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第21話 母と最初の嫁ぎ先の義父

こんばんは。

今週も時間ができましたので、

母のエッセイを書きに来ました。


梅雨も明けて暑い日が続いています。

執筆をするパソコンのある部屋には、

エアコンがなく、サーキュレーターでしのいでいます。

日中の暑い時間などに、

あんまり頭がぼんやりする際には、

家の中で唯一エアコンのある部屋に避難したり、

あるいは車を出して、

ドライブがてら車のエアコンで冷えたり、

車でスタバなどに行って、

そこで身体と頭を冷やしがてら、

いろいろなことを考え直したりします。

夜になると大体気温が下がってきます。

それでもなかなか暑いです。

さて近況も書かせていただきます。

母は、娘の配偶者に会社を引き継ぎました。

私から見ますと、末の妹の旦那です。

引き継いでいろいろなことを変えていっていて、

もっと会社をよくするべく奔走している最中です。

まだまだ引き継いで間もなくですので、

私も新しいやり方に馴染んでいなくて、

考えすぎて思考がショートしそうになります。

赤ちゃんの知恵熱はこんな感じで起きるのかもしれません。

また、引き継いでそうそうこの暑さです。

暑さで思考がおかしくなっているのかもしれません。

とにかく、頭と身体を冷やしつつ、

仕事も執筆も、しっかりやっていきたいと思います。

母は、引き継がれた会社のお手伝いをしばらくした後、

会社のすべてをしっかり渡す予定だそうです。

そのあたりは、引き継いだ新社長がしっかりやってくれています。

頼りになります。

私はと言うと、統合失調症という脳の病気を抱えていますので、

責任のある役割を持つのは避けた方がいいと思っています。

私は長女ではありますけれど、

責任をしっかりとれる、仕事のできる方が会社を引き継いだほうがいいです。

私は、新社長のもと、事務職をしているのが性に合っています。

生まれた順番で事業を引き継ぐというのはなく、

本当にできる人がやった方がいいと思います。

母も、新しい社長を信頼しているようです。

新体制はまだ整ったとは言い難いですけれど、

母は、今まで走るように働き続けていて、

ようやく、休めるようになるのだと思います。

お疲れ様です。

あとは娘やその配偶者でがんばりますので、

母はゆっくりしてほしいなと思っています。

本当に、よく走り抜きました。

今回も、そんな母の記憶が雨と降ります。


さて、今回は、

母と最初の嫁ぎ先の義父、です。


母は二回の結婚をしています。

母の最初の夫は、

私と、私の妹という、二人の娘を授かって間もなくに亡くなりました。

胃癌の進行の早いものであったと聞きました。

親子四人の写真も残せないまま亡くなってしまったと、

今でも時々母は涙ぐみます。

母の二人目の夫は、

だいぶ長いこと母と連れ添ってくれました。

母と、二人目の夫の間に、

私たち三姉妹の三人目の娘がいます。

父親が違う姉妹でありますが、

無視をするとか、関係がないとか、

そんなことはなく、

配偶者をそれぞれ持ってから、

母のいる実家に集まったりもします。


さて、母の最初の嫁ぎ先の義父についてですが、

大正生まれの義父で、価値観の古い方であったと聞きます。

母にとっての義母、つまり姑の方に関しては、

とてもできた方であったと母は語ります。

料理はとても上手で、

家のやりくりをこなしていて、

それでいて義父を立てる方で、

優しく穏やかな方であったと聞きました。

母に言わせると、義父はそれを当たり前に思い、

義母の夫であることと、古い価値観に胡坐をかいていたようです。

女は男を立てるのが当たり前で、

女は男より劣っていなければならない。

母に言わせればそんな方であったようです。


母の語っていることですが、

母の父の二郎さんに関しましては、

大正生まれでありますが、女を劣ったものと見ていなかったと言います。

ただ、母の性根がかなり強いものであったので、

母と、母の弟の長男さんの性別が逆だったらなと語ったと聞きます。

母の弟の長男さんは、

心根が優しく、俺のことはいいからと譲ってしまう方であったと聞きました。

我を通す母と、譲ってしまう母の弟の長男さんが、

入れ替わったら、母の実家の米屋のあとも何とかなったのではないかと、

二郎さんはぼやいていたと聞きます。

母の我の強さは認めていて、

女だから劣っているものとは見ていなかったと聞きます。

大正生まれの男性としては、

