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第4話 代田表護はカウントを気にしすぎる(1回表)

 代田表護だいだひょうごはボールカウントを気にしすぎるあまり、それが増えることさえ……


 蒼倉あおくら先発せんぱつ花木はなき第一球だいいっきゅう。腕を振りかぶって、投げた。ストライク――高め、いっぱいのストレイト。

 大甕おおみかの1番・上川かみかわ左打席ひだりだせきでピッチャーを見たまま。ボールがミットを鳴らすと同時に、そのコンパクトなかまえをいてすぐ構え直す。

 花木が振りかぶり、上川への第二球。ボール――カーヴは大きくはずれ、キャッチャー・狩野かりの定位置ていいちから動いて捕球ほきゅう

 上川はさっきと同じく、ピッチャーを見て構えたまま。球審のボール判定を聞くと、打席を一歩後いっぽうしろへ出る。息をととのえ、すぐに戻って構える。

 第三球。ボール――外角高がいかくたかめのストレイト。

 今度はしっかり目でボールを追った上川。

 監督は「ギリギリ外れたのか、ね」と呟いた。

 第四球。ストライク――さっきと同じところへのストレイト。

 それも目で追った上川。いまだ一度もバットを振っていない。

 カウントは2ボール、2ストライク。

「ギリギリで入ったかぁ」と監督は言った。顧問がそれに反応した。「速くてびっくりしたでしょうか、上川……」

「いや、ね」監督はシッシと右手でくうを払った。「あの三年が投げる球だ。けんど、直球ちょっきゅうだって読めたから見送ったのか、な」

 第五球。また外角高めのストレイト。打った――サードゴロ。打球はサード正面へ。一塁へゆとりをもって送球そうきゅうし、アウト。

 走り抜けた上川は打ち取られたとは思っていないのか、いつもの丸い表情。


 1アウト、ランナーなし。

 大甕の2番・キースがネクスト・バッタースサークルから右打席へ向かう。戻って来る上川と何やら目配めくばせをして、うなずいて打席に入る。

 花木はキースがバットを構えると、振りかぶった。第一球。ボール――カーヴが低く外れた。

 キースはピッチャーを見たまま。

 上川がベンチに戻った。

「上川、いーよー」薩田さつだが声を掛ける。

 それをよそに、上川はベンチの全員に向け「ちょっと分かりづらいかな、みんなには――」と、やんわり前置まえおきを口にした。

 花木がキースへ第二球。ボール――ストレイトが外角低めに外れた。

 キースは同じようにピッチャーを見たまま。

 カウントは、2ボール。

「カサリンには簡単に見分けがつくと思う」と、川上はマウンドを見ながら言った。

 第三球。打った――ファウル。速い打球だきゅうが球審の頭上を越えていく。ストライクゾウン真ん中へのストレイトだった。

 2ボール、1ストライク。

「次の表護ひょうごには、とやかく言わないほういとして……」上川は相手のピッチャーをした。「肩の動作なんだけど――」

 第四球。ストライク――内角ないかくへのストレイト。これを受けた狩野は大きく頷いた。

 キースはそれを見送ったが、球をよける小さな動作はあったものの一歩も動かなかった。

 2ボール、2ストライク。

「――肩をすくませるように投げると、ストレイトかな」と上川。

 一年生の保木ほきが「分かるの、すっご――い?」とひとり言のように言った。

 顧問は「はあ……」とかすんだ声を出し、マウンドを見ながらあごに手を当てる。

 第五球。ボール――大きく曲がったカーヴがワンバウンド。狩野はそれを中腰ちゅうごしの姿勢で捕球。立ち上がってピッチャー・花木に視線を送る。彼はグラブを構えて返球へんきゅうを待っていて、があいてから狩野が返球。

 3ボール、2ストライク。フルカウントになった。

「少しだけ腕を出すタイミング、カーヴのとき早くない?――ねえ?」上川はメンバーの反応をうかがう。卯佐木うさぎは無表情のまま、相手ピッチャーを見続ける。嶋だけ、しきりに、うんうん、うんうんと上川に頷いた。

