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第30話 スカーレット・モルダウ

「よりによってロベリアの姫だなんて。グラジオの英雄になんたる仕打ち。今からでも結婚を反故にすることはできないのでしょうか」


 バーベナ姫歓迎のための晩餐会が始まる一時間前のこと。スカーレット・モルダウは衣装替えを終えたアリシアの元を訪ねてきた。イブが部屋の外で来客の応対に困っている様子だったので、ドアから首を出してみれば。凄まじい剣幕で暴言を吐きながらイブをどかそうとするスカーレットが目に入った。


 しかし彼女は「アラン王子」を目にした途端、まるで別人のように微笑んだ。

 そのあと可憐な口元から紡がれたのが先ほどのセリフである。


「ええと、バーベナ姫との結婚は決まったことで……」


 そう諭そうとしたのだが。麗しい瞳に涙をいっぱい溜めた彼女は、ハンカチを握りしめる。


「あんなにもロベリアを憎んでらした殿下が、そんなことをおっしゃるなんて。理不尽な現実を前に、心を壊してしまわれたのですね……スカーレットはわかっております。殿下の妻となるため、日々厳しい花嫁修行に勤しんでまいりましたもの。ええ、殿下の心のうちも、手に取るようにわかっております!」


 ——わあ、どうしよう。人の話を聞かないタイプの人だ。


 結局そのあと、真っ青な顔をして現れたモルダウ公爵に引きずられ、スカーレットは退場して行った。

 イブがげっそりした顔をしながら、「一応あれでもアラン様の結婚相手として、最有力候補のご令嬢だったのですよ」と教えてくれたのが記憶に残っている。


 その彼女が、あろうことかアランの婚約者を押し除けて「私と踊って」誘ってきたのだ。


 ——困ったなあ。正直関わり合いになりたくないんだけど。結婚相手の最有力候補っていったら、アラン王子と何度か話したこともあるよね? 


「殿下、乙女の決死のお誘いを、お断りになるのですか?」


 そうスカーレットに迫られ、アリシアは頭を垂れる。たしかに女性からの誘いを断っては、彼女の顔に泥を塗ることになる。そもそも女性側からダンスを申し込むことが、すでに恥ずかしいことなのだが。


「私でよければ」


 手を差し出すと、恋焦がれた相手に告白されたような恍惚の表情で、スカーレットはアリシアの手をとる。


「さあ、女同士でお話をしましょう。今日の舞踏会では当家の農園からワインを提供していただいているの。あなたのお国にワインはあるかしら?」


 邪魔者はさっさと退場しろとばかりに、侮蔑の笑みを浮かべながら、ペールブルーのドレスを着た令嬢がバーベナの腕を掴む。今回の舞踏会のワインは、ダレンヴィル男爵家が提供している。つまり彼女はカレン・ダレンヴィル。男爵の一人娘だ。


「野蛮な国では淑女としての振る舞いも教えていただけないんでしょう? おかわいそうに。結婚式の前に首を刎ねられないように、私が教えて差し上げるわ」


 もう一人のオパールグリーンのドレスを着た令嬢も、余った方のキリヤの腕をギュッと掴んだ。彼女がどこの誰かはわからない。が、どこかで見た気はする。


 キリヤはイライラしているようだったが、そこはさすが劇団俳優。取り乱す様子はなく、いつもの上品な笑みを浮かべ、言葉を返す。


「……そうね、ご教示いただこうかしら。グラジオの文化にはとても興味がありましてよ。皆様から是非学ばせていただきたいわ」


 嫌味の一つも返すのかと思いきや、それは堪えたらしい。友好のために敵国から嫁いでくるのだ、本物のバーベナ姫があとからやってくることを考えれば、勝手はできないのだろう。


(俺に構わず行け)


 そうキリヤに目くばせされ、アリシアは音楽の始まりとともに、スカーレットとステップを踏み始める。


 ——しかし、女の世界って怖い。あんな中にいたら、キリヤ、女性不審になっちゃうんじゃないの。


 初めて「王子役で良かった」と心から思ったアリシアは思いつつ、遠慮がちにスカーレットの腰に手を回した。




 キリヤは二人の令嬢に腕を引かれ、アリシアの前から退場する。令嬢たちは意地悪のつもりなのか、綺麗に整えられた長い爪をギリギリと腕に食い込ませてくるため、地味に痛い。


