ほどなくして、教室の扉が静かに開いた。
「全員、席に着いて」
聞き馴染みのある声に、教室内が一瞬で静まり返り、誰もが、まるで見えない糸を引かれるように背筋を伸ばす。
扉から入ってきたのは──去年と同じ、私たちの担任教師、レシウス先生だった。
黒のローブを纏い、私と同じく赤の瞳と髪を持った、男の先生。がなるようなことはなく、常に落ち着いた、優しい先生だ。
正直最初は少し不安だったけど、今では信頼している。
こんな言い方もなんだが、この人がいたからこそ、私たちはここまで成長できたのだと思う。
「君たちの担当は、今年も私だ。・・・安心したかい? それとも、残念だった?」
冗談とも本気ともつかないその一言に、教室内が少し和んだ。
「安心、かな」
ライドが小声で呟く。
「去年の秋の訓練で、泣きながら帰ったくせに?」
シルフィンがすかさずからかう。
「そ、それは君もだろ!」
後ろの席からくすくすと笑い声が漏れる。マシュルも小さく笑っていた。
「静かに。口が動くなら、魔力も練れるはずだ」
レシウス先生の鋭い一言に、すぐに空気が引き締まった。 彼は講壇の前に立ち、私たちを順番に見渡してから、真剣な声で告げる。
「今年から、戦闘実技はさらに高度なものになる。魔力の制御はもとより、精神の強度も試される。覚悟して臨んでほしい。それと──今年からは、模擬実戦に“外敵要素”も導入される予定だ」
教室内がざわつく。
「外敵要素・・・って、もしかして魔物相手の訓練?」
「それだけじゃないかも。最近、学院周辺で“異常な魔力の渦”が観測されたって噂もあったし」
生徒たちの声が飛び交う中、私はどこか胸の奥がざわつくのを感じた。
以前、母も言っていたのだが──異界の門での一件以降、何かが動き出している気がする。
運命の糸が、目には見えない形で絡み始めているような、そんな気がした。
レシウス先生が手を叩いて、教室の空気を戻した。
「静かに。・・・2年生の勉強はより難しく、より高度なものになる。1年生の基礎がなっていなければ、きつい場面も出てくるだろう。1年生でやった勉強の中で、まだ身についていないと感じるものがある子は、手を上げて」
誰も、手を上げはしない。
私も──もちろんそうだ。
立ち向かう。どんな困難でも。
私は、ここで生きると決めたのだから。
「・・・よろしい。それではさっそくだが、明日は基礎魔力制御と応用戦術、そして実戦演習を2時間続けて行う。前半は座学、後半は訓練場で実践だ」
レシウス先生がそう締めくくったとき、教室の窓から柔らかな陽光が差し込んだ。
それは、どこか希望のようでもあり、厳しい未来を照らすもののようにも見えた。
今年もまた、私たちの戦いが始まる。
翌日の午後。
(・・・この熱、まるで心まで焦がすみたい)
手のひらに揺れる炎を見つめながら、私はそう感じていた。
今日の午後の授業は、「基礎魔力制御」と「応用戦術」。2時間連続だ。
午前のうちから魔力を集中させる訓練は、私にとっては嬉しくもあり、少し辛くもある。
「今さらかもしれないが、復習もかねて説明する。魔力というものは、生まれながらに流れる“個性”のようなものだ。まずは、抑える術を覚えなきゃならない」
レシウス先生の声が響く。
その姿はいつも冷静で、まるで空気すら支配しているようだ。
そして今もまた、私に指導をしてきている。
「アリア、手のひらの中心に魔力を留めるよう、意識してごらん。それができれば、炎の形も安定する」
「はい・・・」
私は深呼吸し、魔力の流れを整えた。
この世界に転生してから、幾度となく“炎”が暴れ出すのを感じた。
怒りも恐怖も、不安さえも、この世界では生き延びるための燃料となる。私は、それを知った。
だけど、今は違う。
「・・・できた、かも」
手のひらの炎が、小さな蓮の花のように、静かにゆらいだ。
「おお!うまくなったな、アリア!」
隣でにやりと笑うのはライドだ。
「ふふ、ありがとう・・・ライドも、電気がピリついてない」
「僕の雷は言うこと聞くからね。感情が暴れると漏電するけどさ」
私たちは少しだけ笑い合った。
そんなやりとりの後ろで、マシュルがぶっきらぼうに呟く。
「・・・おれの水は、またこぼれた」
見れば、机の上がびしょびしょ。
マシュルは額に汗を浮かべて、集中を切らした様子だった。
「水は形がないぶん、制御は繊細だからね」とライドが肩をすくめると、マシュルはむすっとしてそっぽを向いた。
次の時限になり、私たちは演習場へと移動した。
石造りの半屋外の広場。空に魔力を遮る結界が張られ、ここなら本気の魔法を撃っても問題ない。
「では後半、模擬連携訓練だ」
レシウス先生が手を鳴らすと、三体の幻影魔物・・・術で作られた、魔物の偽物が姿を現した。
狼のような外見に、黒い靄をまとっている。
「さっき言った通り、3人一組で対応するんだ。目的は“魔力を暴走させず、連携して敵を無力化する”ことだ。時間制限は5分。・・・それでは、スタートだ」
「いくよ、アリア、マシュル!」
ライドが先に駆ける。
雷の槍を展開しながら、敵の前方へと。
「おれは右をやる。アリア、左側の誘導頼む」
「わかった」
私は全身に魔力を巡らせ、両手から火を灯した。
ライドが囮になるように敵を引きつけ、マシュルが地面を濡らして動きを止める。
「今だ、アリア!」
「[クリムゾン・スパイラル]!」
その詠唱をすると、周囲から驚きの声が走った。それもそのはず、これはまだ授業ではやっていない魔法なのだ。
先日母から教わった魔法で、これを唱えると地面を火の渦が走り、相手を包む。
これまでの授業でやってきたのは「中級」の魔法までだったが、これはそれよりさらに強力な「上級」の攻撃魔法だ。
魔力の消費は1300で、上級魔法としては低い。そのため、威力もランクの割には低めになっている。
しかし、2年生の使う魔法としては十分過ぎるほどに強力だ。
別に、これを使う必要がある状況だったわけではない。ただ、何となく・・・使いたくなったのだ。
なんというか、周りを驚かせたいというか。「灼炎の女皇」の娘、ということに、酔いしれたくなったというか。
まあでも、これくらい許してくれるだろう・・・母も、先生も。
さて、標的となった魔獣の幻影はというと、濡れた地面の上で、動けないまま灼熱に包まれた。
その瞬間、私は母の影を追いながらも、自分の炎で道を切り拓こうとしていた。
霧のように消えると、レシウス先生は静かに唸った。
「・・・すごいな。今のは、炎の上級魔法か。どこで習得した?・・・いや、聞くまでもないな。とにかく、見事だった」
私が“炎の大魔女”の娘だということは、今や学校中の誰もが知っている。当然、レシウス先生もその一人だ。
「三人とも、よく頑張った。ライドは焦らず距離を詰めた判断が良かったな。マシュル、最後の水の溜め方には、もう少し工夫の余地がある。アリア・・・君は魔力も安定してきたし、魔法の威力も申し分ない。・・・まあ、少しやり過ぎたかもしれないが」
「はーい」
正直、私はちょっと得意げだった。
前世では決して味わえなかった、“周りよりもできる”という実感。
その喜びと、周囲の尊敬に満ちた眼差しが、胸の奥をじんわりと熱くする。