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第14話 土地詐欺

 その後、オリヴィアとエドガーの距離はさらに広がった。


 あの夜以来、オリヴィアは帰宅時の出迎えをやめてしまったから、唯一顔を合わせる場である朝食ですれ違ってしまうと、一言も言葉を交わさない日もある。


 エドガーは相変わらず夜会や社交に興じており、オリヴィアは淡々と商会の仕事を進めていた。


 ある日の昼下がり、オリヴィアは商会の書類を確認していて、ある土地の購入記録を見つけた。半年以上前の取引の記録を収めた棚の整理をしようと、夜のうちに持ち出していたものだったのだが、日付を見ると、つい先日取引が行われたことになっている。


 なぜ古い書類の保管棚に紛れているのだろう、と思いながら内容を確認して、オリヴィアは顔を青ざめさせた。


 かつてオリヴィアが「買う価値がない」と判断し、買わないようにエドガーに言っていた土地だったのだ。それも、見積でも仮契約でもない。正式な購入記録だった。


 オリヴィアが進言して購入を取りやめたはずだったのに、どうやらエドガーは最近になって再度契約を進め、しかもすでに購入してしまったようだった。その広さにしては破格の安値とはいえ、それでも途方もない大金だ。慌てて記録を確認してみれば、商会の金庫から相当額が支出されていることがわかった。しかしそれでも圧倒的に足りない。


 当然、不足分は借金したに違いない。今の商会で限度額いっぱいに借りれば調達できるかどうか、といった金額だった。


 その土地は、王都から離れた辺境地帯にある広大な原野だ。いわゆる荒れ地で、農耕には不向き。水利が悪く、使うとすればまず灌漑かんがい設備を整えるところから始めなければならない。かといって、既知の鉱山があるわけでもなく、活用できそうな鉱山が新たに見つかる可能性も地質学的に低かった。オリヴィアは数か月前に一度調べて無価値だと結論を出し、エドガーもそれを知っているはずだ。


 あれほど「買うのは危険だ」と警告したのに、どうしてエドガーは買ったりしたのか。それもオリヴィアに黙って。古い書類の収納場所に入れてあるということは、隠し通すつもりだったのだろう。また小言を言われると思ったからか。もちろん言うに決まっている。




 夕方、オリヴィアは我慢できず、珍しく早く帰宅したエドガーを訪ねた。扉をノックして部屋に入ると、予想通りの苛立ちに満ちた声が返ってくる。


「なんだ、俺は今忙しいんだ。母上と話をしている」


 義母もその場にいて、オリヴィアの乱入に眉を寄せて不機嫌そうにしていた。


 だが、今はそれどころではない。


 オリヴィアはエドガーに購入記録を突きつけた。


「エドガー様、あの土地、一度購入をやめたはずなのに、どうして今になって購入したりしたんですか」


 ぎくり、とエドガーが肩を強張らせた。


「だ、黙れ。これは俺が社交界で得た確かな儲け話だ。カミラ――い、いや、ローゼンベルク嬢が今なら安く買えるから買い得だと助言してくれたんだ。お前は何もわかっていないくせに口を出すな」


 またカミラ――。


 その名前はもううんざりだと思うのに、いつまでも付きまとってくる。


 義母は書類を翻しながら、オリヴィアを冷たい目で見下ろした。


「あなたは平民上がりですものね。土地の価値なんか理解できるわけがないわ。今さら口出ししても遅いのよ。エドガーが決めたことに水を差すんじゃありません」


 オリヴィアは唇を結び、ぐっとこらえた。「口を出すな」と言われたが、これはは子爵家の財政を大きく左右する一大事件なのだ。このまま沈黙していては大変なことになる。その土地の購入には多額の借金が伴っているのだから。


 オリヴィアの胸に苛立ちと虚しさがこみ上げる。購入しても活用できず、赤字になる可能性が非常に高い――そう何度も伝えたはずだ。それをカミラが「大丈夫」と甘言を囁いてきたのだろうが、エドガーもあまりに軽率だった。


