「ガーネットから王子暗殺の依頼を受けてたぁ?!」
夜着に身を包んだアリシアは、向かいのソファーにいるキリヤに向けて叫んだ。
「うるせえよ。もうちょっと静かに話せねえの?」
「あ、ごめん」
すべてを終えてリラックスモードに入ったのか、彼は薄化粧もせず、アリシアと同じ青いシルクの前あわせの夜着を着てソファーに横になっている。銀色の長い髪は纏めもせずそのまま。もはや男性であることを一ミリも隠そうとしていない様子だである。
「最強の武器防具の材料を用意するのはベルモント、作るのはエルトラン。でもって商売するにはもう一つ重要な役割があるよな。流通役だ。それがスピネル商会だった」
キリヤは気だるそうに半身を起こし、カフェテーブルに置かれたグラスを手に取り、喉を潤した。
「ガーネットはスピネル商会経営者の婚外子で、実子の代わりに汚れ仕事を請け負っていたそうだ。バーベナ姫の侍女役みたいな名誉ある仕事は通常実子が受けるが、今回は彼女が出てきた」
「王子暗殺計画への協力が業務内容に含まれてたから?」
「そゆこと。ワインの毒やメンシスの騎士たちに盛った毒、カイオスの飲み物に混じらせた薬物はガーネットが手配していた。スピネル商会の流通網を使って」
「でもなんで、暗殺計画を探ってるキリヤに相談を?」
「俺がしょっちゅう、早く大金手に入れて逃げてぇ〜! ってぼやいてたのを聞いてたし、出自もあまりよろしくないってことで、金で操れると思ったんだろうな。操れればこれほど計画向きの人間はいねえし」
「たしかにぱっと見キリヤって軽そうだし。上辺だけ見てたら『やるやる!』って言いそうって思うかも」
「俺の評価酷くない?」
「日頃の行いが悪いんだよ」
手厳しいなぁ、と言いながらキリヤは苦笑いをする。
ガーネットは悩んでいたらしい。汚れ仕事に手を染めたことはあっても、彼女は人を殺したことがなかった。しかしやらねば家から放り出されてしまう。
「ガーネットの相談からスピネル商会の関わりがわかって、商会へ間諜を忍び込ませた。ベルモントを調べながら、同時並行でそっちも調べてて。それで諸々の裏が取れた」
「でもなんで結婚式まで泳がせてたの? すぐに捕まえちゃった方が安全だったんじゃ」
「結婚式を舞台に選ぶってことは、派手にパフォーマンスして一気に戦に持ち込もうとしてるんじゃないかって思ってさ。グラジオ側にも情報共有して、結婚式の場で怪しい動きをした奴ら全員取り調べようってことにしたんだ。ガーネットには仕事を受けたと思わせつつ、暗殺に使う予定のナイフを控室の目立つところにわざと置いてってやった。そしたらあいつ、慌てて自分でやり遂げようとするんじゃないかって」
アリシアはその時のガーネットの心中を想像し、瞼を伏せた。
——きっと商会の中で意見を言えない立場だったんだろうな。暗殺の件も、本当はやりたくなかっただろうに。
「……ん? グラジオ側に情報共有って。いつの間に?! だから私が刺されそうになったとき、誰も動かなかったのか。一言相談してよ! 私だって初めから知ってたら、もっとうまく立ち回れたのに!」
「あんた演技できないし。ガーネットが突っ込んでくるって知ってたら、あからさまにオドオドしてただろ」
「う、それはそうかも……。でもっ、知ってたら怪我しなくて済んだじゃない」
てっきり冗談で返されると思っていたのだが、キリヤは途端に表情を暗くし、俯いた。
「それは、ごめん」
明らかに萎れた様子のキリヤは、アリシアの隣に移ってきた。刺された部分に手を当て、悲しげな顔を見せる。
「アリシアのことは守り切るつもりだった。それなのに。俺の不手際で怪我させて悪かった」
殊勝な顔でそう言われると、調子が狂ってしまう。
包帯の巻かれた彼の手に視線を落とす。怪我の程度で言えばキリヤの方がひどい。アリシアの方はナイフの先端が少し刺さったくらいで、大した傷ではなかった。
傷を見ていた彼の紫の瞳が、瞬きと共にアリシアの顔を見上げた。気づけば息遣いがわかるほどに近づいている。
「キリヤ、近いよ」
「近くちゃダメなの?」
長い手指がアリシアの頬を撫ぜる。キリヤは額を合わせると、小さく息をついた。
「離れたくねえなあ」
「でも帰るんでしょ」
「帰るけど。でも、帰りたくない」
「私も寂しいな」
ふと、本音が漏れてしまった。
鼻の奥がつんとする。涙がすぐそこまできていた。この夜が明けたら彼はいなくなる。そして二度と戻ることはない。
「せめて、一生忘れられない夜にしよう。この先もアリシアが、俺を覚えていてくれるように」
「でも、手が……」
「こんなのたいしたことない」
視線が重なる。頬を伝う涙を、キリヤが指ですくった。
「俺から目を離さないで」
甘い囁きに、脳が痺れる。
細身だがしっかりと筋肉がついた腕に、身体を抱かれ、首元に落とされた唇の感触に震えた。
キリヤの形のいい唇が、首筋を伝って頬まできた。キスの予感を感じて、瞼を閉じる。
「失礼致します!」
突然開け放たれた扉の音に、アリシアは驚き飛び上がる。
上気した顔のまま声の主の方を見れば、そこには酒瓶を山ほど抱えた騎士服の男が立っていた。
「せ、せせせ、セオドア?!」
「本日はお疲れ様でした。さあ、祝いの宴と参りましょう」
「おうおうおうおう、おっさん! あんた一体なんなんだよ! 初夜だぞ? 無礼にも程があるだろうが!」
「キリヤ! 口調!」
「いいんだよ、このおっさん、俺の正体知ってっから」
「えええ! そうなの?」
セオドアは口元だけで微笑み、胸に手を当てる。
「ええ、先日色々とお話しいただき、キリヤ様の素性に関しては存じております。本来ならしょっぴくところですが、王子暗殺計画の阻止にご協力いただいたということで、今回は不問ということになりましたが……」
ぎろり、とセオドアの綠の双眸が、キリヤを捕らえる。
「年頃のアリシア様とこのような野蛮な猿を一夜でも二人きりにするのは危険と判断いたしまして。私が警備をさせていただくことにいたしました」
「いたしました、って。勝手に決めてんじゃねえ!」
猛禽とドラ猫の喧嘩というのが、例えとしては一番近いだろうか。セオドアは酒瓶の山をテーブルに置くと、どっかりと向かいのソファーに座り、キリヤにワインのボトルを差し出した。
「勝負だクソガキ。私が勝ったらお前に出ていってもらう」
「はん! 望むところだ。俺が勝ったらあんたが出ていけよ」
突然始まってしまった男同士の勝負に、アリシアは戸惑いを覚えながらも、ほおを緩ませる。
——逆に、この方が良かったかも。泣かずに送り出せそうだから。
二人の罵り合いを肴に、アリシアもグラスにワインを注ぐ。
こんな賑やかな夜がずっと続けばいいと思った。その間はこの甘酸っぱい初恋を忘れられるから。