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32.卑怯で嘘つきな男

「ひ、日葵? な、なんでここに……」


 突然現れた日葵に、野坂は明らかに動揺していた。彼女に聞かせられないようなことを言っていた自覚はあるらしい。

 焦る野坂に目を向けることもなく、日葵は軽やかな足取りで階段を上がる。晴れ晴れとした顔で小さくジャンプして、俺の前に着地した。


「ありがとう晃生くん……」


 呟くような声量は俺にしか届かなかった。どうやら日葵はさっきまでの会話を聞いていたようだ。


「行きましょうよ晃生くん。早くしないと昼休みが終わってしまうわ」


 日葵が可愛らしく腕を引っ張ってくる。それに待ったをかけたのは野坂だった。


「おい日葵! 何やってんだよっ。それに晃生くんって……こいつが勘違いしたらどうするんだ!」

「痛っ」


 野坂が力任せに日葵の手首を掴んで俺から引き離した。よほど力を込めたのか、日葵の表情が歪む。

 それを見た瞬間、頭がカッと熱くなった。気づけば、俺は野坂の腕を捻り上げて壁に叩きつけていた。


「うがっ……!? 痛い痛い痛いーーっ!! な、何するんだ──」

「それはこっちのセリフだ。俺の女に手を出してんじゃねえよ」

「……え?」


 やべっ。勢いで「俺の女」って言っちゃった。

 元カレの幼馴染に言って良かったのか? 確認しようと日葵に顔を向けると、彼女は表情を輝かせてこくこくと頷いていた。まるで王子様にピンチを救われたヒロインの顔だな。我ながら王子様というには凶悪すぎるが。

 まだ言葉の意味を飲み込めていない野坂に現実を突きつけることにした。


「テメーと日葵はただの幼馴染だ。前は付き合っていたようだが、もう別れたんだろ?」

「な、なんでそれを……。誰も知らないはずなのにっ」


 呆然とする野坂。日葵と別れたことを、自分からは誰にも話していなかったようだ。


「私が話したのよ。あなたと別れたこと。それから傷つけられたことをね。晃生くんは恥ずかしさを耐えてまで私を慰めてくれたわ。他の誰も、純平くんも、そこまでしてくれる男子は一人もいなかったわ。だから私は彼に恋をして……そして、告白したの」

「え……?」


 野坂の顔が驚愕に染まる。顔に出やすい奴である。


「フリーの女に手を出しても問題はないよな? もうお前の女じゃないんだからよ」

「郷田……お、お前……まさか……っ」

「想像通りだぜ。日葵は俺の女になった。気持ちも確かめ合った。文句あるか?」


 人の顔が般若に変わる瞬間というやつを、俺は初めて目にした。


「郷田ァッ!! 俺の日葵を汚しやがったのか! 殺す! テメェだけは絶対に殺してやる!!」


 野坂は怒りの感情をぶちまけた。本当に人を殺してしまいそうな剣幕である。

 夢の中ではあるが、郷田晃生はそんな物騒な言葉を使わなかったのにな。最低の悪役のはずなのに、実はものすごく穏やかな奴だったんじゃないかって思えてきたぞ。

 野坂は暴れようと身体をよじる。だが壁に押しつけられているので身動きが取れていなかった。


「くそっ! 放せ! 放せよ!! うぐっ──」


 あまりにもうるさいので肺を圧迫するように壁に押さえつけた。人気のない場所とはいえ、こうも大声を出されては騒ぎになるかもしれないしな。

 まあ元々穏便に済むとは思っていなかった。けれど俺と日葵の関係を伝えるのなら、きっちりと教えてやらなければならない。


「いいか野坂。俺はお前から日葵を奪ったわけじゃねえ。日葵と話をして、お互いが納得した関係になったんだ。こんなに良い女を掴み切れなかったのはお前の責任だ。だから、二度と日葵を自分の物だと言うんじゃねえぞ」

「ぐ……ぐううぅぅぅぅぅぅぅぅ……っ」


 言葉にならない呻き声を上げる野坂。さすがに強く押さえつけすぎたかと思い、少し力を緩める。


「卑怯者……。卑怯者卑怯者卑怯者っ! 俺が日葵の傍にいる限り手を出さないって言ったのに……この嘘つきめっ!!」

「卑怯者? 嘘つき? それはどっちよ」


 日葵の声は冷え切っていた。仲の良い幼馴染に向ける目ではなかった。


「純平くんは友達に私との関係を自慢していたみたいね? 私との初体験が最高だったんだって? 純平くんのテクとやらで、私が淫らな姿を見せたんだってね?」


 声はさほど大きくもないのに、言葉を重ねるごとに日葵の威圧感が増していた。

 野坂は顔を青ざめさせながらも、俺に鋭い言葉を発する。


「郷田! この野郎っ、日葵にチクったな!」

「何を言っているの? 私もあの場にいたのよ」

「……え?」


 頭が真っ白になったのだろう。野坂は本当に表情に出やすい奴だ。言葉がいらないほどに、今の状況のまずさを表していた。


「あなたが気持ち良さそうにしゃべっているのを廊下の角から聞いていたわ。みんなから羨ましがられて、とても嬉しそうだったわね? そんなに私との初体験が良かったの?」

「いや……あの……あ、あれは何かの間違いで……」

「……勃たなかったくせに。よくもまああれだけ嘘を並べられたものね。感心を通り越して見損なったわ」


 大好きな幼馴染が発した決定的な一言に、野坂の顔が絶望に染まる。

 ちなみに俺は何も言っていない。野坂のモノが使い物にならなかったんだろうなってのは想像でしかなかったし、男の沽券に関わることでもあるので憶測で口にするのは憚られたからだ。

 日葵は何かのきっかけで気づいてしまったのだろう。そのきっかけがナニかは、俺の知るところではない。

 そして、やはり野坂にとってその事実は大ダメージだったようだ。……致命傷になるほどにな。


「…………」


 野坂は完全に言葉を失っていた。それどころか脱力してしまっていて、まったく抵抗しなくなった。

 俺が手を離しても暴れる様子はない。それどころか自分から顔を壁に押しつけてしまった。反応がない。ただの屍になっていないだろうな?


「晃生くん、こんなところでのんびりしていたらご飯を食べる時間がなくなるわよ。早く行きましょう」

「え、良いのか?」

「良いのよ。あってないような男のプライドに固執しているだけの人に興味はないわ。それだけならまだしも、私を傷つけるだけの人とは関わりたくないもの」


 野坂は反応しない。いや、微かに鼻をすすっているような音が聞こえる。もしかして泣いてんのか?


「そんな人とは違って、晃生くんは私に優しくしてくれて、守ってもくれる。それに……ここも、強くて硬くて立派だものね♪」

「お、おいっ!?」


 どこ触ってんの!? 学校でこんなこと……、このピンク淫乱すぎない?

 こんなやり取りをしているってのに、野坂は全然反応しなかった。壁に押しつけているその顔は、きっと漫画でよく見たものになっているのだろう。

 これ以上はオーバーキルになってしまう。俺たちの邪魔をしないのならもう放っておいて良いだろう。興味もないからな。


「行くぞ日葵。野坂の用事はもう終わったらしいからな」

「うん♪」


 俺は日葵と一緒に階段を下りる。残された野坂からは生命力すら感じなかった。

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