レンはアオイの部屋にある小さなテーブルの脚にしっかりと縛り付けられていた。 ただの操り人形にしては、縄が必要以上に太く、結び目があまりにも固く締められていたため、ぬいぐるみの腕すら動かせなかった。
「これは馬鹿げてる……」レンは無駄だと分かりながらも身をよじりながら呟いた。「本気で俺が何か変なことをするとでも思ってるのか?俺はただの人形だぞ。」
鏡の前で制服のリボンを整えていたアオイは、苛立ったような視線をレンに向けた。
「何を言っても無駄よ。あんたが話したり動いたりするだけでも十分怪しいのに、私が寝ている間や着替えている時に勝手に動かれたら困るでしょう?」
レンはため息をつき、肩をすくめた。「君の想像力、ちょっと豊かすぎないか?」
アオイはその言葉を無視し、制服の着付けを終えた。それはシンプルながらも上品なデザインで、プリーツスカートと 白熊魔法学園 の紋章が入ったブレザーを身にまとっていた。鏡で最終チェックを終えると、彼女はバッグを手に取り、レンを見下ろした。
「仕方ないから、今日は連れていくわ。別に好きでやるわけじゃないけど、家に置いていったら、それはそれで落ち着かないからね。」
レンは抗議しようとしたが、これ以上状況を悪化させるのは得策ではないと判断した。アオイはレンの縄をほどき、バッグの中に押し込んだ。そして、頭だけが見えるように調整した。
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白熊魔法学園 は、空高くそびえ立つ塔がいくつも並び、校内の至る所に魔法の気配が漂う壮麗な学び舎だった。アオイはできるだけ目立たないように廊下を歩いていたが、鮮やかなピンク色の髪が嫌でも周囲の視線を集めてしまう。
特に問題なく授業をこなしていたが、魔法演習の時間になると、アオイの心はざわつき始めた。この授業では、学生同士が魔法の実践を兼ねた模擬戦を行う。彼女はこれまでずっと目立たないようにしてきたが、今回ばかりは逃げられなかった。
そして、ついに対戦相手の名前が呼ばれた。
「ヒカリ」
フィールドの中央に堂々と歩み出るヒカリは、まばゆい輝きを放つ宝石が散りばめられた美しい魔法の杖を手にしていた。彼女の魔法は強力で華やかであり、その友人たちの声援からも、今回の決闘を本気で挑むつもりでいるのが伝わってくる。
一方のアオイは、緊張から喉が渇くのを感じていた。彼女はバッグの中からレンを取り出し、手のひらにのせた。そして、困惑と諦めが入り混じった表情で彼を見つめた。
「……仕方ないわね、レン。私が恥をかかないように、少しは協力しなさいよ。」
レンは、手のひらに置かれたことで魔力の接続を感じ、ため息をついた。「本当にやるのか?他に方法はないのか?」
「ない!」アオイは鋭い視線を送ると、短く答えた。「文句言わずに大人しく協力しなさい!」
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白熊魔法学園 の訓練場には、生徒たちが大勢集まり、初日の実技演習に胸を高鳴らせていた。周囲には興奮した笑い声や囁きが飛び交い、次々と繰り広げられる決闘に視線が集まっていた。
アオイは訓練場の端で立ち尽くし、拳をぎゅっと握りしめていた。彼女の心臓は激しく鼓動し、緊張と不安が混じり合っていた。その視線の先には、対戦相手であるヒカリが自信満々の笑みを浮かべながら歩いてきていた。
決闘場の地面には無数のルーンが刻まれ、戦闘時に発生する魔力を吸収し拡散させる仕組みになっていた。周囲では生徒たちが次の対戦を待ちながら、ささやき合っていた。
アオイは息をのみ、リュックの中のレンをしっかりと抱えた。向かい側では、ヒカリが光り輝く魔法の杖を手にし、堂々と構えていた。杖に装飾された水晶が眩い光を放ち、彼女の威厳をさらに際立たせていた。
ヒカリは余裕たっぷりの笑みを浮かべ、杖を優雅に回した。
「本当に私と戦うつもりなの?別に意地悪したいわけじゃないけど……その程度の魔力で何ができるっていうの?」
彼女はアオイの手元を見て眉をひそめた。
「それに、そのぬいぐるみは何?まさか、友達がいないから代わりに持ってきたとか?」
周囲からクスクスと笑い声が漏れた。アオイは歯を食いしばり、悔しさが込み上げてきたが、言い返すことはしなかった。ただ深く息を吸い、リュックからレンを取り出して手にはめた。
「やってみないと分からないわ。」
それは、ヒカリというより、自分自身に向けた言葉だった。
教師が手を上げ、静かに宣言した。
「始め!」
