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第37話 結婚式

 グラジオ、ロベリア両国にとって歴史的な瞬間となる、アラン王子とバーベナ姫の結婚式の日は、これ以上ないくらいの快晴となった。


 新郎の控室に佇むアリシアは、純白の騎士服に身を包み、出番を待っている。


 姿見に映った自分の姿を繁々と眺めた。鏡の中に映るのは、紛れもなく「アラン王子」。本当だったらウエディングドレスを着てみたかったが、それは叶わぬ夢だ。


「これでバーベナともお別れか」


「お別れではなく、これからずっと一生添い遂げることになるのでは?」


 いつも通りの無表情で、イブがそう言った。彼女は王子の身代わりの件については知っているが、バーベナがキリヤという男であることは知らない。


「あ、はは……そうだね。私ったら」


 イブは訝しげに目を細め、アリシアの顔を覗き込む。


「殿下、何か私に隠していますか?」


「いや、そんなことはないよ」


「隠し事は困ります。いざという時、あなたを守れなくなりますから」


「うん、そうだよね。大丈夫だよ。何も隠していない」


 腰に王家に代々伝わる宝剣を帯剣し、もう一度身なりを整える。


 月夜に照らされた、男の姿のキリヤが思い出される。優雅で美しい姫の仮面を被った、やんちゃを絵に描いたような男。普段はふざけた態度をとっている彼があの日見せた真剣な眼差しに、アリシアの心は震えた。


 思い出すたびに胸の鼓動が早くなり、束の間の幸福に囚われて抜け出せなくなってしまいそうになる。どうせ叶わない恋だというのに。


 ——でもなんで本物のバーベナ姫が、結婚式に出ないんだろう。


 仮面舞踏会の日から、一方的に調査の終わりを告げられている。ということは、すべての黒幕は明らかになって、関係者の捕縛が進んでいるはず。それならキリヤはもうロベリアに帰ってもいいはずだ。だがキリヤは予定通り結婚式までいると言っているし、エルトランやベルモンドが捕まったという話も聞かない。


 ——状況が掴めないんだよね。キリヤは安心しろの一点張りだし。本当に大丈夫なのかな。


「殿下、そろそろお時間です」


「うん、行こう」


 不思議に思いつつも。イブの背中に続いてアリシアは歩き出した。


 たくさんの蝋燭の光に照らされた教会内はカサブランカの花に満たされていた。来賓客の座るベンチの一つ一つに、白い花がリボンと共に飾られている。芳しい花の香りに満ちた室内に入れば、その場にいる全員がアリシアの方を向く。


 白い絨毯の上を、司祭のいる祭壇に向かって進む。打ち合わせはしっかりしてきているが、やはり本番は緊張するものだ。


 立ち位置に到着し、扉の方向に向き直った。司祭の合図とともに、重厚な扉が左右に開かれる。


 陽の光を背負って入ってきた花嫁に、会場にいる誰もが釘付けになる。


 見慣れているはずのアリシアでさえ息を呑んだ。港町にいたときに結婚式を見掛けたことがあったが、こんなに美しい花嫁は見たことがない。


 銀色の髪は編み込まれ、白いベールの下からは、カサブランカの花がのぞいている。レースがふんだんにあしらわれたAラインの可憐なドレスは、「バーベナ姫」にとてもよく似合っていた。


 アリシアはその姿に見惚れつつ、ちょっぴり複雑な気持ちにもなる。なにしろ、花嫁が花婿で、花婿が花嫁なのだから。


 式は順調に進み、いよいよ誓いのキスの時間が巡ってきた。

 震える手でベールをあげれば、キリヤが唇の形だけで「ちゃんとやれよ」と伝えてくる。


 できる限り無表情を貫き、そっと唇を重ねる。ゆっくりと離れれば、今度は「それだけ?」と不満げな顔で口元を動かされた。


 ——結婚式でそんな熱烈な口付けはおかしいでしょうが!


 そう言いたかったが、ここで嫌な顔をするわけにもいかず、アリシアはハリボテの微笑みで対応する。結婚式の時までおちょくらないでほしい。まあ、彼らしいといえば、彼らしいのだが。


 壇上で来賓客の方に向きを変える。

 教会の扉の向こう、広場に集まった大勢の民衆の元へ行こうと、キリヤに手を差し出そうとした、そのとき。


 どん! と左腰に衝撃が走る。初めは何が起こったのかわからなかった。


 ——あれ、痛い……?


 キリヤが体当たりしてきたことに気づいたときには、白い衣装ににじわじわと赤いシミが広がっていた。鋭い痛みが遅れてやってくる。


 自分の腰に彼の手によって突き立てられたそれが、ナイフだと気づいた瞬間、頭が真っ白になった。手が震える。現実に起こっている事態が信じられない。


「バーベナ……? どうして?」


 控室でのイブの言葉がこだまする。


『隠し事は困ります。いざという時、あなたを守れなくなりますから』


 キリヤと二人で無邪気に笑い合っていた時間が、頭の中を流れていく。

 そして後悔とともに、心を引き裂かれるような悲しみが押し寄せた。


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