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第34話 仕事の終着点

「外に出よう」


 セオドアとキリヤにそう囁き、アリシアは人の波をかき分けながら会場の出口へ向かった。侯爵には申し訳ないが、今夜の最優先事項は王子暗殺計画に関与する人物の特定である。早々に人目を避けて収穫を確認したい。


 馬車回しに到着したところで、無言で背後についてきていたセオドアが口を開いた。


「バーベナ様、先ほどの男に見覚えは?」


「残念ながら、お伝えできることは何もありませんわ」


「そうですか」


「ローブの殿方とは別口で、一つ収穫はありましたけれど」


 キリヤは小さなガラス瓶を取り出すと、セオドアに手渡した。


「これは?」


「メアリ・ベルモント嬢に盛られそうになった薬ですわ。こっそりすり替えてカレン嬢に飲んでいただいたのですけど。トーナメントの日のメンシスの上位騎士の皆様と同じ症状が出ましたの」


「ええっ!」


 セオドアが手に持ったガラス瓶をアリシアも覗き見る。中には紅薔薇色の液体が入っていた。


「ベルモント伯爵が購入した薬だそうです。ワインに混ぜてありましたわ。彼女は媚薬だと思い込んで、私を陥れる目的で勝手に持ち出したようですけれど」


 キリヤは呆れたとばかりに鼻から息を漏らす。セオドアはガラス瓶をじっと眺めたあと、鋭い眼光をキリヤに向けた。


「それは本当ですか」


「嘘をついて私に得があります? 疑われるなら彼女を尋問してくださいませ。ただ、ベルモント伯爵にこちらの動きを知られぬよう慎重にされた方が良いと思いますが」


 挑発的な微笑みを返すキリヤと、敵対心をあらわにするセオドアに挟まれ、アリシアは右往左往する。どうにもこの二人は気が合わないらしい。


「言われずとも。……しかし、ご協力には感謝いたします。これでベルモント伯爵がトーナメントの騒動に関わっていたことの証明はできそうですので」


 セオドアが形だけの礼を述べれば、キリヤはふん、と鼻を鳴らし、アリシアの腕に抱きついた。


「バ、バーベナ?! どうしたの?」


「アラン様、私、とおっても疲れましたの。怖い思いもしましたし、王子に慰めていただきたいわ。王宮に早く帰ってゆっくり休みましょう? もう用事は終わったでしょう?」


 甘えた声でそう言われ、上目遣いで見つめられる。本物の女の子が甘えているような演技に感心しつつも、突然なぜそんなことを言い出すのかとアリシアは当惑した。


「後のことはお任せください。……殿下。薬の件に関しては、追ってご報告いたします」


 笑顔のセオドアの額に、青筋が立っている気がする。怖い。笑顔なだけに余計に怖い。


「じ、じゃあ、失礼するよ」


 そう言い終えるが先かあとか、アリシアはキリヤに馬車へと押し込まれた。彼はさっさと自分も乗り込むと勢いよく馬車のドアを閉める。


 蹄の音が走り出す。キリヤは馬車の窓にかけられたカーテンの隙間から侯爵邸が遠ざかっていくのを確認すると、アリシアの方に向き合うよう座り直した。


「さっきのローブの男。ロベリアの貴族だ。浅黒い肌の男は何人かいるが、ローブの下の黒髪、顎についたホクロ、それにあの声。おそらくエルトラン侯爵だな」


「ええっ! さっき話せることは何もないって……」


 彼はカウチに寄りかかり、両手を頭の後ろで組んだ。


「セオドアに今の段階で話せることは何もねえってことだよ。確証のない段階でロベリアの関わりを話すのは避けたい。情報を共有するのは調べがついてからだ。ただ疑りぶかそうだからな、あいつ。目眩しのつもりで本当はこっちで分析するはずの薬を譲ってやった。でないと本当は何か気付いたんじゃないかって付き纏われそうだし」


 あとで真実を隠されたことを知ったら、セオドアが怒り狂いそうだ。


「エルトラン領は近年金属加工業に力を入れてる。防具や武器などの生産も盛んで、ロベリア騎士団に納品もしている」


「エルトラン侯爵は戦争支持派なの?」


「いや、中立派だ。表立っては行動を起こさず、裏で糸を引いて金儲けをしようとしてるんだろ、タチ悪りぃな」


「つまり、ベルモント伯がミーラークルムをエルトラン侯に売り、エルトラン侯がそれを硬度強化した武器防具に加工して、戦が始まったら売り捌こうとしてるってこと?」


「まだ仮説だがな。その可能性が高い」


 ——なんてこと。


 自国の国民を命の危険に晒してまでやることだろうか。金に目が眩んだ人間は、戦に巻き込まれる人々の命をなんだと思っているのだろうかと、アリシアは憤りに唇を歪ませる。


「裏が取れたらグラジオ側にもロベリア王経由で共有する。あとは俺に任せておけ。これまで協力御苦労さん」


 突き放すようなキリヤの言葉に、顔をあげる。


「え?」


「えって。これで結婚式まであんたは安心して過ごせるってことだよ。あとのことは俺の仕事。一生王子として身代わり業頑張るつもりなら、向こう二週間くらいはゆっくりしてろよ。……ああ、そっか、セオドアに頼れば王子役降りる道もあるんだっけ?」


「そっか……。そうだよね。バーベナは仕事で姫の格好をしてて、戦争支持派の暗殺計画を調べるために、私に協力を頼んでたわけで。調査が済んだら身代わり業は終わりなんだもんね」


 内側から溢れ出てくる感情を抑えきれなくて、視線を膝に落とす。わかっていたはずなのに、突然関係の終わりを告げられてショックを隠しきれなかった。少しでも油断したら涙がこぼれそうで、眉間に力を入れる。


「なんで泣いてんだよ」


「泣いてない」


「泣いてるだろ」


「泣いてない!」


 ぐい、すごい力で体が持っていかれる。キリヤが自分を抱き寄せたのだと気が付く。


「ねえ、なんで」


 意外と男らしい手のひらが、アリシアの頬を包む。蒼い瞳を覗き込むのは、潤んだアメジストの瞳。


「なんなの、本当に」


 キリヤは答えない。無言を貫いたまま、体温の高い体が、すがりつくようにアリシアの体に絡められ、唇が重ねられる。


 彼の考えが読めない。突き放すようなことを言っているのに、アリシアを見つめる瞳は熱っぽくて、触れる手は優しい。


 偽バーベナ姫役はキリヤという人にとって、お金を得るための手段。彼の居場所は別にある。さっさとこんな危険な仕事は終えて、自由になりたいはずだ。自分とは事情が違う。


 だけどこれは。これは、これはなんなの。

 あなたは私のことを、どう思っているの。


馬車が王宮につくと、キリヤはアリシアを離し、バーベナ姫としての淑女の仮面を被り外へ出ていく。


「明後日の夜、空けといて」


去り際、彼はそれだけ言い残していった。

上着のポケットの中には、まだ、プレゼントが入ったまま。

しかしアリシアは、彼を呼び止めることができなかった。


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