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第22話 母と梅むすめ

こんばんは。

今週も時間ができましたので、

母のエッセイを書きに来ました。


この暑さのせいばかりではないと思いますが、

母が少々とぼけております。

認知症のはしりかもしれませんが、

少しとぼけているなと思う程度で、

怒りっぽくなるわけでもないし、

何かを貶めたりするわけでもないので、

それなりに聞き流しつつ、母の話を聞いています。

最近ですと、母が蕁麻疹になったというのがありました。

エッセイに書いたかは失念しましたが、

母は、朝ごはんに外食でお魚の煮つけを食べて、

それで少し蕁麻疹ができたとのことで、

なんだろうと思ったまま、

昼ごはんにスーパーのお寿司を食べたところ、

蕁麻疹が全身に広がって、

母はそのとき、お魚が原因の蕁麻疹だと思ったようです。

翌日病院に行って、

蕁麻疹なんですけどと言ったけれど、

お薬が出なかったと愚痴っていました。

市販の蕁麻疹のお薬で何とかしたらしいです。

その後、母はお魚食べられないのとよく言っていました。

お魚を食べようかと思ったら、

身体が拒絶するかのように蕁麻疹ができると言っていました。

スーパーでお寿司を見るだけで蕁麻疹が出るとのことです。

その現場に居合わせていないので、

私としては、どうなんだかなぁという気持ちです。

体調悪い時に青魚を食べて不調になるのはありうると思いますが、

お魚を見ただけで蕁麻疹というのは、

私は少し疑っています。

何かの思い込みかもしれないと思いますが、

思い込みも体調に影響がないとは言い切れないので、

何かの引き金はあったのかもしれません。

ただ、これにはもうひとつエピソードがあって、

母はお魚食べられないとしょっちゅう言っているのですが、

私たち姉妹の三女の、娘夫婦と孫と外食に出かけて、

結構平気でお魚を食べています。

その時は蕁麻疹のことなど忘れているようです。

蕁麻疹のじの字も出なくて、

食べてから蕁麻疹で大変なんだとも言わないそうです。

ただ、その食事のことを一切忘れた後で、

お魚で蕁麻疹ができたという、はじまりのお話に戻ってきて、

お魚食べられないんだというお話に戻ってきます。

お魚を美味しく食べたことも忘れています。

そんなとぼけたところもある母です。

下手に強くツッコミも入れることなく、

そうなんだねと受け流して聞いております。

まぁ、何か蕁麻疹のきっかけはあったのでしょう。

もしかしたら蕁麻疹でない何かだったのかもしれません。

そのあたりは追及せずに、

母の語りたいように語らせています。

正論が何もかも正しいわけではありません。

とぼけた母も、悪いものではありません。

今回も、そんな母の記憶が雨と降ります。


今回は、母と梅むすめです。


梅むすめという言葉を聞いて、

だいたいの市町村が絞られるかと思います。

ぼかしてもしょうがないのですが、

あそこだろうなと思っていても構わないです。

まぁとりあえず、

梅の名所の公園があって、

その公園で梅の咲いている時期に、

梅むすめと呼ばれる女性たちが、

梅を見にやってくる観光客の方々にご挨拶やおもてなしをする。

今では梅大使と言うようですが、

男女平等がどうしたとかで梅むすめでなくなったとか、

そんなことを聞いたような気がします。

とりあえず母の時代は梅むすめで、

女性が華やかな振り袖姿でお出迎えするお仕事でした。


さて、母は梅むすめになったことがあります。

若かりし頃の母、大体年齢的には大学生頃かと思います。

大学に進学はしていなかったので、

高校で新卒就職のあたりかなと思います。

どこかにお勤めをある程度していた頃じゃないかなと思います。

当時はネットなんてありませんでしたから、

新聞の情報は強いものでした。

新聞の広告に載ると、一気に広まるような時代でした。

そんな時代、母は広告を見つけました。

梅むすめ募集の広告でした。

具体的なお給料などは母もうろ覚えのようでしたが、

梅むすめになりますと、結構いいお給料が出るとのこと、

