目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

33.ダンジョン演習

 小規模ダンジョン演習の日は、すぐにやってきた。


学院から少し離れた演習場──森の奥にぽっかりと口を開けた、訓練用のダンジョン。 

本物のダンジョンを封印して管理している、安全な場所だと先生は説明していた。 


それでも、胸の奥は小さく震えている。


「こわい?」


 並んで歩くシルフィンが、小さくたずねた。


「・・・ちょっとだけ。でも、大丈夫」


私は微笑んで答えた。 だって、シルフィンも、ライドも、マシュルも、隣にいる。──今度は、一人じゃない。


 森の中、白く濁った空気の向こうに、ダンジョンの入口が見えてきた。

まるで、異界へ続く裂け目みたいに、黒く、冷たく、静かに広がっている。


「各班ごとに順番に入る。中での行動は、必ずペアで」 

レシウス先生の声が、澄んだ空気に響いた。


「アリアとシルフィンはペア。ライドとマシュルもだ」


「おっし!マシュル、行こう!」


「はいはい・・・お手柔らかに頼むわ」


 二人のやり取りに、少しだけ緊張が和らいだ。 私とシルフィンは、軽くうなずき合って、ダンジョンの入口を見据える。


「行こうか、アリア」


「うん」


足を踏み入れた瞬間──世界が、変わった。


 ひんやりとした空気。 湿った石の匂い。

青白く光る苔が、壁や床に生えていて、かすかな光を放っている。


静寂の中で、私たちは歩き出した。


 ──カツン、カツン。

小さな足音だけが響く。


「・・・なんか、思ったより静かだね」


シルフィンが、ぽつりとつぶやいた。


 そのときだった。


──バサッ。


何かが頭上から降ってきた。


「っ!」


 私はとっさにローブをかざして身を守る。 落ちてきたのは、羽虫のような魔物だった。透明な羽を持ち、小さな針をこちらに向けている。


「『ソロファイア』!」


シルフィンがすばやく魔法を放つ。

 赤い炎の玉が、羽虫を焼き払った。


私も、杖を握りしめる。


「『ファイア・スラッシュ』!」


振り下ろした杖の先から鋭い炎の刃が走り、もう一匹を切り裂いた。 魔物は小さな悲鳴を上げて、蒸発するように消える。


「ナイス、アリア!」


「シルフィンも!」


 二人で顔を見合わせ、息を弾ませる。 ──戦えた。 魔物を前にしても、ちゃんと、体が動いた。


だけど、そのとき。

ふと、胸の奥に、奇妙な感覚が湧き上がった。

これは──デジャヴ?


