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第27話 レストランにて

 青いチェックのテーブルクロスに、漆喰塗りの壁。バイオリン弾きの少年が流行りの音楽を奏で、昼間からパーティーでも開かれているような陽気な店内。アリシアはセオドアと共に窓際のテーブル席についた。


「賑やかなお店だね」


「騎士団の連中と戦勝祝いに来たことがありまして。サーモンのバター焼きが絶品だったのです。是非アリシア様にも味わっていただきたく」


「ええ、そうなんだ! サーモンかあ、楽しみだなあ」


 豪華な食事はアリシアの貧しい舌には合わず。たまにはシンプルな調味料で味付けされた大味な料理が食べたいと思っていた。温かい料理を食べられるのも嬉しい。王宮の食事は毒味後に運ばれてくるので、だいたいは冷めている。


 アリシアの希望も聞きつつ、セオドアは手早く注文を済ませる。


 ——慣れてるなあ。


 これまで手厳しい部下という認識しかなかったので、男性として彼を見たことがなかったが。物腰が優しく、エスコートは完璧。猛禽類を思わせる彫りの深い顔立ちは、女性を虜にする色気もある。

 きっとこれまでもそれなりに女性と付き合って来たのだろう。


「わざわざ私なんか誘わなくても、セオドアならデートしてくれる女の子はたくさんいそうなのに」


「デートというのは、誰とでも行けばいいというものではないのです」


「でもさあ」


「あなたがいいのです」


 ——う。その綺麗な顔で見つめないで……。


 あまりの眩しさにアリシアは目を細める。

 色恋に無縁の生活を送っていたのに、どうしてこうなってしまったのか。セオドアから目を逸らしつつ、アリシアは話題を変えようと試みた。


「ところで、王子ってどんな人だったの? ほら、私短期間の詰め込み教育でざっくり聞いただけだから。メンシスの人たちから見てどんな人だったか聞いてみたいなーって」


「王子ですか」


 セオドアは突然出てきた「王子」の言葉に両眉をあげ、困ったような顔をする。


「話題を逸らしたいわけですか」


「う、だって……こういうの慣れてなくて、恥ずかしいので」


「恥ずかしい。それはつまり意識してくださっているわけですね」


 満足げに笑ったセオドアは、注がれたワインを嗜みつつ、遠くを見るような目で窓の外に視線をやった。


「王子は私にとって憧れそのものでした」


「王国最強の剣士だもんね」


「剣の強さももちろんですが、不可能を可能にする精神的な強さや、優れたリーダーシップも魅力でしたね」


 セオドアの語る戦場での王子の姿は、勇壮たる獅子を思わせた。

 どんな逆境にも適切な判断を下し、仲間の犠牲を最小に抑えつつ、己も戦神の如く縦横無尽に敵の中を走り回る。王子の評判を知るロベリアの騎士は、メンシスの旗を目にした瞬間、恐怖に震えたという。


「メンシスの皆からも慕われているのが、アリシア様にはよくお分かりでしょう。ただ……」


「ただ?」


 彼は顔を傾け、アリシアに向かって手招きをする。どうやら外で話すのは憚られる内容らしい。頷いて顔を寄せれば、セオドアは声を落として話し始める。


「私の立場で言うのは憚られますが。ご活躍されていた反面、可哀想な方でもありました。剣に優れ、戦いに秀でた一方で、思考が極端な部分があり。ロベリアに対する態度にも表れていますが。王位を継げば暴君になると恐れられ、王位継承権を実質剥奪されている状態だったのです」


