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第21話 セオドアの告白

「アリシア、まだ寝ているの?」


「……お母さん?」


 目を開けば、優しい母の笑みがそこにはあった。長い間会えなかった気がして、ベッドから飛び起き、食事の支度に向かおうとする母の背に縋り付く。


「なあに。これじゃあ家事ができないわ」


「アリシア、こわいゆめをみていたの」


「あらまあ、もう大きいのに。でも大丈夫よ。どんなに怖いことが起こっても、強いお父さんが守ってくれるわ」


「お父さんは、いつ帰ってくるの?」


「……まだ、もう少しかかるかな。あのね、お隣の国と喧嘩が始まって。それを止めるために、お父さんはお仕事に行っているの。だから喧嘩が終わるまで、帰ってこれないのよ」


 アリシアは俯いた。父の顔をずっとみていない。寂しくて、ジワリと涙が出てきた。


「そうなのね。はやくケンカおわるといいな。どうしてオトナなのになかよくできないのかなあ」


「仲良くなるための話し合いはしているの。でもね、なかなか上手くいかないのよ」


「そうかあ」


 ——この年の冬だ。父さんが戦死したのは。


父の訃報を受けて、元々体が弱かった母はショックを受けて寝込みがちになり、そのままアリシアを残して逝ってしまった。


 娘を安心させるように微笑む母の顔が遠くに消えていく。待って、と手を伸ばした先にあったのは、カイオスの姿だった。


 虚な目をした彼は、剣を構え、丸腰のアリシアに向かって攻撃を仕掛けてくる。力強い剣捌きに迷いは感じられない。確実に殺すつもりで急所を突こうとしている。


 死の恐怖を感じたアリシアは、必死に足を動かし、彼から遠ざかるように裸足で地面を蹴った。


 ——父さんも、こんなふうに誰かと刃をぶつかり合わせて、死んでいったのか。


 カイオスとの真剣勝負はとても怖かった。少しでも油断すれば命を取られる世界を実感した。父はどれだけ怖かっただろう。どれだけ痛かっただろう。


 故郷でのノアとの稽古の日々は、所詮お遊びだったのだと体で理解した。


 鎧から覗く狂気に満ちたカイオスの目。執拗に振り下ろされる血まみれの剣。

 全身から色味がなくなり、呼吸が荒くなる。

「あっ!」


 ぬかるんだ土に足を取られ、泥の上に派手に転ぶ。気が付けばカイオスに頭を押さえつけられ、馬乗りになられていた。刃が喉に突き立てられ、縦に切り裂かれていく。アリシアは絶叫し、起きあがろうともがいた。


 ごちん、という鈍い音ととともに、額に痛みが走る。

 なんだか硬くて温かいものに、頭をぶつけた気がした。


「セオドア??」


「お目覚めですか」


 セオドアは顎を押さえながら、痛みに耐えているのか苦悶の表情を浮かべている。どうやら飛び起きた瞬間、彼の顎に思い切り頭突きをしてしまったらしい。「ごめん」と言えば、たいしたことはありませんと、いつもの仏頂面で答えた。周りを伺えば、どうやら自分はアラン王子の部屋にいるらしい。なぜここにいるのかと問えば、気絶している間にセオドアがベッドまで運んでくれたらしい。


「体調は大丈夫なの?」


「ええ。医師が処方してくれた薬がよく効きました。トーナメントの最終戦が始まる直前に、闘技場に到着しまして……そんなことよりも、ご気分は」


「全身痛いけど、大丈夫。気持ち悪いとか、どこかが異常に痛むとかはないよ」


 渓谷のように深くなっていたセオドアの眉間の皺が、少し緩む。


「そうですか、それはよかった。見事な闘いぶりでございました」


 副団長という地位にいるセオドアに、見事という言葉をかけられ、頬が緩む。


「セオドア、婚約者よりも先にあなたが王子と言葉を交わすなんて、どういうことかしら」


 聞き慣れた声に反応し、首を反対側に向ければ。姫モードかつ、非常に不機嫌そうな様子のキリヤの姿が目に入った。


「あれ、バーベナ姫もいたのか」


「『も』って……先ほどまで口付けを交わしていた相手に、ずいぶんな態度ですわね」


 彼はセオドアを睨みつけながらベッド脇の椅子に腰掛けていた。

「口付け」と言われて顔が熱くなる。恥ずかしくなって顔を布団で半分隠しながら、キリヤを覗き見た。


「さっきはごめん。途中で倒れちゃって。格好悪かったよね……」


「女性人気は上がったようですわ。真っ赤になって倒れるなんて、うぶで可愛らしいと」


「あ、ははは……。それはよかった……のかな?」


 すでに退室した医師によれば、あと数日はベッドで安静にするようにということだった。夢を見ていたのは一瞬のような気がしたが、思ったより長く眠っていたらしい。


「で、あなたはいつまでいらっしゃるおつもり?」


 棘のあるキリヤの言い方は、セオドアに「出ていけ」と暗に言っている。しかしセオドアの方を見やれば、彼は涼しい顔をしていた。


「少々お話ししたいことがございまして」


「あら、こんな緊急時にどんなお話かしら」


「先日偶然にもバーベナ姫と王子の会話をお聞きしたのですが」


 セオドアの言葉に、アリシアはびくり、と肩を震わせる。

 まさかバーベナが偽物ということがバレてしまったのだろうか。


「どうやら姫は、このアラン王子の正体についてご存知のようですね」


 セオドアの発言を聞き、キリヤは無反応を貫いている。彼の真意を測っているのかもしれない。


「姫にとっては好都合でしょう。相手は接しやすい同性の偽物。憎い王子との子作りに神経をすり減らす必要もない。お二人が仲睦まじいのも合点がいく。本物の王子か、あるいはよく似た男の身代わりなら、そうはいきますまい」


 バーベナが偽物の男とはバレていないらしいことに、アリシアはとりあえずホッとする。


 ——ん? じゃあ、なぜそんな話を?


「何が言いたいのかしら?」


「過酷な身代わり業をこなす彼女には、支えてくれる異性が必要です。か弱いあなたでは、彼女を守ることはできないでしょう。まあ、姫は、この方の身の安全など、どうでもいいのでしょうが」


「セオドア、それってどういう……?」


 そう言った瞬間、セオドアに両手を握られる。


「あなたの名前はアリシアだと、ノアから聞きました」


「はあ……」


「グラジオ王国騎士団の窮地に、勇敢に立ち向かうあなたの姿に、私は心を揺さぶられました。しかしアリシアは女性。王はあなたに生涯身代わりを命じたようですが……危険な王子の身代わり業などさせられません」


 セオドアはその場に跪くと、アリシアの手の甲にキスをする。


「自由になれる道を、共に探しましょう。それまでの間、私があなたの剣と盾になります。そして君が自由になれた暁には。私と、結婚してください」


 情熱的なセオドアの態度とは反対に、その場の空気は凍りつく。


「……っはああああああああああ?!」


 キリヤは姫役を放り出すようにして、そう叫んで立ち上がった。



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