そして、梅むすめで着た振袖がもらえること。

これはいい稼ぎになるお仕事だと、

母は深く考えずに応募しました。


どうやら書類選考は通ったらしく、

母は面接までたどり着きました。

堂々とした受け答えに、面接も突破したようでした。

若かりし頃の母は、かなりの美人でした。

目の大きな華やかな美人でした。

おそらく化粧映えもしたんじゃないかなと思います。

しっかりお化粧をした母が振袖を着たならば、

梅むすめとして見栄えがいいだろうと、

そんな理由があったのかもしれません。

また、母は考え無しだったのですが、

梅むすめという華やかな職には、

自分の外見に自信のある女性がたくさん応募するものです。

私こそはと思う女性が、

あちこちから応募してきたと思います。

広告を出していて、お給料がよければなおさらです。

そこを母は勝ち抜いてしまいました。

梅むすめは一人ではありませんが、

倍率はそれなりに高かっただろうと思うのです。


その年の梅まつりのポスターに、

梅むすめ勢揃いの写真がおそらく載ったかと思います。

もはや半世紀以上前のお話ですので、

おそらく画像も残っていないでしょう。

母は期間中しっかり梅むすめをこなして、

元梅むすめという肩書を手に入れました。

ただ、母としては、梅むすめはいわゆる黒歴史のようです。

自慢げに語ってはいません。

整備士の資格については時々自慢しますが、

梅むすめについては隠したいようです。

憶測で私が語ってしまいますが、

母としては、容姿で勝ち取った職業というのが、

あまり自慢できることではなかったのかもしれないと思うのです。

見た目の良さで得をするよりも、

腕や実力で勝ち取ったものの方がいいものだと、

思っている節が母にはあります。

あるいは、見た目の良さで得をするということは、

女ということで得をしているということともつながり、

母の価値観ではありますけれど、

女ということを売りにしている、

水商売などを連想してしまっているのかもしれません。

あるいは、もっと言えば女を売っていることも、

連想してしまっているのかもしれません。

母の若い頃の見た目はとてもいいものでしたが、

その見た目を売っていると思われるのが嫌だなと感じて、

母は梅むすめを隠していたのかもしれないと思うのです。


母は当時を生きた女性ではありましたが、

見た目よりも、自分の実力を認めてほしいと思っていたのかもしれないと思うのです。

女は愛嬌とは今でも時々聞きますけれど、

昭和の当時は、もっと女は愛嬌だったのかもしれません。

女性はニコニコ笑っていればいいという、

観光客に笑ってご挨拶していればいいという、

そんな仕事は、母としては隠したい歴史なのかもしれません。

何十年も過ぎた頃に、

元梅むすめを集めるというイベントがあったようですが、

母はそのイベントを無視して、

知らないふりを貫きました。

母の梅むすめから何十年も過ぎた頃でしたので、

母もかなり年を取っていました。

こんなおばあちゃんなんて、

梅むすめなんて柄じゃないらしいですけれど、

梅むすめが黒歴史なんだろうなと思うのです。


そんな、母の意に反して母は美人でした。

学生時代は男女にモテていたとか、

後輩から挨拶されていたとか、

母からそんな話をしてくれました。

また、母の最初の夫は、

母のことを高嶺の花だと称していたようです。

高嶺の花が嫁いでくるわけないよと言っていたとか。

そんな高嶺の花が嫁いできたので、

近所では大騒ぎになったとか。

母の実家は貧しかったのですが、

腐ることなく真面目に生きてきた母は、

見た目以上のものを手に入れたように思います。

見た目は確かに優れていましたが、

心はもっと大事だったこと。

そのことを教えてくれたように思います。


また、時間がありましたら、

母のエッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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