レンは、今や自分の体を構成する柔らかい布の感触を忘れることができなかった。周囲の世界は広大で奇妙な場所だったが、自分の新しい存在がどんなに混乱していようとも、諦めるわけにはいかないと心の奥底で感じていた。彼はマリオネットの姿に閉じ込められていたが、かつての自分の心と魂はまだ残っていた。
「一体何が起きたんだ?」
そう思おうとしたが、以前のように考えるのも難しい。自由に動けない現状に焦りを覚えながらも、なんとか心を落ち着けた。
最悪なのは、話すことができないということだった。彼が発する声はかすかな囁き程度で、ほとんど聞こえない。しかし、なぜか彼の瞳、以前と同じ蜂蜜色の瞳は、新たな輝きを帯びていた。それはまるで彼の魂が、どうにかして声を届けようともがいているかのようだった。
レンを抱えた少女は、一方的に話しながら街を歩いていた。彼女の髪はピンク色で、高い位置で結ばれたポニーテールが歩くたびに揺れている。どこか誇らしげな姿勢を見せているものの、その奥には少し不安げな雰囲気も漂っていた。
レンは彼女に対してどう感じればいいのか分からなかった。変わり果てた自分と初めて接触した相手であるこの少女。彼女がマリオネットを衝動的に盗んだことは理解に苦しむが、なぜか彼女が自分を手に取った理由を知りたくなった。もしかすると、彼女には何かしらの理由があるのだろうか?
「はぁ…」
少女は何かに苛立っているように溜息をついた。「この場所、なんか古臭い匂いがする…それにしても、なんでこんなに柔らかいの?もっと他のぬいぐるみみたいにしっかりしてたらいいのに。」
レンには彼女の言葉の全てが理解できるわけではなかったが、彼女の話し方から単なる悪意ではない何かを感じ取っていた。どこか苛立ちながらも、彼女はレンをまるで「自分の世界の一部」のように扱っていた。それは奇妙でありながらも、少し興味をそそられるものだった。
「どうせマリオネットになっちゃったからって、喋れないわけじゃないよね?」
彼女はレンを少し雑にバッグの中へ放り込みながら呟いた。バッグの中の暗闇に閉じ込められたレンは、布に囲まれながらも彼女の声を聞き取ることができた。
「そんな目で見ないで!」
少女が突然叫んだ。まるでレンが彼女を見つめていると感じたようだった。しかし、彼が動くことはもちろんできない。「私がツンデレだって?そんなの分かってる!でも、別にあなたが好きだから盗んだわけじゃないからね。ただ…あそこに置かれたままなんて、なんかムカついただけ。」
レンは戸惑いながらも、少し感心していた。彼女はもしかすると、レンがこれまで読んできた漫画に登場する「ツンデレ」のような性格なのかもしれない。もしそうなら、彼女と一緒にいることで一体どんな出来事が待ち受けているのだろうか?
やがて彼女は自分のアパートに到着したようだった。バッグの中で揺れる感覚から、それが分かった。そして、ついにバッグが開き、彼女はレンを取り出してテーブルの上にそっと置いた。
「はぁ、私って本当にバカね。」
少女は額に手を当てて呟いた。「最初はあんなに雑にバッグに押し込んで…今さらどうしたらいいの?」
レンはここぞとばかりに動こうとした。いや、少なくとも動いている「ふり」をしようとした。頭を少し持ち上げ、ぬいぐるみの目を光らせて彼女を見つめた。もし話すことができたら、彼女に感謝したかっただろう。少なくとも、自分を無造作に放り出さなかったことについて。
少女はそんなレンをじっと見つめると、小さくため息をついて椅子に腰を下ろした。
「分かってるよ、自分でも。なんであんたを盗んじゃったんだろうって。でも、あんたってただのぬいぐるみ以上の何かに見えたのよ。変だよね。私、こんなの初めて…。」
レンは彼女の言葉を聞きながら、妙な感情が心に湧き上がるのを感じていた。ツンデレらしい彼女の態度の裏に、予想外の脆さと優しさが見え隠れしていた。
突然、彼女は立ち上がり、レンを両手で持ち上げた。
「まあいいわ、ここに置いておいてあげる。どうせ何もできないでしょ?…何よ、その目!別に嬉しいわけじゃないからね!ぬいぐるみが家にあるのも悪くないかもって思っただけなんだから。」
そして彼女は、自分の名前を口にした。
「私の名前は葵よ。でも勘違いしないでね、別に友達とかになりたいわけじゃないんだから。ただ…適当にそこにいてくれればいいの。」
レンは、再びテーブルの上に置かれながら考えていた。この少女・葵は、自分を単なるマリオネットとして見ていない気がした。彼女は普通のぬいぐるみとして扱っていない。彼女の中には何かがあり、それがレンを引き寄せているのだ。
「これが俺の運命なのか…」
葵の小さな部屋を見つめながら、レンは心の中でつぶやいた。「このツンデレ少
女のマリオネットとして生きる…この状況に、何か意味があるといいんだけど。」
第2章 終わり