張り詰めた空気が、教室に満ちる。
ルージュの教室に集められた1年生たちは、みな無言で直立している。私もその中の一人だ。
緊張はしている。でも、不安よりやってやるという思いのほうが強かった。
レシウス先生が前に立ち、手元の書類を一瞥してから、口を開く。
「前々から言っていた通り、今日は特別な試験を行う。これは、君たちが1年間積み上げてきたものが、確かなものかどうか。それを確かめるための・・・いわば修了試験だ。合格者は来年度、2年生に進級できる。だが、不合格者は・・・再履修、あるいは補講だ。分かるね?」
ざわめく声はない。ただ、皆が飲み込んだ唾の音だけが聞こえる気がした。
「試験は2部構成だ。第1部、“魔法制御訓練”。試験項目は、魔力をどれだけ安定して出力・維持・収束できるか、だ。そして第2部、“属性特化訓練”。こちらでは、各自の属性に即した課題に挑んでもらい、最後には“創造魔法”の披露がある。・・・1年生の締めくくりにふさわしい内容だ」
そう言って、レシウス先生は微かに笑った。
あの人にしてはちょっと珍しい、いたずらっぽい表情だった。
「順番は名簿順。最初はアリア・ベルナード、君だ」
「・・・はい」
深く息を吸って、私は前に出た。
「まずは、魔力糸の編み上げだ。正円を描き、持続時間は15秒。・・・始め」
「はい」
魔力糸とは、魔力を濃縮して細く絞り出し、糸状に練り上げたもの。
基礎魔法の一種だが、魔力の繊細な操作と持続的な集中力が求められるので、この手の試験にはよく出るという。
両手を合わせ、指先から魔力を出し、糸状に練っていく。地道な作業だが、これがなかなか大変なのだ。
魔力糸は、完成させる前に魔力を流すのを止めると弾けてしまう。
私の魔力は炎なので、下手をすれば糸は炎となって弾け飛ぶ。
細く、細く、けれど切れないように紡ぐ。そしてゆっくりと空中に魔法陣の円を描く。
視界の端で、レシウス先生が黙って見つめている。
「・・10・・・11・・」
耳から入ってくる声に気を取られないようにしつつ、作業を続ける。
「・・・14、15・・・!ストップだ!」
先生の合図と共に、私は手を上げる・・・もちろん、魔力は流したまま。
先生はその長さを測り、頷いた。
「よし、合格だ。次は、制御球と模擬戦の試験だな」
その言葉を聞いて、まずは安心した。
早急に糸を紡ぎ上げ、そばに置かれたかごの中に入れた。
そして今度は、掌に魔力を集める。
出力を一定に保ちつつ、炎の球体を形成する──燃え広がらないように、静かに、けれど確かに熱を灯す。
「・・・ふむ、純度も安定性も良好だ。それでは、模擬戦に移ろう。対戦相手は・・・シルフィンだ」
「・・・やった!あなたとできるなんて、楽しみ」
シルフィンは口元を吊り上げ、双炎を帯びた短剣を抜いた。
私も負けないように、小さく火を灯しながら構える。
「模擬戦は制限付きだ。致傷魔法は禁止、過剰出力も減点。君たちの、制御のうまさを見せてくれ」
ルシウス先生は、期待を含めた笑みを浮かべた。
模擬戦開始直後、私たちは一気に距離を詰めた。
シルフィンの動きは速い。迷いのない踏み込みに、赤熱の双短剣が風を裂いて迫る。
私はすぐに魔力を集中し、足元に火輪を展開した。噴き上がる炎を利用して、横に跳ぶ。
ギリギリで剣閃をかわす。熱が肌をかすめた。だけど、恐怖はなかった。
「避けるだけじゃ、面白くないな」
シルフィンは笑っていた。炎の魔女──私と同じ属性。彼女のそれはまるで、踊るように鋭く、軽やかだ。
──こっちだって。
反撃に転じる。私は手を振るい、空気に火を灯す。花弁のような火花が散り、そこから数本の火矢が生まれる。
