「は、はいいいいい?! 王子? え、だってスラム出身で、ストリートチルドレンだって。あれは嘘だったの?」
「いんや、嘘じゃねえよ? 俺ね、使用人だった母親とロベリア王の間にできた不義の子だったの」
「不義の子……?」
「そ。物心ついた頃にはもう母親はいなくて。街中で暮らしててさ。まさか自分に王族の血が流れてるなんて、劇団にやってきた役人に城に連れていかれるまで知らなかった。銀の髪と紫の瞳って、ロベリア王族にしか現れない色なんだってさ。自分とそっくりな 姫を見た時には度肝を抜いたな」
まあ座れよ、とひと足さきにソファーに腰を下ろしたキリヤに促され、アリシアは彼の隣に腰掛けた。
「バーベナ姫の身代わりでグラジオに行けって言われて。暗殺計画を阻止したら、報奨金をもらって自由にしてもらう予定だった」
「そう、だったんだ……」
突拍子もない話だが、キリヤらしいと言えばキリヤらしい。だが。
「ガーネットはキリヤが王族ってことを知らなかったんだね?」
もしも知っていたら、彼女がキリヤに王子の暗殺など依頼するはずがない。
「俺の正体はごく一部の人間しか知らされてなかった。髪も染めたことにして」
彼の素性は理解できた。だが。
「せっかく自由になれたのに、なんでまたここへきたの……?」
彼は宣言通り仕事をやり遂げた。贅沢な生活を手放すのが惜しくなったのなら、ロベリアに帰還したあと、そのまま王子の座に収まることもできただろう。それがなぜまたグラジオに、バーベナ姫を演じるためにやってきたのか。
「お前を自由にするためだよ」
ニヤリ、キリヤは楽しげに笑う。
「私を、自由に……?」
「本物のアラン王子なんだけど。どうも自ら失踪したんじゃなく、誘拐されたっぽい」
「……は!?」
「うちの諜報部が情報を掴んでさあ。お前は知らないと思うけど、ロベリア王とグラジオ王の間ではすでにその件で話し合いが持たれてる。その流れで、お前が身代わりの女ってこともうちの王様は把握してる状況なんだよ」
軽い調子で言われたとんでもない事実に、アリシアは目を剥く。
王子が誘拐? あの王国最強の剣士が?駆け落ちではなくて?
「手始めに王子が娘と駆け落ちしたと言われているマーブレのマリア商会。ここを探りたい。まずはハネムーンでマーブレへ行って——」
「ちょっと待って、理解が追いつかない!」
想定外の事実ばかりで頭から湯気が出そうだ。
「お前は自由になりたくない?」
色気のある吊り目、紫の瞳がアリシアの顔を覗き込み、片手で顎を捕まえられる。
「そりゃ自由にはなりたいよ。王子が戻ってきてくれれば、ロベリアとの関係については問題なくなるし。本物のバーベナ姫との仲がどうなっちゃうのかは心配だけど」
「アランとバーベナのことは本人同士の問題だし。俺らには関係ねーよ。それよりどーなの、お前の気持ちは」
そう問われアリシアは言葉に詰まる。
諦めていた本来の自分として生きる道。それが戻ってくる可能性が出てきた。自分ではない誰かとして生きる辛さから逃れ、自由を掴んで生きる。
閉ざされたはずの道が想定外の形で現れた戸惑いはある、だが。
「自由に、なりたい」
鼻の奥がツンとする。王子になってから散々泣いたのに、また涙が出てきそうだ。
「アリシア、に戻りたい!」
これはきっと、頑張ってきた自分に与えられたチャンス。掴まないという選択肢はない。
ふ、とキリヤが口元を緩める。
「じゃ、決まり。あんたにも協力してもらうけど、絶対に危ない目には合わせないから。それと——」
グッと腰を抱き寄せられ、有無を言わさず唇を奪われた。ゆっくりと顔を離した彼は、真剣な瞳でこちらを覗き込む。
「自由になったら、俺と結婚してくれる?」
真っ直ぐに向けられる視線が甘い。心からの言葉だとわかる。頬に添えられた手から、微かに震えを感じた。
——緊張、してる?
いつも自信満々で冗談ばかり言うこの人から、こんなにも熱烈な告白を受けるなんて。
胸がいっぱいになると共に、誠実に向き合わねばならないと思う。
「キリヤ、ありがと。とっても嬉しい」
「じゃあ……」
「でも保留で」
彼の形のいい眉が、くしゃりと歪んだ。
「は?」
「いや、結婚て、そんな簡単に返事しちゃいけないものだと思って。思えば付き合いも短いし。私もキリヤのことは好きだけど。もっとちゃんと考えて、返事しなきゃなと」
「いやいや、結婚には勢いも大事だぞ。っていうかここで保留っていうやつがあるか!」
むう、とむくれた彼の顔を見て、アリシアは吹き出す。
このやりとりが懐かしい。こうして言い合う時間が、一番たのしい。
「よし、じゃあ初夜のやり直しをしようか。あんときはおっさんに邪魔されちゃったからな。一度枕を共にすれば、俺の良さもわかるはず——ぶっ」
咄嗟に手近にあったクッションをキリヤの顔に押し付け、体を離した。
「だからそういう軽いところが、即断をためらわせるんだってば」
ハッピーエンドへのゴールは、まだまだ遠い。だけどどんなに厳しい道も、この人とならきっと超えて行けるとアリシアは思ったのだった。
第一幕 FIN.