俺がクリスマスデートに選んだのは水族館だった。
薄暗い空間でライトに照らされた水槽の中、色とりどりの魚が光り輝くのを楽しむかのように泳いでいる。
とても綺麗で、幻想的な雰囲気がある。デートスポットとして王道であり、だからこそ女の子を喜ばせる場所として鉄板だろう。
……という理由だけで水族館を選んだわけではない。
「はぐれたら大変だから。二人とも俺の手を離さないようにね」
「うん……。トシくんの手……あったかくて、おっきい……」
「そ、そうね。はぐれたら大変だものね……。俊成こそ、離さないようにちゃんと握っていてよね」
薄暗い空間。その空間こそが水族館を選んだ理由である。
三人の男女が手を繋いでいても、周りに変に思われない。明るい場所である遊園地や動物園ではどうしても注目を浴びてしまうからな。
別に今更周りに変に思われたって構わないけど、それがノイズになることにも変わりはなかった。できれば他人の目なんて全部排除したい。彼女達をほんのちょっとでも困らせるような視線なんて、全部塞いでやりたかった。
できないなら、せめて少しでも気にならないように……。葵も瞳子も口では気にしないとは言うけれど、まったく意識しないというわけではないだろう。
「この感触、久しぶりだなぁ」
両手に広がる温かな感触。慣れ親しんだものでありながら、両方いっぺんにというのは久しぶりだった。
どちらも違った感触で、でも同じように俺の心を温かくしてくれる。昔と比べてもそういうところは変わらない。だから触れているだけで安心できるのだ。
「んー? トシくん何か言った?」
「気のせいだろ。何も言っていないぞ」
「えー? 嘘だぁ」
葵が笑いながら空いている手で俺の頬を突っつく。聞こえていたんなら聞き返さないようにしてもらえます? 無駄に誤魔化した俺が恥ずかしい奴になってしまったじゃないか。
「って、ちょっと目を離している隙に何イチャイチャしているのよっ。葵ったらずるいわよ!」
瞳子が俺をからかっている葵に気づいた。素直に水槽の中の光景を楽しんでいた間に抜けがけされたとでも思ったのだろう。俺を挟んでの争いが始まってしまった。
「まったくもうっ。いつも葵は油断ならないんだから」
「そのセリフ、瞳子ちゃんにそっくりそのまま返すよ。トシくんにうっかり大胆なところを見せちゃうのが瞳子ちゃんだからね。私ができないような見せ方をするなんてずるいと思うな」
「はあ? 一体いつの話をしているのよ?」
「えっとね……」
葵と瞳子が顔を近づけて小声で話す。俺を間に挟んでいるって忘れてない? ……丸聞こえなんですけど。
「ちょっ!? そんな昔のことは今すぐ忘れなさいっ! い・ま・す・ぐ・にぃーっ!!」
「痛い痛い! そこぐりぐりしちゃ嫌ぁ!」
瞳子は顔を真っ赤にして怒る。そういえばあの雨の日も顔を真っ赤にしていたなぁと思い出す。……うん、今のは葵が悪い。おかげで記憶が蘇ったではないか。
「二人とも。俺をのけ者にして二人だけでイチャイチャするなよ」
「イチャイチャなんかしていないわよっ!」
冗談交じりに言うと、瞳子が面白いくらい反応してくれる。彼女の生真面目なところを見るのを楽しく感じてしまういけない自分がいた。
「私と瞳子ちゃんの仲だからしょうがないよ。諦めてトシくん」
「ああ、それならしょうがないな」
そして、それは葵も同じだった。悪ノリをしてくれて、俺も調子に乗ってしまう。
「葵~。ちゃんと否定しなさいよねっ」
「え……。私達は仲良くないの? そんな……仲良しだと思っていたのは私だけだったなんてっ」
「あ……。いや、そういう意味じゃなくてね? 違うのよ葵っ。え、な、泣いてるの?」
泣き真似をする葵に気づかない瞳子だった。体が小刻みに震えているのは泣いているからじゃなくて、笑いそうになっているのを耐えているだけだぞー。
葵と瞳子を眺めていると子供の頃に戻ったみたいで、なんだか笑顔が止まらなくなる。
このまま懐かしい思い出話でもしたいところだけど、せっかく水族館に来たのだ。見てくれないとお魚が可哀想だ。
