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52.白鳥日葵は我慢できない

 夏休みが間近に迫っていたころのこと。

 例年以上にワクワクしている自分がいる。晃生くんとたくさん遊びたいな。そんな予定を頭の中で立てている時に、急に声をかけられた。


「君が白鳥さん? 白鳥日葵さんで合ってるかな?」

「え? はい、そうですけど」


 教室に三年の上級生が現れた。それも私だけじゃなく、全校生徒のほとんどがその顔と名前を記憶しているであろう女子だ。

 紫髪のショートヘア。凛々しい顔立ちだけど、私に向ける笑顔に棘はない。モデルさんみたいに美しいのに、年下の私でさえ可愛らしく思えた。


「突然すまないね。私は生徒会長の音無おとなし夏樹なつきだ。折り入って白鳥さんに相談があるんだが、いいかな?」


 よく通る声にはっきりとした口調。表情が豊かで愛嬌のある印象を抱かせる。

 直接話すのは初めてだけど、ここまで気持ちの良い人はなかなかいない。みんなが彼女を生徒会長として慕っているのにも頷けるだけの雰囲気を放っていた。


「大丈夫ですよ。なんでしょうか?」


 生徒会長がわざわざ二年の教室まで来ての相談。無視するのはもってのほか。とりあえず話を聞いてから判断しよう。


「単刀直入に言おう。白鳥さん、君に次の生徒会長を頼みたいんだ」


 音無先輩は大きな声を出したつもりはないのだろうけど、よく通る声はしっかり教室中に届いていた。

 クラスメイトが騒がしくなる。晃生くんがちょうど席を外していて、彼はどんな反応をするのだろうかと気になった。


「なぜ私に?」

「それは君がとてもまじめで優秀で、模範的な生徒だと先生方から聞いたからだ」


 ほとんどのクラスメイトが頷きを見せる。羽彩ちゃんだけが小さく噴き出していた。

 確かに私は真面目で優秀だけれど、決して模範的な生徒ではない。そのことを知っているのは、この学校では晃生くんと羽彩ちゃんだけだ。


「もちろん先生方だけの評価ではない。私も白鳥さんを見たことがあるぞ。体育祭のリレーはすごかったし、勝利した後の堂々とした立ち振る舞いは私も目を奪われたんだ。君なら人前に立つ生徒会長にピッタリだと思ったのだ」


 音無先輩は前のめりになって興奮気味に語る。

 能力だけではなく、態度や仕草も見てくれていた。それもまともに話したことのない生徒会長がだ。嬉しくないと言えば嘘になる。


「そこまで評価してもらえて嬉しいのですが、私は生徒会長になるつもりはないんですよ」


 生徒会長にでもなれば晃生くんとの時間が少なくなってしまう。できればそれは避けたかった。


「そうなのか? 忙しくはなるが利点はあるぞ。内申点が上がるから進学に有利になるんだ」


 あけっぴろげにそんなことを言う音無先輩。オブラートに包むということを知らないのだろうか?


「音無先輩は内申点が目当てで生徒会長になったんですか?」

「ああ。少しでも上のランクの大学に進学したいからな。できることは全部やろうと思ったんだ」


 本当にあけっぴろげな人だ。でも、嫌いじゃない。


「ごめんなさい音無先輩。私は生徒会長になる以上にやりたいことがあるんです。お誘いは嬉しいのですが、受けることはできません」


 好感は持てる。それでも、それとこれは話が別だ。

 晃生くんにアプローチしたせいで学力が落ちたなんて言われたくはない。勉強時間も確保しなければと考えると、生徒会長に注ぐ時間はないように思えた。


「そうか。それなら仕方がないな。白鳥さんが他にやりたいことがあるというのなら、私はそれを応援するよ」


 音無先輩は思ったよりもあっさりと引き下がった。

 わざわざ二年の教室に来たくらいだから、もっと粘るのかと予想していた。上級生、それも生徒会長にそんなことをされれば困ってしまうので、あっさり引き下がってくれたことは助かるのだけど……。なんだかちょっと残念に思う心は、飲み下しておくことにする。


「話を聞いてくれてありがとう。では、私はこれで失礼するよ。白鳥さん、やりたいことを全力でがんばってくれ!」


 応援なのだろう。ぐっと握りこぶしを向けてくれる。音無先輩はお願いを断られたとは思えないほどの明るい表情で去って行った。


「ひまり~ん、せっかく生徒会長になるチャンスだったのに良かったの?」

「羽彩ちゃんは私と同じ立場だったとして、あの申し出を受けるの?」

「……受けない」


 同じ結論に至ったのだろう。羽彩ちゃんはぶんぶんと頭を横に振った。


「あははっ。でも日葵ちゃんは郷田くんが生徒会に入ってくれるなら話は別なんでしょ?」

「当然よ」


 梨乃ちゃんの言葉に、私は全力の頷きを返した。

 ……晃生くんと生徒会室で二人きりかぁ。

 真面目に仕事をしている最中、晃生くんは我慢できずに私を求めていけないことを……。ああっ、こんなところで……ダメだとわかっているのに逆らえないわ!


