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39.特別訓練

 翌日、私はまだ薄暗い朝の空気の中を、指定された訓練場へと向かっていた。


学院の裏手にある、普段は使用されない古い魔法演習場。

木々に囲まれたその空間は、まるで時間が止まっているかのように静かで、空気が少し重たい。


「・・・ここ、か」


 足を踏み入れた瞬間、周囲の空気がぴり、と静電気のように肌を刺す。 

どうやら、強力な魔力遮断の結界が張られているようだ。中で何が起きても、外には漏れないようになっているのだろう。


「ようこそ、アリア・ベルナード」


奥の方から声がした。昨日、学院長室にいた老魔導士が、深い紺のローブをひるがえしながら現れる。

昨日はフードを被っていてわからなかったが、私と同じ赤い髪と瞳をしている。


「・・・あなたが、私の特別訓練を?」


「そうだ。・・・言っておらんかったな、私の名はクレメンスという。君に炎を教えるには、少々“骨”が折れるかもしれんが・・・楽しみにもしているよ」


 彼は笑ったが、その瞳は鋭く、こちらの心の中まで見透かしてくるようだった。


「では、早速始めよう。今日は君の“限界”を知るための訓練だ。炎を解放し、暴れさせてみよ。全力で構わん。その代わり、制御も試みるのだ」


「・・・分かりました」


私は深く息を吸って、目を閉じる。胸の奥に宿る“炎”に触れる。


 ごう、と空気が揺れた。 その瞬間、私の周囲に紅蓮の炎が巻き起こる。

熱が空間をゆがめ、草が音もなく燃え落ちる。


「まだよ・・・もっと、いける」


さらに魔力を解放する。

赤い炎が、まるで獣のように唸り声を上げて四方に広がる。地面がひび割れ、空気が爆ぜる。


「──止まらない」


 炎が意思を持ったように、勝手に動き出す。手のひらが焼けるほど熱く、息苦しさが喉を刺す。 

・・・制御できない。


「くっ・・!」


私は両手を前に突き出し、全霊で炎を制御しようとする。 でも、炎は暴れる。

まるで、私の中にある“怒り”や“悲しみ”を映し出しているかのように。


『お前に居場所はないんだよ』

『問題児は、大人しくしてろ』


・・・前世で言われた言葉が、頭をよぎる。


 だめだ。そんなものに、負けたくない。


「私は、アリア・ベルナード・・・!」


 私は叫び、もう一度魔力の糸をたぐるように、炎に心を注ぐ。 

暴れる炎が、徐々に形を成す。渦を巻きながら、一筋の炎が龍のように空へ昇っていく。


「──ふぅ・・・っ」


やがて炎は収まり、ただ焦げた地面と、まだ煙る空間だけが残った。


 クレメンスは、黙ってそれを見ていた。


「・・・素晴らしい。操る炎に飲まれず“心を通わせる”とは。やはり君には、優れた炎使いの素質がある」


「でも・・・まだ、制御しきれてはいませんでした」


私は、自分の魔力と炎をよく知っている。

もちろんその強さも、暴走しがちであり、それが最大の欠点であることも。


「それでも、君は“戻ってこられた”。暴走を自らの意思で止められる者は、意外と少ないものだよ。特に、まだ10歳にも満たぬ者となれば、尚更だ」


 その言葉に、私は目を見開いた。

奇遇にも、先日母から聞いたのと同じ言葉だった。


「今日の訓練は、及第点だ。だが、ここからが本番だ」


私はうなずいた。手のひらには火傷のような痛みが残っている。 でも、その痛みさえ、少しだけ誇らしかった。


 ──この炎の力は、母からもらったものだ。でも、私の力でもある。

母のものでも、誰かの期待でもない。 

私自身が受け入れ、扱う力だ。


いつかきっと、誰かを守れるようになる。  そう信じて、私はまた一歩、前へと進む。



 訓練を終えた私が、火傷の残る手のひらをじっと見つめていると、クレメンスがゆっくりと近づいてきた。

先ほどまでの厳しい眼差しは少し和らぎ、どこか遠くを見るような表情をしていた。


「アリア。君はこの力を、何のために使うつもりだ?」


その問いに、私は少しだけ考えてから答える。


「守るために、使いたいです。できれば、誰かの希望になれるような・・・そんな力に」


 クレメンスは静かに目を細めた。


「・・・そうか。あの頃のセリエナに、君はよく似ている」


「・・・母を、知っているんですね」


私が問い返すと、彼は頷いた。


「私が学院で教えていた頃、セリエナは“特別な生徒”だった。魔力の規模も、炎との親和性も、君と同じ・・・いや、それ以上だったかもしれん。だが彼女は、その力の強さゆえに、何度も人を傷つけそうになっていた」


 クレメンスの視線が、過去へと向けられていく。


「それでも彼女は、力に飲まれず、最後には“心で炎を抱く術”を覚えた。そして、その力を誰かのために使う道を選んだ。君の父と出会ってからの彼女は、見違えるようだったよ」


「・・・」


「だが、力というものは、正しくあろうとする者にほど厳しい。ほんの少しの揺らぎで、すべてを失う可能性すらある。だから私は──」


クレメンスは、私の目をまっすぐ見据えた。


「君が飲まれずに戻ってきたことを、心から嬉しく思っている。だが、気を緩めるな。今日の訓練はほんの始まりだ。炎を持つ者は常に選ばれ、そして試され続ける」


 私はその言葉を、静かに胸に刻んだ。

母と同じ炎を持つ私が、同じ道を歩くだけでは、きっと意味がない。


「・・・私の炎は、私のものです。誰かの模倣じゃない。そうなれるように、もっと強くなります」


クレメンスは一瞬だけ、微笑んだ気がした。


「よろしい。では明日は、もう一段階“深いところ”まで入ってもらう。心しておくのだ」


「はい」


 焦げた土の匂いが、まだ鼻をつく。

でも、私は怖くなかった。


だってこの炎は、私が生きている証だから。

燃え盛る命のかたちそのものだから。


私は、背筋を伸ばしてその場をあとにした。



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