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第33話 ヒーロー

「バーベナ!!」


 派手にドアが吹き飛び、現れたのは仮面をつけた金髪の貴公子——もとい、アリシアだった。


 キリヤのドレスの裾の乱れ、紅潮する頬、そして男二人を視界に入れた瞬間、彼女は状況を把握したのか、勢いよく男に向かっていき、飛び蹴りをくらわせ、さやに入ったままの剣で残りの男を気絶させる。その間二秒。恐ろしい。


 すっかり強くなったアリシアを見て、キリヤは拍手を送りながらも、複雑な気持ちになる。鉄の女に育てたのは自分なのだが。


「殿下の伴侶となる女性はとんでもない蛮姫だ。伸びているヤツはあなたの仕業ですね?」


 嫌味を言いつつ部屋に入ってきたセオドアがは、軽蔑の眼差しをキリヤに向けつつ、二人の令嬢とメイドに視線を移す。


「ヒッ」


 セオドアに睨みつけられ、令嬢たちは肩を跳ねさせる。


「たとえ蛮姫とはいえど、殿下の婚約者に手を出した罪は重い。なぜこのような状況になったのか、お話を聞かせていただきます」


 うずくまる彼女たちを、続いてやってきたメンシスの騎士たちが外へと連れ出す。

 キリヤはゆっくりと深呼吸をした。薬のせいで、妙に落ち着かない。息があがって、くらくらする。


「バーベナ、手を貸して。立てる? どこか痛いところは?」


「自分で立てます」


 アリシアが差し出した手を、キリヤは取らない。今彼女に触られたら大変なことになる。そう本能が告げていた。しゅんとした様子の彼女を見て、良心が疼く。


「ベルモント伯は? アラン様はそちらの対応に集中されていると思っておりました」


意識しすぎてか、感じの悪い効き方になってしまった。だが、いつものように振る舞う余裕がない。


「殿下、まさかバーベナ姫にも例の件を共有されているのですか? 彼女はロベリア側の人間ですよ」


 セオドアが顔を顰める。例の件とはメンシスの食中毒事件の犯人のことだろう。


「バーベナはこれまでも私を暗殺の危機から救ってくれている。だから彼女にも情報共有をしているんだ。そうすればお互い助け合えるからね。彼女は信用できる人だ」


 緑の瞳がキリヤに鋭い視線を向ける。彼にはロベリア戦争支持派主導の暗殺計画も、バーベナ姫が影武者であること知らせていない。下手に伝えれば、ロベリア王室がグラジオに和平の意志を疑われることになるからだ。


「ベルモント伯爵も会場から消えたんだ。参加者として紛れながら、伯を見張っていた騎士から、個室の方へ向かったって聞いてここへ通してもらったんだけど。争う声とバーベナの声が聞こえて」


 焦り気味にそうアリシアが説明する。


「アラン様に心配されなくとも、自分で対処できました」


 しゅんとしたアリシアは、俯きがちに言葉を紡ぐ。


「それでも、心配だったんだよ。もしもってことがあるでしょ」


 思わず、口角が緩んでしまいそうになった。


 ——こいつは、ほんと、お人よしだな……。


 呆れつつも、胸があたたかくなるのを感じる。食中毒事件の犯人究明を優先するなら、自分のことは放っておくべきだ。第一身代わりの男なのだから、キリヤがどうなろうとアリシアには関係ない。


 自分の利益を最優先に考え、不利益となれば仲間も切り捨てる。キリヤがこれまで育ってきた世界ではそれが当たり前であったのに。自分を一人の人間として扱い、心配してくれるアリシアは新鮮だった。


「殿下、お取り込み中のところ恐縮ですが。ベルモント伯を探さねばならないのでは?」


 セオドアの声掛けに、アリシアはハッとする。


「そうだった! 急ごう」


「私も参ります」


 セオドアは眉を顰め、こちらを見た。


「邪魔になります。待機していてください」


 絶対零度の碧眼が不快そうに歪められる。だがキリヤも引き下がらない。


「ベルモント伯のお相手が、ロベリアの誰かであった場合。私の方が顔を知っている可能性が高いです」


「セオドア、バーベナはネズミみたいにすばしっこいから大丈夫。見つかるようなヘマはしないよ」


 なんだよネズミってのは、と心の中で悪態をつきつつ。アリシアのトンチンカンなフォローに堪えきれずに吹き出してしまう。


「……では、くれぐれも邪魔はしないように」


 ——うるせぇわ。


 キリヤは火照る体を意志の力で誤魔化しながら、二人の後をついていった。




 心の通った異性との戯れ、許されぬ関係の逢瀬、そして表ではできない商売の話。仮面舞踏会の裏、ダンスホール奥に並ぶ個室では、表の世界とはまた異なる交流が深められている。