「ひまりん、顔がやばいことになってるって」

「はっ!? べ、別に変なことなんて考えていないわよっ」

「今の日葵ちゃんの顔良かったな。ねえ、さっきの表情を写真に撮らせてもらってもいい? それかスケッチさせて?」

「黒羽さんも何言ってんの!?」


 晃生くんが教室に戻るまで、私たちは賑やかにしていたのであった。



  ◇◇ ◇



 夏休みに入ると、すぐに塾の夏期講習が始まった。

 せっかくの晃生くんとの夏休み。海や夏祭りを楽しむためにも、今は勉強に集中しなければならなかった。


「晃生くん……。会いたい、会いたいよぉ……。ああああぁぁぁぁぁーーっ!! 晃生くん成分が足りないわ!」


 最初にがんばってから、後でたくさん遊ぶ。そう予定していたのに、夏休み初日から私の我慢が持たなかった。


「……もう限界だわ」


 さらに数日経って、私の中に溜めていた晃生くん成分が完全に枯渇した。

 音無先輩にも言ったではないか。生徒会長になるよりもやりたいことがあると。なら、全力でがんばらなければ先輩にも失礼だろう。


「いない! 晃生くん? 晃生くんはどこ!?」


 衝動のまま塾を休んで晃生くんに会いに行った。なのに、そんな時に限って彼は留守にしていた。

 気持ちが逸って連絡もせずに来てしまった。今からメッセージを送るのも、なんだか負けた気になる。


「わかったわ、待ちましょう。ふふっ、晃生くんが帰ってきたら全力のおもてなしをしてあげるんだから!」


 早速、おもてなしの準備のために部屋を掃除する。とはいえ、普段から片付けは羽彩ちゃんがやってくれているので、そう時間はかからなかった。


「……少し、休ませてもらってもいいわよね?」


 暇になったので、晃生くんのベッドに横になる。

 彼の残り香が私をリラックスさせる。勉強に力を入れていて、疲れているのに気づかなかったみたい。睡魔に負けてそのまま眠りに就いた。

 晃生くんの匂いがベッドに沁みついていたからだろうか。彼に抱きしめられながら眠る夢を見た。とても心地が良くて、ぐっすり眠ることができた。


「っ!?」


 心地の良い眠りが一気に覚める。晃生くんが帰ってくると直感的に察知したからだ。

 すぐに身だしなみを整えて出迎える準備をする。そうして間もなく、玄関のドアが開いた。


「晃生くぅぅぅぅんっ! 会いたかったよぉ~~」

「うおっ!?」


 晃生くんの大きな身体を目にした瞬間、私は駆けだしていた。

 彼の胸板に顔を押しつけるようにして抱きしめる。外に出ていたから汗をかいたのだろう。とても良い匂いが私の鼻腔をくすぐった。


「わぁ、晃生くんの汗の匂い……。この匂いと感触……久しぶりだよぉ。ねえ、もっと堪能させて?」


 晃生くんの身体にぐりぐりと顔を押しつける。残り香じゃない、本物の彼の体臭だ。無意識に匂いの強い部位を求めて顔を動かしてしまう。

 やっぱりわきの下かな? 晃生くんに腕を上げてもらって匂いを堪能しようとした時だった。


「……」

「……」


 二つの視線を感じて、晃生くんの後ろを見てみれば、微笑んでいる羽彩ちゃんとエリカさんの姿があった。


「……こほんっ」


 見られた!? 晃生くんの体臭に夢中になっているところを見られた!!

 咳払いをして誤魔化そうと試みる。けれど顔が熱くなっているのはどうしようもなくて……。誤魔化すのは無理だとわかっていても、私は笑顔で口を開いた。


「羽彩ちゃんとエリカさんもお帰りなさい。暑かったでしょう? さあ入って入って。部屋を涼しくしておいたからね」


 この後、二人にものすごくいじられてしまった……。でも晃生くんによしよししてもらえたからとっても幸せになれた。

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