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第38話 裏切りの刃

「っくう〜。いってぇ〜」


 キリヤの口から漏れ出た気の抜けたような声に、アリシアは疑問符を浮かべた。


「え? 痛い?」


 冷静に状況を確認すると、アリシアの腰に刺さったナイフの傷は、そこまで深くはないようだった。そしてよく見てみれば——ナイフを握っていたのは、なんとキリヤの背後にいたガーネットだったのだ。


 彼はガーネットの凶行を止めるため、ナイフの刃を握っていた。白いレースの手袋は真っ赤に染まり、滴る血がウエディングドレスまでも赤く染めている。


 状況を理解したアリシアは即座にガーネットの腕を捻り上げ、ナイフを手から放させた。押し寄せるようにやってきた衛兵たちが彼女を取り押さえ、連行していく。


 教会内は突然の出来事に騒然としていたが。グラジオ側の来賓客が急に騒ぎ始める。


「今の女はバーベナ姫に帯同してきたメイドだ! これはロベリアの反意に違いない! 和平など毛ほども考えていなかったのだ。我らの戦力を削ぐため、結婚をダシにアラン王子殿下に近づき、亡き者としようとしたんだ!」


「ロベリアの姫を取り押さえろ! ロベリア王族を殺せ!」


「衛兵を呼べ!」


 騒いでいるのは戦争支持派の枢密院議員だ。その筆頭はベルモント伯。この状況を利用して、一気に戦争へと雪崩れ込ませようとしているように見えた。


「和平の最たる場において、我が国を愚弄するとはなんたること! グラジオは此度の和平条約を反故につもりと見て問題ないな?」


 立ち上がったのはロベリアのエルトラン侯。浅黒い肌に黒髪のこの男は、バーベナが突き止めたベルモント伯の協力者だ。


 ——まずい。ここで暴力沙汰が起こったら一貫の終わりだ。


 だが、叫び出した議員たちの声に、一人たりとも衛兵は反応しない。教会の隅に立ち、結婚式の警備統括をしているセオドアも、眉ひとつ動かさなかった。


 グラジオ王とロベリア王に視線を移せば、どちらも薄笑いを浮かべて状況を眺めている。


「おい! どうした、衛兵! メンシスの騎士も、なぜ動かない!」


 いきなり剣を抜き合うような事態は避けられそうだが。このままでは式どころではなくなってしまう。騒ぐベルモント伯を見ながら、アリシアは状況を好転させるために自分ができることを考える。


「黙りたまえ!」


 手の痛みに顔を歪めているキリヤを抱き寄せ、アリシアは厳しい表情を作って怒鳴った。


「結婚式は続行だ! この結婚はなんのためにあると思う? これ以上の血を流さず、平和な二国の未来を築き上げるためではなかったか? それに見よ!」


 血みどろのキリヤの手を、周囲の人間にも見えるように高く掲げる。


「バーベナ姫はこの華奢な手を傷つけながらも私を守った。彼女の手は両国の絆を守るために傷ついたのではないか?」


 突如、横にいたキリヤがワッと泣き出す。


「ガーネットがナイフなどを持ち出したのは、私のせいなのです!」


 きっと嘘泣きなのだろうが、周りの人間にはそうは見えないだろう。さすが元劇団員だ。


「ガーネットはアラン様に恋をし、密かに妾の座を狙っていました。私、それが許せなくて、彼女をいびるような真似をしてしまって。それできっと、彼女、私を恨んで……私が幸せになるのを、許せなくなったのでしょう。それで晴れの舞台で、私が愛するアラン様に刃を……」


 チラリ、とキリヤがアリシアに目線を送る。「合わせろよ」と口を動かすのが見えた。


「おお……愛しいバーベナ。かわいそうに。君が悪いのではない。怖かったろう。もう大丈夫だ」


「セリフがクサすぎ」という小声の悪口が聞こえたが、それは聞かなかったことにした。


 しかしうまい。彼のおかげで、この話は「両国の問題」から「男女の問題」にすり替えられた。


「とにかく結婚式はこのまま続ける。皆のもの、その場を離れないように。私とバーベナは、衣装をかえてくる。今の出来事は一旦忘れて、盛大な拍手で僕たちを民の元へ送り出しておくれ」


 念を押すようにそう言って、キリヤを抱き抱えたまま、アリシアは教会の外へと出ていく。


「ご演説が上手くなったなぁ。アラン王子様?」


 王宮に続く渡り廊下に出たところで、キリヤが小声で話しかけてくる。


「ずる賢い花嫁のおかげかもね」


「咄嗟の機転を働かせた愛しい花嫁を、もうちょっと褒めてくれよ」


「嫌だ」


「けち〜」


「あとでこれがどういうことだったのか教えてよ?」


「おいおいな。っておい! いってえな! 怪我人を叩くな!」


「びっくりしたんだからね! 裏切られたと思ったんだから!」


 涙が目に溜まり、視界をぼやけさせる。それが頬に流れる寸前で、キリヤの両腕がアリシアの首に回された。


 目の前に迫るバーベナ姫の顔。唇に触れるあたたかな肌の感触。長く優しい口付けのあと、彼が少しだけ身を引く。


「アホ。まだ衆目がある場所で王子が泣くんじゃねえ。ちゃんとあとで説明してやるから、あんたは王子を演じきれ」


「う、あ、……はい」


 すべて小声での会話だったが。周囲で警備をしている衛兵たちも、近くに控えているイブやメイドたちにも、二人のやりとりは痴話喧嘩に映っていたらしい。堪えきれずに漏れたらしき笑い声が聞こえてくる。


 桃色に染まった頬が、さらに赤さを増す。

 アリシアはうなだれ、キリヤに腕を引かれながら控室に続く廊下を歩いて行った。


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