振りが私には不満だった。

 わざと壁穴の前で着替えを行ってもこちらを見ようともしない。

 視界に入る位置に洗濯物の下着を干しても全然興味を示してこない。

 手を伸ばせば触れられそうな位置で居眠りしていても触れてくる素振りすらない。

 無性に悔しかった。

 だから近づいた。

 私の方から壁穴を乗り越えて、翠斗さんのプライベート空間に侵入した。

 休日になれば、配信中と寝るとき以外はずっと翠斗さんの部屋で過ごした日もあった。

 いつの間にはそんな日々が当たり前になっていた。

 結局翠斗さんから手を出してくることは一切なかったけど……

 一緒にいると、いつも心がポカポカしていた。



 彼のことは最初から気になっていたのだと思う。

 優しくて紳士な部分に惹かれたのはもちろんだけど、私は彼のミステリアスな部分にも惹かれていた。

 翠斗さんは謎が多い。

 その中でも一番の謎はあの言葉——



 ——『俺は声優を追放されたんだ』



 ずっと謎だった。

 こんなに実力がある人がどうして声優を諦めてしまったのか。

 翠斗さんはその件に関してずっと閉口していた。

 だから私から触れていいのものなのかずっと迷っていた。

 きっと悲しい過去があったのだ。

 無理に話させてしまうことで心の傷を広げてしまわないだろうか……

 翠斗さんと会った頃の私はそれが怖くて聞き出すことができなかった。



 でも今は違う。

 半同棲状態の日々を過ごすうちに、絆は芽生え、気持ちが膨らみ、彼のことを一番に考えるようになった。

 だからもっと強い繋がりを求めた。

 間接的に彼に“好き”と伝え、関係性に進展を求めたのだ。

 声優を追放されて、翠斗さんが傷ついたままだったなら……

 彼を癒すのは自分なんだと強い意志と覚悟を持った告白だった。



 しかし、彼は中々返事をくれなかった。

 彼を好きな人は別にもいる。

 天の川レインさん。

 彼の心は私とレインさんの間で揺れているから告白の返事を迷っているのだと思っていたのだけど……



 ——『俺には好きな人がいる。でも俺は企業Vtuberだからそう簡単に恋愛することを許されない。でも条件次第では認められることになったんだ。それが『チャンネル登録者数3万人』。それを超えたら俺は恋愛することを許可される』




 それを聞いた時、私は自分の浅はかさにショックを受けた。

 私はこれからプロの世界で活躍を目指していく。

 VTuber業界が『恋愛禁止』のタレント業である可能性など1ミリも考えていなかった。

 告白の返事がないのは当たり前だ。

 この業界は声優業と同じように恋愛を良しとしない業種なのだから。


 だけど翠斗さんはその『先』まで考えてくれていた。

 どうすればVTuber同士の恋愛が認められるのか朝霧さんに直談判してくれていた。

 そして翠斗さんは『チャンネル登録者数3万人達成』で恋愛を許されるという条件を勝ち取ってきた。

 更に信じられないことに翠斗さんは『この配信枠中に』3万人を目指す様子だった。

 1日でプラス30,000人のチャンネル登録者数。

 超大手VTuberならともかく、そんなこと普通ならできっこない。

 無茶。無謀。身の程知らず。

 そう考えるのが当然であるくらいの途方もない目標。

 なのに——



『皆さん! お願いします! どうしても今日中にチャンネル登録者数3万にいかないといけないです!』



 翠斗さん——七色みどりさんが“本気”であることは配信を見に来ている者全員が疑わなかった。

 春夏秋冬の人気を利用した翠斗さんの奥の手。 

 ぐんぐん伸びるチャンネル登録者数。

 春夏秋冬目当ての人もみどりさんの人柄に触れて『応援したい』という気持ちにさせているということが一番の要因だと私は思った。



「(どうだ皆! これが七色みどりだよ)」



 すごいだろ。

 私の好きな人すごいだろ。



「(皆、翠斗さんを支えてくれてありがとう……でも……)」



 たくさんの人にささえられている翠斗さん

 すごい、と思う一方で私は少し嫉妬する。



「(これからの翠斗さんを一番近くでささえる役目は誰にも渡さないもんねっ)」



 彼が過去に傷つけられたことを知った。

 私の想像の10倍くらい壮絶だった。

 きっと彼の心の傷は完全には癒えていない。

 でも大丈夫。

 私が居る。

 今なら自信を持って言える。



「翠斗さんの傷は……私が全部癒してみせる」



 私はヒーラーボイスVTuber

 貴方を癒す言葉をたくさんたくさん持っているから!



「(もう少しだよ。翠斗さん)」



 チャンネル登録者数が29,000人を突破した。

 この勢いなら……きっと……!



「(ん?)」



 ふと、視線を感じた。



「(あっ……)」



 翠斗さんが壁穴の向こうからじっとこちらを見ている。

 真剣なまなざしで私を見てくれている。



「(翠斗さん……)」



 今までは全然壁穴の向こうを見ようとしてくれなかったのに……

 今はこっちを——私を——見てくれている。



「…………」

「…………」



 無言。

 静寂が包む薄暗い空間で私と翠斗さんの視線だけが交わり合った。

 どちらも目を逸らさない。

 照れくさくて逸らしたくなっても逸らさない。

 今だけは絶対に逸らしてはいけない。



「…………」

「…………」



 翠斗さんは緊張しているように見えた。

 チャンネル登録者数3万が近づいて、表情が強張っている。

 故にわかる。

 彼は3万人に到達した瞬間、告白をする。

 私に告白をする。



「…………」

「…………」



 もう、何をそんな緊張してるのさ。

 私からの答えなんて……わかりきっているでしょ?



「…………」

「…………」



 そうか——

 彼は——傷つくのが怖いんだ。

 万が一、億が一にも『自分がフラれる』という可能性を恐れているんだ。



「…………」

「…………」



 リスナーさん、お願い。

 早くみどりさんのチャンネル登録者数を3万人にしてあげて。

 緊張で恐れている彼を一刻も早く安心させてあげたいから。



「…………」

「…………」



 何秒……いや、何分見つめ合っただろう。

 静寂の時は進む。

 無言の配信枠に刻まれるチャンネル登録者数カウンターは少しずつ積み重なっていく。



「…………」

「…………」



 29,997……


 29,998……


 29,999……



 長い、長い、無言の刻を経て


 人生最高の瞬間が


 生涯忘れ得ない瞬間が


 今、訪れた




 “30000”




 それは同時の出来事だった。



 ——『チャンネル登録者数30,000人到達』と



「ささやきささえさん! 俺は!! 貴方に恋をしています!!! 俺と付き合ってください!!!!」



 ——『翠斗さんの告白の言葉』と



「——っ!!」



 ——『私が壁穴を駆け抜けて翠斗さんに抱き着いたこと』と



 ——そして



「はい!! 私もずっと貴方が好きでした! 貴方の恋人にしてください!」



 私の告白の返事の言葉すらも、すべて同時に起こった出来事のように思えたのだった。

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