「え、そうなの?」


 意外だった。まだ日が浅いのでよくわからないが、穏やかで思慮深い第一王子に比べ、活躍の目覚ましいアラン王子は、玉座に最も近い人物だったのではないかと感じていた。


「はい、そうした状況もあって、今のあなたの状況があるわけです」


 外であることもあり、直接的な明言は避けているが。「今のあなたの状況」というのは、身代わり王子のことを言っているのだろう。

 国のために命を捧げ、数々の戦勝を手にしたアラン王子。しかし、王族の中では冷遇され、仕舞いには彼の嫌いなロベリア王家の姫と結婚させられるハメになった。

初めにアラン王子が消えたと聞いたときは、王族なのになんて勝手なと思ったが。


 ——王子だってひとりの人間だって考えたら……やるせない気持ちになってしまったのも、結婚から逃げちゃったのも、ちょっとわかっちゃうなあ。


 カイオスと戦った今ならわかる。あのような死闘を、王子は何度も民のために切り抜けてきたのだ。命をかけて戦った先にあったものが、憎んでいた敵国との政略結婚。それはきっと、受け入れ難い現実だったのかもしれない、


「ですが王子には戻ってきてもらわねば。必ず探し出します。あなたの人生を奪われるわけにはまいりませんから」


 不意に、頬に温かいものが触れる。セオドアがキスをしたのだとわかった時には、アリシアの顔面は真っ赤になっていた。


「な、な、な……! 何を……!」


 あわあわと落ち着きなく顔を覆うアリシアを、セオドアは嬉しそうに眺めている。


「油断されていたので」


 アリシアが抗議をしようと口を開いた直後、入り口の方でガラスの割れた音がした。


「座れねえってのはどういうことだ!」


「ですから満席でして……」


 大柄な男たちが若いウェイターに詰め寄っている。床には店の装飾品らしきガラス瓶が割れてバラバラになっているのが見えた。どうやら彼らがやったらしい。大きな声で怒鳴り散らす髭面の中年男が、怯えるウェイターの首元を掴む。


「上客が来たらヨォ、席ってのは空けるもんだろうが!」


 状況を見守っていたセオドアが、眉を顰め、ふうとため息をつく。


「デートにとんだ邪魔が入りましたね。アリシア様、お席で少々お待ちください。ゴミを片付けて参ります」


 そう言って彼が席を立とうとしたとき、隣のテーブルにいた青年が立ち上がった。


「おいおい、そりゃないんじゃねえの。そんなに待つのが嫌なら、昼時避けて来いよ」


「……おい、てめえには関係ねえだろうが」


 アリシアに背を向ける形で立つ茶髪の青年は、長身だが細身で、とてもごろつき相手の喧嘩に勝てるとは思えない。シンプルな綿のシャツに色褪せたズボンという格好を見るに、ごく一般的な平民だろう。


「みっともねえなあ。そんだけギャンギャン怒鳴る体力が余ってんなら、俺が遊んでやるよ。その間に席も空くかもしれねえよ?」


「うるせえ!」


 あからさまな挑発にのった髭面の男が、懐から出したナイフを青年に向かって投げた。


「危ない!」


 薄汚れたシャツの首元を捕まえ、しゃがませようとしたのだが。アリシアの手は空をかき、彼は軽やかな動きで手前の丸テーブルを蹴り上げていた。投げられたナイフはバリケードとなったテーブルに突き刺さる。


「他の客に迷惑かけんじゃねーよ。表へ出ろ!」


「こんのクソ餓鬼」


 はち切れんばかりに顔を赤くした髭面の男と共に、四人の男が客席の方へと向かってくる。途端、蜂の巣を突いたように客たちは店の奥へと逃げていく。


「加勢しよう」


 セオドアが立ち上がると、面倒くさそうな顔をして青年が振り返った。


「すっこんでろよ、おっさん。俺一人で十分だ」


「おっ、おっさんだと……?」


 ——あれ、この声。それに紫色の瞳……?


 茶髪の青年とセオドアは罵倒し合いながら、マナーのなっていない客たちを次々とのしていく。


「誰がおっさんだ! 私はまだ二十八だ!」


「じゃあずいぶんと老け顔なんだな!」


 罵り合いを続けたまま、店の外に逃げようとした髭面の男を二人は猛然と追いかけていく。

 アリシアは席に取り残され、他の客たちと共に、呆気に取られた顔をしていた。


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