どこかで、こんな光景を、私は……知っている。


 異世界の石畳。 苔のにおい。 重く湿った空気。それは、たしか、私が"生きていた頃"には、存在しなかったはずのもの。 

だけど、懐かしい。


──どうして。

ぼんやりと、誰かの声がよみがえる。


《・・・ここじゃ、誰も助けてくれないよ》


 ぞくりと背筋が冷える。

違う。 ここは、あの場所じゃない。 私は、もう、一人ぼっちじゃない。


「アリア?」


シルフィンの声で、はっと我に返った。


「ごめん、なんでもない」


 私は首を振り、小さく笑った。 ・・・ここはゼスメリア魔法学院。 私は、アリア・ベルナード。 炎の大魔女セリエナの娘、炎の魔女。


そして──この世界で、もう一度、生きるために生まれた。


「・・・行こう、シルフィン」


「うん!」


 私は杖を握り直し、シルフィンと並んで、ダンジョンの奥へと進んだ。


この炎は、絶対に消さない。 たとえ、どんな過去に囚われても。


──私は、私の道を、歩く。




 しばらく進むと、異変が起こった。


突如床に走った光が、私たちを引き裂いた。

地面が大きく割れ、私とシルフィンは引き離されてしまった。


「アリア!大丈夫!?」


「うん・・!」


「よかった・・・でもこれも、演習のうちなのかも・・!」


「え?二人一組での試験なのに?」


「・・・うーん、どうだろう。とにかく、どこかで合流できないかな。このまま進んでみる」


「私もそうするよ。気をつけてね!」



 焦る気持ちを抑えながら、私は周囲に意識を集中させた。 ──湿った空気、石の壁。微かに漂う、獣の匂い。


ダンジョンの奥は、思ったよりも暗く、静かだった。 でも、その静けさの向こうに、なにかが潜んでいる気配がする。

慎重に進もう。



 シルフィンと分断されてから、しばらく進んだ。

ダンジョンの中は、まるで生きているみたいだった。 ときおり、壁のひび割れから霧のような魔力が漏れ出し、足元を這う。


なんだか不気味だな、と思っていたその時。


──ズシン・・・ズシン・・・


重い地鳴りのような音が、地面を震わせた。


「・・・何の音?」


 私は杖を掲げ、『プルペリナ』の魔法を唱えた。

これはいわば探知魔法で、近くにいる生物の位置が見えるようになるのだ。


すると、右側の壁の向こうに人の形の影が見えた。

あれは、きっとシルフィンだ。


「シルフィン!聞こえる?」


 叫ぶと、すぐに返事が返ってきた。


「アリア!?どこ!?」


「下がって!今から、この壁を壊す!」


「えっ・・・?そんなことできるの!?」


「いけると思う・・・『焔の槍ブレイラムス』を使えば!」


 そうして私は、『焔の槍ブレイラムス』を唱えた。

炎の槍を投げつけ、石の壁を焼き、破壊した。


その向こうには、シルフィンの姿が。


「すごい・・・本当に!」


 私はシルフィンの手を取り、軽く引いた。


「さあ、行こう」





 それからは一本道で、迷うことはなかった。

しかし。


「アリア、あれ・・・!」


シルフィンの指差す先、ダンジョン内に立ち込める真っ白な霧の向こうに──巨大な影がいた。


現れたのは、黒い甲殻に覆われた異形の魔物だった。 4本の太い腕を持ち、背中には禍々しい棘が生えている。 

眼は血のように赤く、こちらを睨みつけていた。


以前、本で見たことがある・・・「グローム・ガルム」。サソリに近い、上級の魔物だ。

でも、ここはあくまでも学校の演習ダンジョンだ。本来は、こんなものは出てこないはず。


「これ、上級の魔物だよね・・・どうして、こんなものが・・・」


「わかんない・・・でも、戦うしかない!」


 私は、胸の奥に燃える炎を呼び起こした。  ──前に進むしかない。 怯えたら、負けだ。


「私が攻める!シルフィン、援護して!」


「任せて!」


私は魔力が強く、魔法の威力が過剰になりやすいため、普段魔法を唱える際は注意しなければならない。

でもそれは、こういう時にはむしろ役に立つ。


 二人同時に、魔力を解き放つ。

私の手に集まるのは、鮮烈な炎の力。シルフィンの手にも、眩しい炎が灯った。


「『ファイア・レイ』!」


 私が放った炎の剣が、グローム・ガルムの片腕を焼く。 だが、奴は怯むどころか、うなり声を上げて突進してきた。


「速い・・・!」


咄嗟に横に跳びのく。 

背後で、シルフィンも同じように回避していた。


「『フレイム・バリア』!」


 シルフィンが素早く防御魔法を張る。 

炎の膜が、グローム・ガルムの爪を弾いた。

──だけど。


(強い・・・!)


『ファイア・レイ』を使ってわかった。初級魔法では、まともなダメージが入らない。

攻撃を避け続けても、いずれ追いつめられる。


 心臓がドクドクと脈打つ。呼吸が浅くなる。


 ──そのときだった。

走馬灯みたいに、頭の中に光景が流れ込んできた。


 寒い教室。 冷たい視線。 机に刻まれた、醜い文字。


──私は、いじめられていた。 誰にも、助けてもらえなかった。 だから、私は──飛び降りた。


 胸を刺す痛み。 落ちる感覚。

それは、忘れようとした前世の記憶。


でも──。


(私は・・・今、違う)


 私は、アリアだ。 セリエナ・ベルナードの娘として生まれた。 そして──今ここに、仲間がいる。


「私は、負けない!」


叫ぶと同時に、全身から炎があふれた。


 ──ゴウッ!と音を立てて空気が震え、炎が渦を巻く。


「《インフェルノ・ブレイズ》!」


私の手のひらから放たれたのは、燃え盛る大きな火球。

それは轟音とともにグローム・ガルムに直撃した。


 奴の甲殻が、音を立ててひび割れる。 苦しみの咆哮を上げて、ぐらりと身体が揺れた。


「今だよ、アリア!」


シルフィンが、私の隣で声を上げる。 彼女も、最大限に炎を集中させている。


二人で、一斉に放つ。


「「《ダブル・フレイム・バースト》!!」」


 二つの炎が重なり、巨大な火柱となって魔物を呑みこんだ。


──そして。


ドサァン、と、グローム・ガルムが崩れ落ちた。


 静寂が訪れる。


「・・・やった、ね」


シルフィンが、汗を拭いながら笑った。 

私も、へたり込みながら笑い返す。


「・・・うん。すっごく、怖かったけど」


 でも、負けなかった。 

私は、私を捨てなかった。


炎の温もりが、まだ手のひらに残っている。私はそっと、それを胸に抱きしめた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?