こんな考え方の方もいたようです。


さて、母の義父の話に戻しましょう。

母の義父は、自分がよければいいと思っていたと、母は語ります。

母の最初の夫と、母と、娘の私たちは、

一緒に出かけたのは、病院のレストランだけでした。

母の義父は、お前たちは若いんだから、

これからいつでも旅行に行けると、

自分たちばかり旅行三昧をしていたと聞きます。

また、母の最初の夫、つまり義父にとっての息子が、

調子が悪いと言ったときも、

誰とかは血を吐くまで仕事したんだから、

もっと仕事しろと言ったと言います。

結果、胃癌が進行して、母の最初の夫は亡くなりました。

旅行になんて行けませんでした。

思い出もほとんどありませんでした。

母は、今でも義父のことを恨んでいます。


母の最初の夫が亡くなって以降、

母は、嫁ぎ先の会社を継ぐべく、

資格をいろいろと取ろうとします。

車関係の会社でしたので、

整備士資格があると強いです。

母は三級、二級と取りました。

また、車関係の会社では、

車の保険も取り扱っています。

今でもテレビなどのコマーシャルが流れていると思いますが、

車に関する保険は多岐にわたります。

その保険を取り扱える資格というものもあります。

母はその資格も取ろうとしました。

嫁ぎ先の会社を支えるため、

夫の残した会社を支えるためでした。

しかし、保険の資格を取るべく、講習に出ていると、

義父から帰って来いと言われました。

うちの会社は保険で食べていくわけじゃないんだという言い分であったと聞きます。

母は、理解に苦しみました。

会社に必要な資格なんだから、

取っておいた方がいいはずなのになぜなのかと。

おそらく、義父は、会社のトップに立っている自分の地位が、

脅かされるのが怖かったのだと思います。

義父はこれから老いていきます。

当時の母は、どんどん資格をとっていきます。

劣っているはずの女が、義父を越えていこうとしています。

息子の嫁が、会社の中心にとってかわられる。

そんなことを義父は許せなかったのかもしれません。

だから、資格を取らせないようにしたのかもしれません。

嫁はあくまでも女であり、劣ったもので、自分の子どもではない。

会社の中心は自分でなくてはいけない。

義父はそう思い込んでいたのだと思います。


義父はまた、義母に暴力をふるうこともありました。

初日の出を見に行こうと出かけると、

帰りが遅いと言っては殴り、

孫の私が何かしでかしたと言っては義母を殴り、

義母はそれでも耐える方でした。

母は、そんな義父のやり方に嫌気もさしていました。

義母が会社を支えているのに、

どうして殴ったりできるんだと。

母は、最初の夫が亡くなってしばらくはがんばっていましたが、

義父に嫌気がさした折に、

二人目の夫となる男性との間に結婚の話が持ち上がって、

最初の嫁ぎ先の家を出て行く決意をしました。

母の最初の嫁ぎ先の家は、

母の最初の夫のご兄弟の方が継ぐことになり、

母は手を引くことになりました。


それから何年も過ぎた頃、

義母が危篤という知らせが届き、

母と、私たち姉妹と、母の二人目の夫とで、

病院に行きました。

私からすればおばあちゃんですが、

見てすぐに、助からないというレベルで弱っていました。

声は届くはずと言われて、たくさん声をかけました。

義母はそれから間もなく亡くなりました。

義父は義母の葬儀の場で、

かぁちゃんの毛布で寝ているんだ。

かぁちゃんの匂いがするんだと泣いていたと聞きます。

母はその義父の言葉を聞いて、

ならなんであの時義母を殴ったのかと、

なんで義母をもっと大事にしなかったのかと、

お前は自分が可愛いだけの偽善者だと、

体面を繕っているだけだと、

そんなことを飲み込んだと聞きます。


母は今でも義父を許していないようです。

生きていくにあたり、許せない存在があるのは当然です。

すべてを許しなさいとは、言えません。

ただ、もう、義父もあの世に行っています。

母とは全然関係ない存在になりました。

忘れろとも言えませんが、

生きて幸せで笑っている方がいいです。

時々、当時の愚痴をこぼすことはありますけれど、

今生きている母が幸せなことが一番です。

愚痴も昔話もまとめて聞いています。


また、時間がありましたら、

母のエッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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