「行って!」
放たれた火矢が空を切り、シルフィンに迫る。だが彼女はその場に留まらず、火矢の隙間を縫うように身を翻した。
素早い。だけど、読めないほどじゃない。
私はもう一度、足元の火輪に魔力を注ぎ、爆ぜる炎で跳躍。空中で両手を組み、魔力を編む。
「[
掌から放たれた炎が渦を巻き、ねじれながらシルフィンに迫る。だが、彼女もすぐに双剣を交差させ、炎を割った。
「・・・いいね、さすが“あの人の娘”」
そう言って、にやりと笑うシルフィン。
けれど、その瞳に宿るのは真剣そのものだった。
私も笑い返す。
「私の力は、私自身のもの。・・・負けない」
熱がぶつかり合う。
魔力が舞い、教室の空気がきしむ。
けれど、私の心は静かだった。
この一瞬に全てを懸ける。それが、私の“制御”だ。
シルフィンが踏み込む。
私は構える。火と火、魔力と魔力──ぶつかり、拮抗し、そして。
「──そこまで!」
レシウス先生の声が響いた瞬間、私たちは同時に魔力の流れを断ち、静止した。
熱気の中で、シルフィンと視線が合う。お互いに息を弾ませながら、ふっと笑みがこぼれた。
「いい勝負だったわ、アリア」
「うん、こっちこそ。楽しかった」
手を取り合うようにして、私たちは元の位置に戻った。
レシウス先生が頷き、手元の書類に何かを書き込んでいる。
「両者、優秀な制御だった。・・・この一年の成果、しっかり見せてもらったよ」
その言葉が、何よりの褒め言葉だった。
私は、自分の中の“火”を誇りに思った。
「・・・さて、次は属性魔法の試験だ。半径3メートル以内の氷柱を、燃やさずに溶かす。時間制限は30秒」
「難しいな・・・」
私は氷柱を見据え、魔力を練る。
このくらいの氷柱なら、適当な炎魔法を使えばすぐに溶けるだろう。でもそれでは意味がない。
だから、基本魔法の「ヒーティア」を使い、熱を“空間”に流すように、空気を暖めて、氷だけを包みこむようにした。
炎ではなく、熱だけを伝わらせるように。
やがて、氷柱はゆっくりと形を崩し、足元に水が滴った。
やった、成功だ。
「・・・最後に、創造魔法だ。オリジナルの魔法を、1つ発動してみてくれ」
「はい」
私は一歩、前に出る。
これは、何度も試作を重ねた魔法だ。
母の魔法を自分なりに解釈し、アレンジしたもの。
「──
私の周囲に、炎の花が咲いた。
宙に浮かぶその花弁たちは、相手の動きを封じるように空中を舞い、緋色の結界を形成する。
「敵意あるものに反応して、外側へ爆発的に弾ける。仲間には無害の、対侵入防御魔法です」
魔法の効果を説明すると、レシウス先生はしばらく沈黙した後、満足げに頷いた。
「・・・よくここまで練り上げたな。技術も、着想も、見事だ。君らしい、強くて優しい魔法だ」
胸がいっぱいになった。
けれど、私はただ一言だけ返した。
「ありがとうございます」
そうして、帰りに試験の結果を通告された。
結果は──合格。
私だけじゃない、シルフィンやライドを含むルージュの1年生全員が合格だった。
まあ、1年生の修了試験なんてクリアできなきゃ話にならない・・・という気もするが、ここは素直に喜んでおこう。
それからしばらくして、修了式の日がやってきた。
前世の学校のそれと違い、式では「年次修了証」なるものを受け取った。
これは、このゼスメリアで各年次の科目を修了したことを証するもの・・・つまり、卒業証書の年次版のようなものらしい。
正直そこまで重要に感じなかったが、母に見せると「大切に取っておくのよ」と言われた。
母がそう言うってことは、大事なものなのだろうか。