「ほ、ほお……なるほど」顧問は嘘丸出うそまるだしの引きつったみ。まるで分かっていないようだった。

 他の者も明らかに納得はできていない。

「打席から正面で見てみないと」と玉置たまき肩慣かたならしから戻って言った。

 その後ろから、キャッチャーの甲田こうだが「とりあえず、初めて見る投手なんだし、まだ一巡目いちじゅんめだって。あせらず行こう」と付けした。

 そのさなかとうじられた第六球。ストライク――外角高めにストレイトが決まった。

 キース、見逃みのがし三振。一瞬、バットが出かかった。マウンドの方を一瞥いちべつしてからベンチに戻る。次のバッター・代田だいだに「きよいすぎない」と一声掛ける。気負きおいすぎないでください、と言ったのだろう。


 ネクストバッタース・サークルに立つ日比は口笛じりに、縦向きに持ったバットを先からグリップエンドまで見ていた。その前を通り過ぎるキースに目を向けようともしない。キースも、彼のペイスを乱すことはしなかった。


 2アウト。ランナーなし。

 代田は何となく〝がんばれ〟的なことをキースから言われたような気になっていた。そして、右打席の手前で素振すぶりを二度にど大袈裟おおげさにやってから挑んだものの、結果は何とも呆気あっけなかった。それは初球だった。

 ゆるいカーヴを打ちにいく代田だったが、ただボールに合わせようとしたバットから放たれた打球はショートライナー。ライナーといっても、ボールの下をこすっただけの、滞空時間のあるライナーだった。それを相手のショートが軽快に跳んで捕ったので、観客席から少し拍手が起きた。

 打球好だきゅうずきのきよみは、打席に入る前の代田のあの素振りを見て、大きな当たりを期待していたのに、ちょっと拍子抜ひょうしぬけしたようだった。

「はぁ――? なにあれ、スコーンって……」


 3アウト。攻守交代。

 急なチェインヂを告げられ、ベンチは慌ただしくなった。

 その中でひそひそ話すのは、嶋と上川。

「あれだと、なんか言ったな?」と上川。

「カサリンが?」嶋はグローブを差し出した。

「たぶんだけど――お、ありがとう、天韋皇ていこ」上川はにこりとした。「表護くんにだけはって、前にカサリンに伝えておいたのだ――あ、〝トヤカク〟って言わなかったってわけかあ~」

 上川は他にも何かを言いながら走って行った。その顔は、にこにこしていた。

 代田は、打席から出てヘルメットを脱いでいた。そこに一年生のロドリゲズが代田の帽子とグラブを持って来た。すると、代田は大きく溜め息を吐いた。ロドリゲズには、防具を外すことに悩んでいるようにしか見えなかったが、代田が「どうも」と言ってグラブを受け取ったてのひらを見て、はっとした。

 代田は守備位置のライトへ走って行った。その場でたたずむロドリゲズは審判にうながされて、すぐに防具やバットを持ってベンチへ戻った。ロドリゲズはふと、自分の手を眺めてみて思った。「ベイスボールをすると、この手もあんなになるのか……?」

 ライトの定位置では、なぜか代田が浮かない表情をしていた。

「ボールカウントが気になるんだよな。気になるからカウントが増える前に打ったけど、駄目か……。今日の運勢のい数字、嶋にいとくんだった……。このあとけばいっか。いカウントは、それ次第……」

 センターからキースが、何かを呟いている代田の様子を不思議そうに思いながら見ている。すると、サードの薩田が叫びだした。

「へーい! しまっていくぞー!」

 それを見て甲田は「キャッチャーのぼくが言うやつ……」と思ったが、しかたなく「おーう、しまっていくぞ」と返してやった。玉置と日比、卯佐木は、片手を挙げて応えてあげていた。卯佐木に限っては、サムズアップをして目にも止まらぬ速さでそれを引っ込めた。

 他のメンバーはいつものように無視した。薩田への対応が、きれいに左翼側さよくがわとそれ以外で分かれているようだった。

 右翼側うよくがわのファーストの網越あみごしは、近い観客席の最下段からネット越しに応援している父親、母親、妹、弟に両手を振っていた。ライトの代田はベンチをぼんやりと見ているし、それをキースが見ている。セカンドの上川は、グラブを外して手を叩いた。

「このメンバーでの初戦の初回、こんなものかな」と上川は囁いた。

 そしてグラブをはめた。マウンドに振り向いた。

 ピッチャーの玉置に走り寄った甲田。

「ぼくたちは公式試合は初めてみたいなティームなんだ。なるようになる」と言う口元は、ミットで隠さない。

 ボールを渡されると、玉置はきりっとしていたまゆをひそめた。

「……おれは、もはや温存してもらえそうにないな」

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