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第41話 バーベナ姫の帰還

 その後。グラジオ・ロベリア両国の枢密院による合同協議のもと、今回の陰謀に関わったものの処罰が決定された。


 ベルモント伯爵・エルトラン侯爵は爵位剥奪の上処刑、一族は国外追放に。スピネル商会は解散。王族に直接刃を向けたガーネットも処刑されることになった。


 偽のバーベナ姫ことキリヤは、結婚式の翌朝、ロベリア王家の家臣団と共に男の格好でグラジオの城を出た。準備が整い次第、本物のバーベナ姫がやってくることになっている。


 ——行っちゃったなあ。


 自室の窓辺から、アリシアはロベリア王国へと思いを馳せる。今頃キリヤは国境を越えたあたりだろうか。


 背中からブランケットをかけられ振り向くと、イブがすぐそばに立っていた。


「ずいぶんと落ち込んでらっしゃいますね」


「そうかな」


「まるで恋にやぶれた乙女のような顔をされています」


「うええ?!」


「あら、図星ですか」


 口元だけで彼女は笑うと、綺麗なお辞儀をしてくるりとアリシアに背を向け、紅茶をテーブルの上に用意し始める。


 アリシアはそろそろとソファーに歩いて行くと、イブを伺いながら腰を下ろした。


「バーベナとは、えっと、そういうのではなくて」


 アラン王子の秘密を知るものたちは、バーベナの正体についても知ることとなった。ロベリアからの暗殺計画の情報共有に関して、ロベリア王同席の元、バーベナとして調査に当たったキリヤが直接グラジオ王をはじめとする関係者一同に説明したのだという。


「……ドレスをお贈りになられたのは、あの方だったのですね。おかしいなあとは思ったのです。セオドア様からの贈り物であれば、きっと困った顔をされるはずですもの。でも貴方様は、あの晩とても嬉しそうでした」


 アリシアは頬を染め、人差し指で自分の鼻をかく。


「イブに隠し事はできないなあ」


 愛想笑いをすると、気が緩んだのか涙がこぼれそうになった。唇を噛み、グッと堪える。成り行きではあるが、王子を演じる運命に逆らうことを辞めた時点で、恋をすることなど諦めていた。そもそも自分が心からときめくような男性に出会うことができるなどと思っていなかったが。


 出会ってしまったのだ。しかも、相手は仮初の結婚相手。

 自由で、軽やかで、自信に満ちたあの笑顔に、アリシアは惹かれてしまった。

 そして彼も自分を想ってくれた。そんな奇跡が起こってしまったのだ。


「アリシア様」


「え」


 本来の名前を呼ばれて思わず顔を上げる。イブが普段、アリシアの名前を口にすることはない。


「寂しいときは寂しい、悲しいときは悲しいと、口にされてもいいのですよ。ここにはあなたと私しかおりませんから」


「イブ……」


 彼女の思いやりに、アリシアの涙を堰き止めていた堤防は決壊した。


「ありがと……」


 止める必要のなくなった涙は、滂沱の如く溢れ出て。アリシアは自分がアラン王子であることを忘れ、己の心のままに泣き続けた。


   ◇◇◇


 温暖なグラジオの土地にも冬がやってきた。

 雪こそ降らぬものの、気温はグッと低くなる。外を出歩く人々は毛皮を裏地に縫い付けた外套を身につけ、寒さを凌いでいた。


 アリシアはセオドアとイブとともに、真夜中、城の裏門に立っていた。


「今日は風が強いな。バーベナ姫の馬車は大丈夫だろうか」


「ご安心ください。馬車の警備は万全です。道中の危険からはメンシスの精鋭が守っておりますゆえ」


 アリシアの疑問に答えたのはセオドアだ。最近はようやく女性版アラン王子に慣れてきたのか、一目のあるところではアリシアが女であると知る前の態度に戻っている。


「すぐに戻られるとのことでしたが、結婚式からずいぶんと時間がかかりましたね。何かあったのでしょうか」


 イブの疑問にアリシアも頷く。


「まさか半年かかるとは思わなかったな」


「半年の間に、アラン様も『らしく』なられましたね」


 そう言って口元だけで笑ったイブに、セオドアが咳払いをする。アリシアはセオドアをチラリと見た後、イブに笑顔を返した。


 この半年でだいぶ「王子役」がいたについてきたと、自分でも思う。

 人前で言葉遣いが崩れることも無くなったし、王子としての知識もついた。まだまだ本当のアラン王子には及ばないだろうが、剣の腕も、メンシスの騎士たちを相手に余裕を持って戦えるレベルになっている。


「ご到着されたようですよ」


 セオドアに言われて前をむけば、蹄の音と共に黒い馬車が近づいてきたのが見えた。御者が黒毛の馬たちを操り、馬車を止める。アリシアは気を引き締め、前へと進みでた。


 御者によって開けられた扉の中から出てきたのは、丈の長い紺色のローブを着た女性。フードを目深に被っていて、表情は見えない。アリシアは右手を差し伸べたが、彼女はそれを無視し、自力で馬車からおりてきた。


 仕方なくアリシアは左胸に手を当て、その場で挨拶を述べる。


「バーベナ姫、お待ちしておりました」


「アラン王子殿下。本日からどうぞよろしくお願いいたします」


 膝を折り、優雅に簡易な挨拶をする鈴のような声は、キリヤが真似ていたバーベナ姫の声そのもの。

 つんとした態度にアリシアは懐かしさを覚えつつも、これから本当の姫と一からやり直さねばいけないのだと思うと、少し胃が重くなった。


 ——ちょっとずつ、慣れてもらうしかないよね。


 彼女の心情を考え、まずは警戒心を解いてもらおうと、バーベナ姫の部屋についてすぐ、イブには夜食とワインの準備だけしてもらい下がってもらった。


「お疲れでしょう。今日はゆっくり休まれてください」


 ロベリア嫌いのアラン王子を意識し、無表情を貫きつつアリシアがそう声を掛ければ、ローブからのぞく口元が弧を描く。


「じゃ、そうさせてもらうかな〜」


 少し掠れた声でそう言うと、バーベナ姫の身長が、にゅっと伸びた。


「……え?」


 ローブが床に落ちる。アリシアは目を丸くした。

 その場に現れた人物は、本物のバーベナ姫ではなく、キリヤだったのだ。

 しかも今日は銀色の長髪を後ろに束ね、ロベリアの男性が着る軍服のような黒地の正装に身を包んでいる。


「え、なんで? えええ?」


「なんだよ、俺に会えて嬉しくないわけ」


 目を白黒させながら混乱するアリシアを見て、キリヤは肩を揺らして笑っている。


「せっかくだから、改めて自己紹介しとくか! ロベリアの第三王子、キリヤだ。以後、お見知り置きを」



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