「殿下、私はずっとあなた様をお慕いしておりました。ロベリアの姫との婚姻が決まった後も。どうしても納得がいかなくて……」
潤んだ大きな瞳が、上目遣いでこちらを見つめている。
「ああ、そうだったんですね……」
「はい! お話を聞いた時は、殿下のお気持ちを想像し、胸が張り裂けそうでした」
——ああ、また自分の世界に入ってるなあ……。
一曲踊ってスカーレットと離れようとしたアリシアだったが。泣きつかれてしがみつかれてしまい、仕方なく二曲目を踊りながら、どうやって逃げようかと思案していた。
——そもそも、こういう話は本物の王子に言って欲しいんだけど。私に言われてもなあ。
王子としての体面は崩さぬよう微笑は維持し、踊りながらベルモント伯爵の動向を確認しようとあたりを伺う。だが、彼の姿はすでに会場から消えていた。
——ウソっ。さっきまでいたのに!
これではキリヤから「使えねえやつ」扱いされてしまう。こっそりとキリヤの方を伺って、顎が落ちる。
——うわっキリヤもいない。さっきまで壁際にいたはずなのに。
「下品な銀色の髪、不気味な紫の瞳の女など、殿下と不釣り合いにも程があります。男漁りにも余念がないようですわ。先ほどもどこかの殿方と会場を出て行かれました」
曲が終わると同時。会場にいたセオドアと目があう。彼が頷いたところを見るに、何か報告があるようだ。
「美しいお嬢様」
アリシアは両手でスカーレットの肩を掴み、真剣な眼差しを向ける。
「なんでございましょう」
頬を染めた彼女は愛らしい。しかしその愛らしさは、外面だけのもの。
「バーベナはたしかに、他のご令嬢とは一風変わったところがあります」
「そうでしょう、そうでしょうとも!」
「でも、私は……そういう彼女が好きなのです。彼女を侮辱するような方と、これ以上お話しすることはありません」
彼女の表情が凍る。唇はワナワナと震え、信じられないと顔に書いてあった。
「それに、あのバーベナが
本人が男だからね、と心の中で呟きつつ。アリシアはセオドアの方へと歩き始めた。
◇◇◇
「さあ、お飲みになって」
キリヤが案内されたのは来賓用の豪勢な客室。カフェテーブルが一台にソファーが二脚。そして天蓋付きのベッドが置かれている。
先ほどのメイドの手によって運ばれてきたワインは、ローズピンクのフルーティーな香りのもの。香りを嗅いだだけで、高級なものであることはわかった。
——普段だったら美味しくいただくとこだけど。絶対何か入ってるだろ、これ。
令嬢の嫌がらせと考えれば、おそらく致死量の毒などではないはず。だが何が入っているかわからない以上、口にするのは避けたい。
——と、なれば。
「あっ! カフェテーブルの下に何やら足の長い気持ち悪い虫が!」
「いやぁぁぁ!!」
身をはねさせるようにしてソファーから令嬢二人が逃げていく間に、キリヤはサッとグラスをすり替える。
「ベラ! 早く、早く捕まえて!」
カレンがそう叫べば、メイドが慌てて頭を振る。
「わ、わ、わ、わ、私も虫は苦手で!」
「誰でもいいから早く捕まえてよ!」
半狂乱でそう言うメアリは、壁にベッタリと張り付いている。
「気のせいでしたわ。カーペットの模様でした」
笑いを堪えながらそう言って、キリヤは舌をだす。
「ふざけないで! 虫は苦手なのよ!」
カレンは怒りで顔を真っ赤にしながらソファに戻ってきた。メアリも戻ってくるのを待ってキリヤは手元のグラスを取る。
「コ、コホン……では気を取り直して、いただきましょう」
メアリに促され、キリヤはワインに口をつける。令嬢二人はこちらが飲むのを確認してから、自分もグラスを口に運んだ。芳醇な香りが鼻を抜け、果実の甘みが口に広がる。ケチのつけようのない味に、キリヤは舌鼓を打つ。
一気に飲み干したいところだが、それでは淑女としてはしたない。
「美味しゅうございますわ。さすがダレンウィル家のワインですわね」
二人はキリヤの様子を見つつ、ワインを嗜んでいる。いつ頃薬が効いてくるか、見守っているのだろう。
「そういえばベルモント伯爵領では、鉄鋼業が盛んですけれど——」
そう切り出した直後、カレンがソファから崩れ落ちた。
仮面の下の顔色が、みるみる悪くなっていくのがわかる。
「あなた! さっきの隙にグラスをすり替えたのね! なんて女! カレン、大丈夫?」
——いや、グラスに薬を盛る方が「なんて女」だろうが。
様子を見守っていると、カレンがひ弱な声で言葉を紡ぐ。
「お腹が……痛い……お医者様を……」
「お腹?」
——てっきり媚薬だろうと思ってたが、違うのか?
媚薬を盛った上で男を当てがう。見知らぬ男と乱れた姿をアリシアに目撃させて信頼関係を壊そうという魂胆だと思ったが。どうやら違うらしい。
そうこうしているうちに、カレンが盛大に嘔吐した。どんどん具合が悪くなる友人を前に、メアリは怯えた表情で口元を覆い、どうしたら良いかわからないでいる。
———おいおいおい、どうなってんだよ。薬を盛ったのはこいつらじゃねえのか?