「開発できるあてがある。間違いなく大儲けできるんだから、お前は黙って見ていればいい」


 エドガーは得意げにそう言うが、オリヴィアには到底信じられなかった。


「どういうあてでしょうか」

「そ、それはカミ――ローゼンベルク嬢に聞いてみないと……」


 途端にしどろもどろになるエドガーを見て、ため息をついた。


「黙っていろと言われたのが聞こえなかったの? 侯爵家のお嬢様のご紹介なのよ。信用できるに決まっているでしょう」


 大方、詳細は何も聞いていないのだろう。二人とも自ら検証することもせず、ただカミラの言葉を鵜呑うのみにしているだけなのだ。


 けれど、反論すればエドガーを逆上させ、義母にも罵られるだけで、結局、何の権限も与えられていないオリヴィアでは、どうすることもできない。


「……失礼いたしました」


 オリヴィアは短く謝罪し、部屋を出るしかなかった。




 ほどなくして、屋敷内では「クロフォード家は大きな借金を背負ったらしい」という噂が流れ始めた。エドガーは今回の土地購入を急ぐため、銀行や貴族仲介を通じて不自然な借金をしたという。


 そして、問題なのは土地の活用のめどが全く立たないことだ。オリヴィアが以前調べた通り、農業も採掘にも適していない。できたとしても、辺境では交通の便が悪く、輸送コストがかかりすぎる。しかも雨季には一帯が沼地のようになり、よほどしっかりとした舗装をしなければ馬車が通れないそうだ。


 本来、土地の開発には時間がかかるもので、製品を仕入れて売るというこれまでの商売とは全く性質が異なる。何年もかかるのだから、それを踏まえた資金計画を立てなければならない。それなのに、現金を費やし、ギリギリまで借金をしているものだから、すでに利息の支払いすら怪しく、返済計画が破綻寸前らしい。


 そんな報告を目にするたび、オリヴィアは呼吸が苦しくなるような錯覚を覚えた。これからどうなってしまうのかと、不安でいっぱいになる。食事も喉を通らない程のストレスだ。


 だというのに、義母もエドガーも、カミラが手を貸してくれるから大丈夫だ、と強気な態度を崩さなかった。侯爵位だからというなんの根拠にもならない信頼で、ローゼンベルク家には何らかの計画があると信じているのだろう。


 そうならばカミラはなぜ計画を打ち明けてようとしないのか。エドガーにすら話さないのは理解できない。


 カミラは貴族は華やかであるべしという信条を掲げ、オリヴィアの地味さを馬鹿にしている。そんなカミラにとって、今最も勢いのあるクロフォード家は、話題性としても、財力としても、格好の獲物だ。ここにきてオリヴィアの進言を無視する形で土地を購入させたのは、大金を無駄に使わせて、後で何らかの形で支配するつもりかもしれない。エドガーはまんまと踊らされているのだ。


 だいたい、「必ず儲かる話」が本当なのであれば、ローゼンベルク家が買えばいい。それをわざわざクロフォード家に譲る必要はない。


「はぁ……駄目ね……」


 エドガーの愛を独り占めされている、という嫉みもあってか、オリヴィアは、自分がカミラのことを必要以上に悪く考えていることを自覚していた。


 もしかしたら、カミラには、オリヴィアには思いもつかないような開発計画が本当にあるのかもしれない。


 そうであればいいのに、そうであって欲しい、と思う反面、考えなしに手をこまねいていれば痛い目を見る、とも思う。


 何か確信が持てるような情報はないか、と調べているうちに、エマが重要な情報を持ってきてくれた。


 ローゼンベルク家の財政が傾いている、という情報だ。なんでも、カミラの散財によって、危うい状況になっているという。この間の夜会も相当な金額が動いていることは感じていたが、かなり無理をしていたようだ。


 そして、この土地の売り主の背後にローゼンベルク家がいることも分かった。つまり、ローゼンベルク家は、クロフォード家に価値のない土地を売りつけ、その代金をかすめ取った可能性がある。


 このままでは商会が破産してしまう。自室で書類を広げ、オリヴィアは頭を抱え込んだ。


 カミラの真意を探るような悠長なことをしている場合ではない。最悪の事態を想定して、手を打たなければ。


「やっぱり、この方法しかないわね」


 オリヴィアは一枚の書類を眺めながら呟いた。


 本当は、その土地は全くの無価値ではない。とある資源が埋まっている可能性が高いのだ。だが採掘には特別な技術が必要で、今のクロフォード家にその技術はない。だからオリヴィアは、「自分たちにとっては無価値」と判断していた。


 そこでオリヴィアは、その技術の特許を持つラモン伯爵家に取引を持ち掛けることを考えた。ラモン家では長年その資源の研究を進めており、もし適した土地があれば一気に採算を得られるかもしれない――そんな話が以前から囁かれていたのだ。