 ——はぁ。やだやだ、女のイジメって陰湿ぅ。こういう女どもとは一夜限りの関係でもごめんだな。


 キリヤは内心呆れつつも、か弱い令嬢たちの拘束に従いつつ、ホールの壁際へと連れられていく。ようやく拘束を解かれると、ペールブルーのドレスの令嬢、カレン・ダレンウィルが鬼の形相で詰め寄ってきた。


「あなた、いったいどんな汚い手をして取りいったの? あんなにかの国を嫌っていらした方が、こうも態度を変えるなんて。あなたが何か弱みを握っているとしか思えないわ」


 ——仮面舞踏会のルールを真正面からぶち破ってくんなあ。今のは俺をバーベナ、アリシアをアラン王子と特定しての発言だろ。ま、あのスカーレット・モルダウが話しかけてきたところから、そんなルールまる無視だったけど。


「国を治める側の人間は、民のために動くもの。グラジオがロベリアと和平を結ぶことが民のためと結論づけられれば、そう動くものではないかしら」


 キリヤはカレンに向かって、とびきりの笑顔を向ける。


「見かけだけは繕うかもしれないわねえ。でも悲しくはなくて。愛のない結婚は」


 もう一人の令嬢が、冷ややかな笑みを浮かべてそう言った。キリヤはニヤリと笑う。話がしたかったのはこちらの令嬢の方だった。


 ——メアリ・ベルモント伯爵令嬢。向こうから来てくれるとは運がいい。


 キリヤは、晩餐会で挨拶に来た来賓客の顔と名前を全て記憶していた。父親に直接近づくより、娘から探りを入れる方がやりやすい。特に「バーベナ姫」の立場からは。


 ——アリシアはうまくやれるかな。まぁ、今日もあの騎士が来てんなら大丈夫か。


 視線を漂わせれば、スカーレットと踊るアリシアのすぐ近くに、セオドアが見える。今日は護衛任務ではなく、参加者として来ているようだが。誰かと踊ることもなく、会場の様子を伺っているようだ。


「あなた、聞いているの?」


 二人の令嬢に凄まれ、我にかえる。キリヤは困ったような顔をして扇で顔を隠した。


「人様にお話しするようなことではありませんけれど。王子はとても優しくしてくださいますわ。それに意外と情熱的なんですの」


 頬を赤め、恥じらう仕草をする。閨事を示唆するかのように振る舞えば、彼女たちの顔は怒りと恥じらいで赤く染まった。


 ——積極的に攻めてんのは俺の方だけど。っつーか、なんでぽっと出の脇役になびいてやがんだよ、アリシアは。仲良くデートなんかしやがって。トーナメントの褒賞で自分から俺にキスをせがんできたくせに。


 先日の尾行の時の様子を思い出し、心の中で悪態をつく。仲良しごっこはあくまで王子暗殺計画に関わる人間を炙り出すための作戦に過ぎない。しかし自分の心はアリシアに傾き始めていて。「もういい」と勢いで言ったものの。その手を離してしまうにもう遅過ぎて、また触れたいと思ってしまう。


 ——仕事のことを考えたら、さっさとあの時の態度を謝って元通りの関係に戻った方がいいんだよな。でも、どう接したらいいかわかんなくなっちゃってんだよなぁ。はー、俺らしくねえ。


「……あなたは上流階級の会話というものがわかっていないようね。なんて下品な」


「カレンお嬢様。お部屋の支度が整いました。ご案内いたします」


 現れたのは、会場の給仕係を担うメイドたちとは服装の違うメイドだった。カレンを「お嬢様」と呼んでいるということは、おそらくダレンヴィル家の使用人だろう。


 一旦怒りを収めたカレンは、メアリと視線を交わし、含みのある笑顔を浮かべた。


「ベアトリクス家の個室をお借りして、ダレンヴィル男爵家が誇る最高級のワインをご用意しましたの。ぜひその卑しい舌で学んでいただきたいわ」


「ご案内いたします」


 そう言ってメイドは膝を折る。


「パートナーに断りもなくこの場を離れるわけにはまいりません」


 キリヤがそう言えば、カレンは扇で口元を隠す。


「ご安心を。あとからお越しいただきますわ」


 ——嘘つけ、何するつもりだよ。まあついていきますけど。


 相手の秘密を知るには、危ない橋を渡るのも時には必要だ。

 キリヤはアリシアに視線を送ってみたが、ダンスに必死なアリシアは、それに気が付かないようだった。



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