「ここね! ここねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」
(盛り上がっているわね)
そう思いながら声のする方を見ると、見知った人物が泣いていた。
借り物競争三年生の部、第三走者は家庭科部部長の
クリっとした大きな目と小柄な体躯がどこか小動物のような印象を与えるここねは、同学年の生徒達からマスコットとして可愛がられている。
そんなここねは気合いが入っているのか、胸の前で拳を握りしめて奮起していた。
(目指すは一番、一番になって
もう間もなくここねが走る。
肩口まで伸びた赤毛が特徴の
三年生の席の最前列の応援に加わる。涼香の番が終わったため、少し落ち着きを取り戻した体育祭、しかしそれを除いても年に一回の大きなイベントだ、まだまだ盛り上がるし声援も飛ぶ。
「ここねー! 頑張れー!」
その中に混ざって、菜々美も声援を飛ばす。
菜々美の声援が届いたここねが笑顔で手を振ってくれる。
「やっぱりここねは可愛い……」
ここねの可愛さを全身で感じながら菜々美はしみじみ呟く。
「ここにもバカがいたか」
そんな菜々美の隣で、クラスメイトの
「誰が涼香と同じバカよ」
「誰も
肩を竦めた彩がトラックの中をちょいちょいと指さす。ちょうどここねが位置に着いたらしい。
菜々美はすぐさま全神経をここねに集中させる。もし転んでもすぐさま支えに行けるように。
「羨ましいわ……あんたら」
「ここねはあげないわよ‼」
「やっぱ同じじゃん」
彩はウェーブがかったベージュの髪の毛を後ろに纏めながらため息をついたのだった。
そんなことやっていると遂にここねの番が始まった、号砲が鳴ると同時に出走者は一斉に中央へ紙を拾いに行く。
紙を広げたここね、書かれていたのは『背が高い人』だった。ここねはこれは菜々美に違いない、と顔を輝かせる。
身長は涼香の方が菜々美よりかなり高いのだが、『一番身長が高い人』ではなく『身長が高い人』なのだ、それならわざわざ涼香の下へ行かなくても菜々美を借りることができる。
「菜々美ちゃーん!」
笑顔のここねが大きく手を振りながら菜々美の下へやって来る。
菜々美はここねが自分を借りに来るのは当然だと言わんばかりの余裕の表情を浮かべている。
そしてその余裕の表情をどうにかして崩したいと思う彩だった。
「芹澤、なんて書いてたの?」
「身長が高い人だよ! あぁ⁉」
答えなければよかったのだが、嬉しさでうっかり答えてしまったここねはしまった、と口を塞いだが、既に遅かった。
「柏木、身長は?」
してやったりという顔で彩が菜々美に身長を聞く。菜々美も彩のやろうとしていることは分かっている。
「嫌よ!」
だから答えるわけにはいかなかった。
「言え!」
抵抗する菜々美に詰め寄るが、菜々美は一向に身長を言おうとしないのだが、菜々美の身長をここねは知っていた。
もしここねが菜々美の性格なら、彩を無視をして強引に菜々美を借りていこうとするのだが、ここねにはそれができなかった。
「百六十センチ……」
「ここね⁉」
菜々美が恐ろしいものを見たような表情を浮かべる。
「あたしは百六十……三! あたしの方が高い!」
「ごめんね……菜々美ちゃん!」
ここねは目に涙がこぼれ落ちそうになるが、しかし涙を見せまいと彩の手を引いてゴールへと走り去る。
「ここね! ここねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼」
菜々美は溢れ出る涙を止めることすらできずに、もう届かないその背中に手を伸ばす。
――しかしその手を取る者が現れた。
「手が届かない? 届かせんのよ!」
なにかそれっぽいことを言ったのは涼香のクラスメイトの
若菜は涼夏と三年間同じクラスのベテランだ。そのため、なんとなくの雰囲気だけでそれっぽいことが言えるという高等技術を持っている。
「若菜……⁉」
救世主ここに来たり、涙を拭った菜々美が頷く。
「行くよ!」
菜々美と若菜が共に駆け出す。
既にここねと彩はゴール付近だ、しかしここねは運動があまり得意ではなく、足が遅かった。
そんなここねも可愛いな、と思いながら菜々美は若菜と共に猛然なスピードで追い上げる。
そして二組は並んでゴールへ到着する。
「届いた……!」
「菜々美ちゃん……」
そして二人の世界を創り出しかけるが。
「紙見せてー」
しかしそれよりも前にやることがあった。
ここねが出した紙には『身長が高い人』そして借りて来たのは彩だ。
「はいおっけー」
対する若菜が出した紙には――。
「ぶふっ……ゴール」
「……ふっ」
彩にも鼻で笑われてしまった。
菜々美は確かにその通りだよなー、と半ば放心状態で納得していた。
「菜々美返すわ、ありがとね」
「サンキュー芹澤、楽しかった」
彩は席へ、若菜は退場門へそれぞれ向かう。
「ごめんね、菜々美ちゃん」
申し訳なさそうにここねが手を引いてくれる。菜々美も席へ戻らなければならないはずなのだが、この状態だ、一人にするといつ倒れてもおかしくない。
「菜々美ちゃんを保健室に連れていってきます」
一言断ったここねは、菜々美を保健室へと連れて行くのであった。