「葵、その辺にしておこうか。ほら、瞳子も。せっかく来たんだから一緒に水族館を楽しもうよ」
「そうだね。ほら、あそこのお魚さんが見てほしそうに私達の近くで泳いでいるよ」
葵はケロリとした調子で水槽に顔を向けた。からかわれていると気づいた瞳子がぷるぷる震えていたけれど、ここは俺が宥めておく。
「ほら、瞳子も。あっちにあるのはクラゲの水槽だな。見てみろよ、すごく幻想的だ」
「そんな簡単に誤魔化されな……わぁ、綺麗ね」
さっきまでからかわれていたことも忘れて、ライトに照らされて青白く光る水槽へと近づく瞳子。しっかり者に見えて可愛らしい姿を無防備に見せるのだからたまらない。
水槽の中でふよふよと浮遊しているクラゲたち。幻想的でゆったりとしたクラゲの世界を眺めていると、大抵のことは些細なものに思えてくる。
「クラゲも可愛いけど、トシくんはもっと可愛いね」
葵が俺の横顔を見つめながらくすくすと笑う。瞳子と似たような表情にでもなっていたのか、微笑ましいものでも見ているかのようだった。
「こうして見てみるとクラゲも可愛いから、可愛いがうつったのかもな」
「あははっ、だったらトシくんに毎日クラゲを見せてあげたくなるよ。でも、目の前のクラゲは綺麗だけど、私は海で刺されたことがあるから苦手だなぁ」
「ああ、小さい頃はそれで大泣きしていたもんな」
「わっ。そういうことは忘れてよ。恥ずかしいんだから……」
顔の熱が上がったのか、葵は自分をパタパタと手で扇ぐ。どこで見ても可愛い彼女だ。
ふよふよ、ふよふよ。様々なクラゲが優雅に漂っている。
他を気にせずマイペースに浮遊しているように見える。そんな風に生きられたら。そうは思うものの、俺達には難しかった。
大水槽エリアではジンベイザメなどの大きくて迫力のある魚が泳いでいた。興奮する瞳子を眺めながら俺と葵は自然と顔が綻んだ。
「なんだかあたしばっかりはしゃいでいて恥ずかしいわ……」
俺と葵の様子に気づいた瞳子が頬を赤らめる。水族館の薄暗さでもわかるほどなのだから、本当は顔が真っ赤になっているのかもしれない。
「俺も瞳子に負けないくらいはしゃいでいるよ。ほら、ジンベイザメの体長って十二メートルにもなるんだってさ。バスよりも長いんだよな」
「へぇー、迫力があるとは思ったけれど、そんなにも大きいのね」
大水槽の近くにある説明文を読みながら瞳子と盛り上がる。すっかり大人っぽい容姿になった彼女だけど、男のロマンに目を輝かせてくれて、こっちまで嬉しくなる。
別の水槽に視線を吸い寄せられては近づき、その生態に感心して三人で笑い合う。次の水槽に向かう時には手を繋いで並んで歩く。
握る手のひらは成長を感じるほど慣れた感触で、握り返してくる力だけで彼女達の意思を感じ取ってしまう。
それはきっと彼女達にも伝わっているだろう。俺達はそういう間柄なのだ。
「ちょっと疲れちゃったね」
葵の一言で休憩スペースに併設されたカフェに目が行く。
「ちょうどカフェがあるから休憩にしようか」
水族館のカフェというのもあってか、壁に水槽が埋め込まれていておしゃれな雰囲気のある空間だった。四人掛けの席に案内されたので、葵と瞳子は並んで俺の対面に座る。
「けっこう歩いたわね」
飲み物を注文して、瞳子が背筋を伸ばしながら言う。距離が長かったというよりも、ゆっくり歩いて時間をかけたからこそたくさん歩いたように感じたのだろう。
「今年できたばかりの水族館って言っていたよね。綺麗でロマンチックだから夢中になっちゃった」
「そうよね。動物園は行ったことがあったけれど、水族館はあまり来る機会がなかったものね。思っていたよりも楽しいわ」
あれが良かったこれが面白かった。俺達は思い思いの感想を口にする。
穏やかな時間だ。今日がいつも通りの日々だと錯覚してしまうほどに……。
飲み物が来ると喉が潤ったおかげかさらに会話が弾む。青白く照らされた水槽が傍にあるためか、幻想的で夢のような時間を感じられる。
「あ……」
その瞬間を、俺は見逃さなかった。
楽しそうにおしゃべりしていた葵の目から、一粒の涙が零れたのだ。