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ヒカリは即座に反応し、杖をひと振りすると、黄金の魔法陣が宙に浮かび、まばゆい光を放った。
「ライト・スピア!」
まっすぐな黄金の光が凄まじい速度でアオイに向かって放たれた。観客たちは息をのんだ。
アオイはとっさに手を動かし、レンを前に突き出した。彼女の魔力が反応し、小さな火花が散るバリアが形成された。だが、それは一瞬でヒカリの攻撃にかき消されてしまった。
「遅いわ!」
ヒカリは杖を高く掲げ、新たな魔法を発動させた。今度は小さな光の玉が無数に現れ、まるで蛍のように宙を舞った。
「スターライト・バレット!」
光の玉は一斉にアオイへ向かって発射される。
アオイはぎゅっと目を閉じ、衝撃に備えた。
だが、次の瞬間、何かが変わった。
「任せて。」
レンはいつもより低く、はっきりとした声で言った。
アオイは腕に熱を感じた。魔力がレンを通じて流れ出すのをはっきりと感じる。その瞬間、レンはただのぬいぐるみではなくなった。まるで命が宿ったかのように、精巧に動き始めたのだ。
次の瞬間、アオイの周囲に四体の人型の影が立ち現れた。それはただの操り人形ではなかった。小さく頼りないものではなく、人間と同じほどの大きさを持ち、漆黒の魔力で織られたかのようにゆらめいていた。
「何だって……?」
ヒカリは目を見開き、一歩後ずさった。
操り人形たちは音もなく動き出した。不自然なほどの速さで、戦場を滑るように移動する。そのうちの一体が布の指を広げると、青白い火花が指先で舞い踊った。
そして、ためらうことなくヒカリに向かって火球を放った。
ドンッ!
火球はヒカリの光の矢を弾き飛ばし、衝撃で土煙を巻き上げた。爆風がヒカリを数メートル後方へと吹き飛ばす。
観客たちは息をのんだ。誰もアオイがこんなことをできるとは思っていなかった。
ヒカリは歯を食いしばった。誇りが傷つけられたのが表情からはっきりと分かる。
「私をこんなふうに侮辱するなんて……許さない!」
ヒカリは杖を地面に叩きつけた。瞬間、足元の魔法陣がまばゆい光を放ち、周囲の空気が震えた。
「セレスティアル・ブレイズ!」
光の奔流が戦場を包み込んだ。白銀の輝きが視界を奪い、そのエネルギーは一点に収束し、爆発的な衝撃波となって広がった。
しかし、レンはすでに動いていた。
操り人形たちは同時に腕を掲げる。シンプルなボタンの瞳が赤く光り、魔力の糸が織り重なり、輝く防壁を形成した。
ドォォォン!!
ヒカリの魔法が直撃する。大地が震え、空気が唸りを上げ、光がすべてを飲み込んだ。
――それでも、アオイは立っていた。
魔力の糸で編まれた障壁は破られていなかった。
ヒカリの表情が凍りつく。
「そんな……ありえない!」
しかし、レンは容赦しなかった。
操り人形たちは再び動く。二体がヒカリの足元に火球を放ち、彼女の逃げ場を封じる。ヒカリが跳び上がった瞬間、もう一体の操り人形が待ち構えていた。
「ハンター・ドール!」
炎に包まれた操り人形が、回転しながらヒカリへ突進する。
ゴッ――!!
強烈な一撃がヒカリを地面に叩きつけた。衝撃音が訓練場に響き渡る。
煙が晴れた時、ヒカリは膝をついていた。制服は焦げ、杖を持つ手が震えていた。信じられないといった表情だった。
教師が手を挙げる。
「勝者、アオイ。」
沈黙が戦場を支配した。やがて、囁き声が漏れ始める。
「アオイが勝った……?」
「でも、ヒカリはクラスのトップじゃなかった?」
「どうやって……?」
「こんなの……おかしい!!」
ヒカリが叫んだ。立ち上がり、怒りに震えながらレンを指さす。
「その人形は呪われてる!そうじゃなきゃ、説明がつかない!」
アオイは息をのんだ。周囲の視線が一斉に彼女に向けられる。
「違う……!レンは呪われてなんかない。ただ、私の魔法を使っただけ……!」
教師が眉をひそめ、アオイに歩み寄る。
「その人形を貸しなさい。」
アオイは唇を噛んだが、拒むことはできなかった。そっとレンを差し出す。
「お願い……彼は呪いなんかじゃない。」
教師はレンを手に取り、目を閉じて魔力を探った。しかし、何の異常も感じ取れなかった。
「……呪いの気配はない。」
ヒカリは拳を握りしめる。
「でも……!」
「もういい。」 教師は厳しい声で言い放った。「証拠もなしに他人を非難するのはや
めなさい。」
教師はアオイにレンを返し、静かに忠告する。
「アオイ、気をつけなさい。この学園で問題を起こすような存在は、歓迎されない。」
「……はい。」
観客たちは少しずつ解散していった。アオイは手の中のレンを見つめ、そっとつぶやいた。
「……あなたは、一体何者なの?」
だが、レンはただ無言で、いつものようにぬいぐるみの笑みを浮かべていた。