編集室の固定電話が鳴る。
マイケルが即座に受話器を取ると、通話相手の言葉に返答をしつつ、佐和子の方へ顔が向いた。
「鳥海さん宛のお電話です」
「私宛ですか?」
「はい、直近で書かれた記事の件で、だそうです」
あやかし瓦版では記事に記名をしているわけではないので、読者が佐和子の名前など知りようがない。なぜ自分を指名してくるのかわからないが、とりあえず出る他ない。
「ちなみにどなたですか?」
「鬼灯堂のメイクアップ事業部、マーケティング部の華山さんという方です」
「聞いたことない方だな……。とりあえず回してください」
マイケルがカチカチと電話を操作すると、すぐに佐和子の手元の電話が鳴る。内心ドキドキしながらも、受話器を上げた。
「お電話代わりました。担当の鳥海です」
「お話しできて嬉しいわ。あなた、人間よね?」
電話口から聞こえてきたのは、色香の漂う、落ち着いた上品な話し声。
「あ、はい……どうしてそれを……」
「テーマパークの記事、読んだわ。人間ならではの視点で面白かった」
「え、あ……ありがとうございます!」
緩みそうになる頬を堪える。自分の記事に対する反応を、実際の声として聞くのが嬉しくて。思わず声が震えた。喜びのあまり一瞬押し黙ってしまったが、問い合わせの電話だったとハッとして、緊張しながらも、佐和子は尋ねる。
「それで、今回はどういったご用件で……」
「あなたにうちの広告企画記事を頼みたいのよ。春のメイク用品の販促企画でね。まずは今日四時に鬼灯堂本社に来られる? 詳細はそのときに話すから」
「少々お待ちください。予定を確認いたします」
「四時と言ったら四時よ。いいわね」
優雅だが、有無を言わさぬ力強さでそう言われ、電話を切られてしまった。慌ててスケジュールを確認し、幸い予定が入っていないことに安堵した。
「なに? どうしたのよ。なんか困った電話だったの?」
落ち着きのない佐和子の様子を見て、刹那が声をかけてきた。
「いや、なんか『鬼灯堂』ってとこのメイク用品の広告企画を依頼したいっていう電話で……」
「鬼灯堂? 超大手化粧品メーカーじゃない!」
「え、そうなの? っていうか、あやかしの世界にも化粧品会社ってあるんだね?」
当たり前じゃない、と刹那は眉根を寄せる。
「アイシャドウやアイライナー、白粉だとか、人間の世界で売ってるような品物はあやかし向けの化粧品会社でも作ってるわよ。ただ、メイクのテイストはだいぶ違うわね」
井川とのデートのために人間のメイク方法も習得した刹那曰く、あやかしの化粧は「個性を強調するメイク」なのだそうだ。だからアイシャドウや口紅も、奇抜だったり派手な色味が多いし、メイクの土台となるファンデーションや白粉も、顔を目立たせるために白っぽいものが多い。
対して人間世界の化粧は「粗を隠し、美人とされる顔に近づける」ことに重きを置いたメイクが主体の印象だという。だから市販の化粧品も、ビビットな色合いのものより素肌に馴染むようなものが多い。
「でも、なんで佐和子あてに直接きたのかしら?」
首を伸ばしながら、刹那は疑問を口にする。
「テーマパークの記事が、人間ならではの視点で面白いってことで、私に話が来たみたい」
「……? なんであの記事が、人間が書いた記事ってわかったのかしら。いや、記事経由で広告企画が来たこととはありがたいことだし。あんたの頑張りの成果なんだけど」
刹那がそう言うのを聞いて、佐和子も首を傾げた。
彼女の言う通り、あやかし瓦版としては「人間が記事を書いている」ことを大々的に宣伝したりはしていない。永徳曰く、あやかしの人間に対する感情も千差万別なので、リスクを考えて公表しないことにしているとのことだった。
「あ、それ……もしかしたら自分のせいかもしれないです……」