 どうにかしてラモン家に渡りをつけたい。


 しかし、オリヴィアがラモン家に交渉を持ち掛けたことがエドガーや義母に知られれば、勝手なことをしたと罵られ、逆に取引を破談にされかねない。


 ならば、エドガーや義母に隠れて交渉し、向こうからエドガーへ売買の取引を持ち掛けてもらうしかない。


 エドガーや義母に見つからないよう秘密裏に動くのは相当なリスクがあるが、今のままでは商会が破綻しかねない。オリヴィアが単独で動き、信頼できる取引先を通じてラモン家と接触する――それが唯一の道だ。


「エマ、少し手伝ってほしいことがあるの」


 深夜、使用人が寝静まった時間帯に、オリヴィアはエマを呼び寄せ、小さな声で打ち明ける。エマは目を輝かせながら、その計画を聞き届けた。


「……わかりました。オリヴィア様の言うとおり、今はこれしかないと思います。もし見つかっても、わたしが全部被ります!」

「そんな……そこまではしなくていいのよ。とにかく、私たち二人で動くしかないわ。ローゼンベルク嬢がこの土地を利用する気があるのかないのか、定かではないわ。もしかしたら無駄になってしまうかもしれないけれど、このまま何もせずにいたら、商会は破産してしまう。動くなら今しかないの。取引先のあの人なら、きっと協力してくれるはずよ」


 エマと二人だけの密談が続く。書類をまとめ、偽名を使って人を動かし、ラモン伯爵家にそれとなくアプローチする。あくまで子爵家の公式行動には見せず、オリヴィア個人の情報網を駆使して秘密裏に話を進める計画だ。




 翌日から、エマは馬車を使って街へ出かける機会をさりげなく何度も作り、いくつかの取引先を回り始めた。もちろん「奥様の依頼で」とは言わず、あくまで商会の書類の修正や連絡事項の確認という大義名分で動く。その合間に、ラモン家の関係者を探した。


 オリヴィアは屋敷で義母とエドガーの目を逃れながら、契約書類と資金繰りの方策を再確認していた。もし話がまとまっても、土地を買った以上の金額で買い取ってもらうのは難しいかもしれない。だが、借金を抱えていては利子がかさんでいくばかりなのだから、損失を最小限に抑えるためには早急に売り渡すしかない。


 成功すれば大損を回避できるが、失敗し、オリヴィアが勝手に動いたと露見した場合、義母に責め立てられ、エドガーも逆上して再び離婚を持ち出すかもしれないというリスクがあった。だが、このまま何もしないよりはマシだ。商会が倒れれば、多くの従業員が路頭に迷い、取引先にも迷惑をかけてしまう。


「私が何とかしないと……大丈夫よ、私ならできるわ……」


 そう自分に言い聞かせながら、オリヴィアは書類にペンを走らせる。取引先や情報を精査し、関係のある貴族のリストを更新し、ラモン家へ渡りをつけて、この無価値の土地を何とか有効活用してもらおうと働きかけていった。


 もし取引がうまく運び、土地を売り抜けたとしても、エドガーが感謝するとは限らない。カミラがまた新たに良さそうな投資話を持ちかければ、同じ失敗を繰り返すかもしれない。それでもオリヴィアは、子爵夫人として、自分の責務を果たしたかった。


 カミラの甘言に流されるエドガーを尻目に、エドガーの妻として陰で損失を回避する手立てを進める――こんな矛盾した日常に心が軋んでいくにもかかわらず、オリヴィアはなお諦めきれなかった。夫婦としての絆がほぼ消えかけていても、「地味で平凡な元平民の役立たず」という扱いでも、投げ出すことはできなかったのだ。




 こうしてオリヴィアは、数か月かけて、エドガーが勝手に購入し借金の原因となった無価値の土地を、密かにラモン家へ売り渡す算段をなんとかつけた。カミラの助言によって起こったこの土地詐欺とも呼べる事態から、何とか子爵家を守るために。


 相手方の家から打診が来た時、エドガーは一も二もなく飛びついた。オリヴィアや義母には大きなことを言っていたが、カミラから土地の先行きについてその後何の情報も得られていなかったから、内心不安だったのだろう。オリヴィアが危惧していた通り、カミラは土地を活用させる気などなかったのだ。


 無事に売買は成立し、オリヴィアが陰で有利な方向に進むよう仕向けたのもあって、買った値段よりも幾分か高く売れた。それにより、利子を含めてすべての借金を返済することができた。


 オリヴィアが土地の売買の算段をつけていなければ、クロフォード家は借金にまみれて破産し、爵位を返上することになっていた。それくらいの危機的状況だった。また、それまでの間に、月々の返済金を負って綱渡りの資金繰りを維持し続けられたのも、オリヴィアがいたからこそだった。

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