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66.何かの間違い

 ゴム……。輪ゴムでもヘアゴムでもないゴムである。

 主に使用者は男性に限られる。とはいえ女性も場合によっては持っていた方が良いだろう。正しい知識は身を守ることに繋がるからな。

 海外では愛のグローブとか防弾チョッキとか様々な呼び名がある。ヴィーナスのシャツなんてのもあったか。おしゃれだと思ったのは俺だけではないはず。調べてみると案外楽しいぞ。


「いやいやいや! そんなことはどうでもいいんだよっ!」


 予期せぬ事態に思考が脱線しかけている。軌道修正しなければと手に取った個包装をまじまじと見つめた。

 やはりゴムである。どこからどう見てもゴム。それがなぜこんなところにあるのだろうか?

 この部屋を案内してくれたのは黒羽だ。布団を敷いてくれたのも黒羽だろう。何より、ここは黒羽の家である。


「まさかな……」


 黒羽が用意しただなんて、まさかまさか……。冗談にしてもやりすぎだ。黒羽は冗談を言う奴ではあるが、こういうマジで反応に困るようなことはしない女の子なのだ。


「間違えただけだよな」


 布団を敷いている時に何かの間違いで枕の下に落ちてしまったのだろう。そうでも考えないと、黒羽がわざわざゴムを置いたってことになる。

 そもそもなぜ黒羽がゴムを持っているのか。ここはシングルマザーの家庭だ。いや、もしもの時のために女性が持っていないってこともないんだろうけどさ。


「もしもの時……。そうか!」


 俺の頭にひらめきが走る。

 手のひらにのるほど小さいゴムだが、一リットル以上の水が入るほどにその容量は案外大きい。もし災害が起こった時、コンパクトで運びやすいゴムは重宝されるはずだ。


「なるほどなぁ。災害用だったか」


 よし、納得できた。黒羽がゴムを持っていたとしても何らおかしいことではないのだ!


「……寝るか」


 今度こそ布団に横になる。寝る前に頭を使って、なんだかどっと疲れた気がする。

 まぶたを閉じる。黒羽が俺のことをどう考えているのかも、目を閉じて見ないフリをしてしまった。



  ◇ ◇ ◇



 夢……だろうか?

 知らない天井。知らない和室で眠っている俺。たまには畳でごろごろしたいなぁという願望が夢に現れたのだろうか。夢だからって、幽体離脱みたいな感じでそれを見ているってのも変な感じだけども。

 そこに一人の女の子が入ってきた。


「お、お邪魔しまーす……」


 ふわふわした緑髪の可愛らしい女の子だ。眼鏡をかけていて、小柄でおっぱいが大きい。


「ご、郷田くん……眠っています……よね?」


 彼女は音を立てないように、四つん這いになって近づいてくる。俺の身体は眠りの状態のままだ。

 緑髪少女は枕元まで辿り着くと、俺の寝顔をじっと見つめる。


「日葵ちゃんがいけないんだよ……。好きな人をあたしなんかに任せるから……」


 緑髪少女は小さく呟きながら胸を押さえる。柔らかく沈み込んだ手は、何かに耐えているかのように見えた。

 そして、意を決したと言わんばかりの顔をして、緑髪少女はあろうことか俺に自らの顔を近づけたのである。

 え、これってもしかして……キスしようとしている?

 美少女にキスされる。本当に夢のようなシチュエーションに、俺はドキドキしながらその瞬間を見守っていた。

 顔と顔が近づき、唇と唇も距離を縮めていく。

 もう少しでその瞬間が訪れる。歓声を上げそうになった心を押し止めるように、俺の目がパチリと開いた。


「へ?」


 どちらの声だったのか、自分でもわからなかった。

 気づけば緑髪少女は押し倒されていて、一瞬のうちに体勢が入れ替わっていた。ガタイの良い男に組み敷かれた小柄な女の子の図。かなりやばい絵面だ。


「ご、郷田くん? お、起きて……?」


 困惑している様子の緑髪少女。まだ自分が襲われているという認識が追いついていないようだ。


「男が寝ているのをわかっていて部屋に来たってことは、襲われても文句は言えないってことだよな?」

「そ、その……っ。あたしはっ──」


 弁明をしようとした緑髪少女の唇が塞がれる。強引なキスに、眼鏡の奥の目が混乱を表していた。

 第三者目線から眺めていた俺にも唇の感触が伝わってくる。深くて荒々しくて、勝手に脳が蕩けていくような生々しい感触だった。

 ああ、気持ち良い……。このまま身を任せていたいという欲が大きくなる一方で、これ、もしかして夢じゃないんじゃね? と、頭が冷静に現実を受け止めようともしていた。

 いや、本当に夢じゃねえぞ! 緑髪少女は黒羽じゃねえか! 寝惚けている場合じゃねえっ!!

 だが、俺の身体は俺自身の意思とは関係なく動いていた。何もやっていないはずなのに、舌が動物的に暴れ回る。


「んむぅ……。ふっ……ふっ……ちゅぶっ」


 黒羽が必死に鼻呼吸を繰り返す。それでも俺の舌に抵抗しようとしているのか、おずおずと動き始めた。

 舌が絡み合う。彼女からの刺激に、背筋にピリピリとした快感が走った。

 って、やってる場合じゃねえ! 何やってんだ俺!? 友達の女子を襲うなんて社会的に死んでしまう!!

 眠ったことで俺の理性が弱くなったのかもしれない。てことは、郷田晃生の意識が表に出ているってことか?


 ちょっと和解した感じにはなったものの、郷田晃生は元々女を襲いたくて仕方がないというどうしようもない奴だ。早く止めないと、黒羽が竿役に蹂躙されてしまうっ。


『戻れ! 戻れもどれ戻れ、戻れええええぇぇぇぇぇぇーーっ!!』


 気合いの雄叫びを上げる。

 俺の気合いが勝ったのだろう。意識が郷田晃生の身体に戻っていく感覚。戻ってしまえば、主導権は簡単に取り返せた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。郷田、くん……っ」


 口を離す。黒羽は息を弾ませながら、目を蕩けさせていた。


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