こんばんは。
今週も時間ができましたので、
母のエッセイを書きに来ました。
母は、名義上会社を無事に引退しました。
母の、娘の配偶者に名義は変わって、
会社は新体制になっています。
母の末の娘の配偶者が、今度の社長で、
私はあいかわらず事務員さんです。
母はちょっとだけお手伝いをして、
好きな時に帰るという体制になりました。
家で好きなことをしているといいなと思います。
また、母の趣味のテニスも、
時間が合えばレッスンの回数を増やすと言います。
元気ならばそれがいいです。
ただ、あんまり無理しないでほしいなと思います。
これからどこかに旅行に行くこともいいでしょうし、
今まで働いていて近所のこともよく把握していなかったと聞きます。
母の家の近所はこのところ開発が進んでいて、
新しいお店も住宅街も、
バンバンできているのです。
知らないうちにお店ができていて、
どんなお店かまだ行ったことがないというのも、
結構あるようです。
今は少し暑すぎるので、
お散歩には向いていませんが、
心地いい気候の頃に、近所のお散歩でもしてもらえればと思います。
何を見つけたかのお話も、
母から聞ければと思っています。
今まで走り続けた母です。
いきなりのんびりはできないかもしれませんが、
がむしゃらに走る必要がないことを、
伝えられればと思います。
今回も、そんな母の記憶が雨と降ります。
今回は、母と新婚旅行です。
母と、最初の夫との新婚旅行について書きたいと思います。
母は、最初の夫と、
あまり旅行ができなかったそうです。
私たち娘ができてからも、
結局旅行や、もっと言えばお出掛けなどもありませんでした。
義理の父がお前たちはこれから何度でも行けるんだからと、
お留守番をさせていたと母は言っていました。
多分今でもそのことを恨んでいるのかもしれないです。
何度か書きましたように、
母の最初の夫は早くに癌で亡くなってしまったので、
思い出を残さずにいってしまったと、
母は時々涙し、行き場のない思いを、
もうこの世にいない義理の父に恨みつらみぶつけるようです。
誰か恨まないと、気持ちが今でも整わないのかもしれません。
母の中では、悪がいないといけないのかもしれません。
夫が早くに死んでしまったという理不尽に、
何かしら悪があって、それを恨まないとやってられないのかもしれません。
母の最初の夫と、さすがに新婚旅行は行けました。
新婚旅行すらさせなかったら、
さすがに世間体が悪いと、
義理の父も思ったのかもしれません。
まぁ、そこまで考えていたかはもうわかりませんが、
母が語る義理の父の話は、
恨みがかなりあるので、どうしても私もいいイメージが持てません。
義理の母については、とてもいい方だったという話ばかり出てきますので、
嫁姑問題はなかったんだろうなぁと思います。
とにかく、旅行に行かせない義理の父でも、
さすがに新婚旅行には行かせたようです。
新婚旅行先はタイでした。
自動車整備工場のいろいろな人が集まっての、
ツアーであったようです。
ツアーであればいろいろな観光地を回ることができるようです。
母から聞きましたのは、
水上マーケットというものがあったのだということでした。
私が聞いた当初は幼すぎて、なんだそれでしたが、
年を重ねて検索が可能になってから、
タイの水上マーケットと言うと、
船の上で商売をするようなものだと知ります。
多分運河だと思うのですが、
水路にたくさんの船が浮かんでいて、
異国のものをたくさん並べて売っています。
それが、南方系特有の色とりどりの品々です。
フルーツも野菜も、色彩が豊かで鮮やかです。
私は検索の画像でしか知りませんが、
若い母が異国にやってきてこれを見たら、
とても感動しただろうと思うのです。
遠い異国に、伴侶とともにやってきた。
そんなこともあいまって、
心に残る新婚旅行になっただろうと思うのです。
また、母にとって悪いというわけではないのですが、
ツアーにやってきた方は大半が男性の方で、
タイの夜には、いわゆる買春目的に、
歓楽街に出て行ったようです。
当時の日本の経済がどのくらいかはわかりませんが、
戦後しばらく経った頃で、
経済力をどんどん上げろとしていた頃かもしれません。
先進国家になるんだと、そこに肩を並べるくらいになるんだと。
経済成長を右肩上がりにするように張り切っていた頃かもしれません。
いわゆる東南アジア諸国を、
下に見始めていた頃かなと思います。
戦時中とはまた別の視点から、
日本はもっと上に行くんだと思っていた頃かもしれません。
ここからさらに時が過ぎるとバブルになったり、
日本人がどんどん海外旅行に行ったり、
海外で一部横柄な態度を取ったりする日本人もいたと聞きますが、
バブルがはじけてそれから日本はどうにも元気がないような気がします。
母がタイに新婚旅行に行った頃は、
日本はこれからという機運があったのだろうと思います。
買春に出て行ったツアーの男性たちも、
悪いことなどと全然思っていなかったのだと思います。
異国の女性と性行為をすることに、
何の罪悪感もなく、
安く性を売っているんだから買うということ以外に、
思うところはなかったのだと思います。
まぁ、書いている私も、話をしていた母も女性ですから、
性を買うということについて、
あんまりいいイメージがありません。
日本人が海外にやってきてまで性を買うということに、
母はげんなりしたようでした。
結局、歓楽街に出かけなかったのは、
母と、母の夫と、
それからとても真面目な男性だけでした。
自動車整備工場の皆様のツアーでやってきたので、
その真面目な男性も自動車整備工場を営んでいました。
タイ旅行もかなり前のお話ですので、
その真面目な男性も、生きていれば相当のお歳ですし、
あるいは亡くなっているかもしれません。
ただ、母が二人目の夫から継いで、
さらに次の社長に引き継いだ会社に、
自動車整備工場の方々がいらっしゃるのですが、
あの時の真面目な男性の、息子さんがいらっしゃっています。
母はその方を見るたびに、
お父様が真面目な方だったから、
息子さんも真面目な方だと言います。
母と、最初の夫とは、
あまり旅行に行ったとは聞きませんでしたが、
タイ旅行はいろいろな思い出の詰まった旅行であっただろうと思うのです。
結婚は、結局何度かできるとしても、
最初の新婚旅行は一度だけです。
結婚のたびに新婚旅行をするとしましても、
一番最初というのは、一度限りです。
若い母はいろいろなことを感じたと思います。
この伴侶と添い遂げるくらいのことも考えたかもしれません。
母も不真面目な考え方を持っている人ではありません。
家に入って子を作り、
家を守っていくと考えていたかもしれません。
この伴侶と末永く、
この家を継いでいこうと思っていたかもしれません。
タイ旅行で、そんなことを話していたかもしれません。
旅行で浮かれた気分のまま、
子どもは何人欲しいとか、
いつかどこかに行こうとも話したかもしれません。
叶わなかったことも多かったかもしれませんが、
新婚旅行は、間違いなく幸せなものであっただろうと思うのです。
母は、この時幸せだと感じたことがあれば、
その幸せを胸にずっと生きていけると言っていました。
波乱万丈の人生を送ってきた母ならではです。
恨みも理不尽もありました。
何かを悪く言わないとやっていけないこともありました。
それでも、母の中には誰にも奪えない幸せな記憶があって、
その輝きとともに母は生きています。
どうか、輝くその記憶が失われないよう、
私は願うばかりです。
せめて、記憶を残せるよう、
私はこうして母のエッセイをつづっていきます。
また、時間がありましたら、
母のエッセイを書きに来ます。
ではまたいずれ。