 一部屋一部屋改めるわけにはいかないため、アリシアはセオドアとバーベナと共に、聞き耳を立てながら回廊を進んでいく。だがベルモント伯らしき声は聞こえてこなかった。


「本当にこちらにいらっしゃるの? 今の所嬌声しか聞こえてきませんけど」


「バ、バーベナ!」


 アリシアは飄々と言うキリヤを嗜める。やはりこの男はこういうことに慣れている。こちらは恥ずかしくて逃げ出したいくらいだというのに。


「私の部下が個室へ向かうベルモント伯の姿を見ています」


「あらセオドア、単なる女性との逢瀬の可能性も否定できないのではなくて?」


「それをこれから調べるのです。伯爵が個室へ向かった直後、すぐに追ってきたのですが。姫のせいで見失った上、ずいぶんと時間を無駄にしてしまいました」


 仮面の下の碧眼が、キリヤを睨む。


「私のせいだと? 襲われかけたのは私の方なのですけど?」


「あなたが襲ったの間違いではないですか?」


「ちょっと二人とも。口喧嘩しないで」


 女性には優しいはずのセオドアだが、なぜだかキリヤには当たりが強い。本能で男だと認識しているのだろうか。


「あ、誰か来るよ!」


 突き当たりから出てくる影を見つけ、アリシアは咄嗟にキリヤの腕を取り壁に押し付ける。セオドアもそれに倣い、二人の男が女性一人を口説いているような体勢をとった。


 ——ベルモント伯だ!


 背中を通り過ぎていく低いしゃがれた声は、彼のもので間違いない。足音は二人分。通り過ぎていくのを待って、隣に立つ人間の顔を盗み見る。


「では、また二週間後に」


 そう言った男の声には聞き覚えがなく、ローブを頭から被っているせいで、髪色さえ確認ができない。唯一わかるのは浅黒い肌の色くらいだ。


 ——二週間後はアラン王子とバーベナ姫の結婚式だ。そこで何か企んでいるのか? それとも単に、結婚式で顔を合わせるだろうという意味での言葉?


 なんとか男の素顔を見たい。これでは何もつかめなかったも同然だ。ベルモント伯爵と男は個室係の使用人に鍵を返すと、それぞれ別の方向へと歩いていく。


「ちょっと行って参ります」


 壁際にいたキリヤが、アリシアの腕を振り払って歩き出す。


「え、どこいくの?!」


「殿方は黙ってみててくださいませ」


 ——いや、あなたも殿方なんですけど。


「何をするつもりですかね、彼女は」


 セオドアが怪訝そうな顔でそう呟く。

 ダンスホールに出たところで、キリヤは先ほどのローブの男に話しかける。話の内容は聞こえないが、どうやらダンスに誘っているらしい。


「なるほど、男では使えない手ですね」


 キリヤを遠くから見守りつつ、ベルモント伯の様子を伺えば、出口の方へと向かっていく。仮面舞踏会の開始から今まで、彼が個室に消えたのは一度のみ。やはりあのローブの男が怪しい。


 楽団の近くに陣取り、軽快なテンポの曲に変わった音楽に耳を澄ます。


 ——結婚式まであと、二週間、か。


 すこし遠くに立つキリヤを見つめながら、ふと、そんなことが頭をよぎる。結婚式が終われば、彼とはお別れ。そして本物の姫が嫁いでくる。


 そう考えれば、胸の奥がキュッと狭くなる。

 こんなにも誰かとの別れを切なく思うことは、これまでなかったのに。


 キリヤは熱心にフードの男を口説き落とそうとしていたが、うまくいかなかったらしい。難しい顔をして、こちらに戻ってくるのが見えた。


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