佐和子と刹那の会話を聞いていたらしきマイケルが、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あの、この間レジャー記事について電話で問い合わせが来たとき、つい言っちゃったんです。人間の編集部員が書いてるんだって。そしたら、『例の嫁候補か』ってしつこく聞かれたんです。それが、鬼灯堂の方だったと」
「ダメじゃない、個人情報をペラペラと喋っちゃ」
刹那に嗜められたマイケルは、身を縮こませる。
「すみません」
「鬼灯堂のあやかしは、なんで嫁候補の話を知ってたのかしら。まあ、編集長が佐和子を紹介するとき、取材先には『嫁候補』だって言ってるから、誰も知らない話ではないわけだけど。編集長は大魔王の息子といえど、芸能人でもあるまいし、一企業の社員がそんなに食いつく話でもないと思うけどねえ」
「……一番怒ってた刹那さんがそう言うと、説得力がないですね」
「うるさいわねマイケル! あのときは圭介とのことで悩んでて、イライラしてたのよ!」
烈火の如く怒る刹那だったが。それよりも鬼灯堂の話題が気になったのだろう。すぐに佐和子の方に向き直った。
「で、相手はなんて言ってたの?」
「今日四時に打ち合わせをしたいから来てくださいって。あまりに急だから予定を調整して後日にしようかと思ったんだけど、押し切られちゃって」
「なんか嫌な予感がするわね……。編集長! 編集長、ちょっと、厄介な匂いのする仕事がきたわよ!」
「ええ……なんだって?」
永徳は居眠りをしていたらしく、自席であくびをしながら伸びをしている。ふわふわとした調子で返事をする様子にイライラしたのか、刹那は首を編集長デスクまでぐーんと伸ばし、さらに声のボリュームを上げて叫んだ。
「編集長! なにのびなんかしてるんですかっ! 鬼灯堂から広告企画の依頼です。しかも今日来いって」
「え? 鬼灯堂から? うわっ!」
のけぞりすぎたのか、永徳はそのままデスクチェアごとうしろにひっくり返った。腰を押さえながらよろよろと立ち上がり、腰をさすった。
「今日って、ずいぶん急だね。何時だって?」
「四時に鬼灯堂本社だそうです」
佐和子が返答すれば、永徳は手を顎に手を当て渋い顔をする。
「今日の四時か……。なんとか調整するから俺も一緒に行こう。マイケル、君も行けるかな? 空いていたよね? ミーティングのメモ取りをお願いしたい」
「あ、はい! 大丈夫です」
「ちょっと編集長、アタシには声をかけてくれないわけ? 化粧品といえば、女性のあやかしが必要なんじゃありません?」
「刹那はその時間予定があるだろう」
「……あらほんとだわ。残念」
自分以外の編集部員の予定まで把握しているとは。この人は本当に、サボっているようでちゃんとしている。
佐和子はブラウザを立ち上げ、鬼灯堂について調べ始めた。検索をかけるだけで会社ホームページ以外にも、各商品のブランドサイト、鬼灯堂の商品を取り上げた記事、ビジネス誌の社長インタビューなど、豊富な情報が検索結果に並ぶ。これだけ見ても「鬼灯堂」が大きな企業なのだということがわかる。
——こんなに大手の企業から、私の記事経由で広告企画の依頼が来たんだ……。
パソコンの画面に集中しながらも、自然と口角が緩んでしまう。
こんなふうに自分のした仕事が、なにかの成果に結びついたのは初めてだ。
「鳥海さんの記事は今回の鬼灯堂の案件以外にも、結構反響があるんだよ。問い合わせフォーム宛にちょこちょこ読者からの感想ももらっているし。知人から『あの記事が良かった』って言われたこともあるし」
いつの間にか佐和子のそばに来ていた永徳がそう言ったのを聞き、佐和子ははにかんだ。
「そうなんですね、それは、良かったです……」
「鳥海さんのお手柄だよ。ただ、まあ今回の件は内容を聞いてからだけどね」
「……はい」
永徳の顔が曇ったのを見て、佐和子は首を傾げる。なにか懸念があるのだろうか。